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第三章 北極星(ポラリス)・42

 食事の準備くらいはやると言ったくせに、きちんとこなしたのは昨日の晩くらいだ。申し訳なく思っても、献立を考える頭を回せるほど、心にゆとりがない。ならば、手伝うくらいはしなくては。  それに、先日ガトーショコラを作った時と同じ。手を動かしている方が、気も紛れる。  主菜を晃が調理している間に、米を炊き、味噌汁と副菜を作る。 「何にするか、決まってる、のか?」 「あぁ、俺も菓子以外はレパートリー多い方じゃないからな」  言う割に、やはり鮮やかな手つきだ。素直に見とれる。 「お前とこうして一緒に料理すんの、ほんと楽しいよ」  材料を刻みながら、晃がぽつりと洩らす。そういえば和もよくそんなことを言っていたと、不意に思い出した。 「ん、でも、待ってて出来た料理見て、『うわー』って思われるのもいいんじゃねぇの?」  和とは一緒にキッチンに立ったが、光はほぼ手を出さない。もっぱらそういう感じだった。こっちが大袈裟だと思うほど喜ぶから、もっと驚かしてやりたい気にもなった。きっと明日も、テーブルに並んだ皿を見て、目を輝かせてくれるのだろう。 「そーだな。けど俺は、隣で同じことしてんの好きだな」  そうか、と思う。光と晃の想いの表し方は違う。当たり前なのだが。そしてどちらも、俺には嬉しい。嬉しいと感じられるようになったのもまだ最近ではあるけれど。  とはいえ、そこに差はあるのだろうか。自分がより、どうして欲しいのかが分からない。もし差違を見いだせたら、俺は二人のどちらと一緒にいたいか明確になるのか。  なんという、不遜な比較か。  自分のような者が「選ぶ」などと。俺には到底、そんな魅力は無いはずだ。いつかの堂々巡りが甦る。何故、俺なのか。彼等を幸せに出来る相手は、俺如きではなくもっと他にいると思うのに。 「しゃ……あき、ら?」 「うんー?」 「その、昨日今日、俺と過ごしてどう、だった?疲れたりしなかったか?」  なんとなく訊ねてみた。今日の水族館も俺はひたすら楽しんだが、実際晃はどうだったのだろうと。俺みたいに、初めて行ったわけでもあるまい。単に俺を喜ばすためだけとも考えられる。 「疲れるものか。俺がお前と行きたい、っつったんだぞ?まだ、足りないくらいだ」  ずきりと胸が痛む。家で一緒に料理するのも、どこかへ出掛けるのもおそらく、明日で最後。それからは再び「仕事の先輩後輩」の立場に戻る。何かの折にまた外食くらいはするかもしれないが、それですら不確定だ。これまでだって、プライベートな電話を受けることさえ一度も無かったのだから。 「寂しい?」  馬鹿な問いだと思いつつ、口にする。 「そりゃあな」  しかし晃はさらりと肯定した。手を止め、俺に顔を向けて。 「この時間が、すげー幸せに思うからな」  笑顔に翳りは、ない。  声を絞り出すように、「一人にしないで」と言った光。  「今が幸せだから」離れたら寂しいと笑う晃。  見える寂しさ、見えない淋しさ。俺は、どちらに添うべきなのか。 「もう出来るから、お前はテーブルの準備してくれ」  箸などを並べ、昨晩とは逆に俺がソファに腰掛けて待つ。さほどかからずに、晃も惣菜を手に食卓まで来た。 「お待たせ。こんなもんしかできねぇけどな」  彼が運んできたのは、コロッケだった。付け合わせの野菜と共に、黄金色のふっくらとした楕円が皿に乗っている。実に美味そうだが、俺が目を奪われたのはそれだけではない。これらが盛られたのは昨日買った、切り子のガラス皿だったのだ。  デザートやフルーツを盛るイメージしか俺には湧かなかったのだが、主菜に使うとまた変わった表情を見せる。揚げ物なのでキッチンペーパーが敷かれていたが、キャベツの薄緑とトマトの赤、そしてムラ無く色づいたコロッケは、藍にも深紅にも思いの外馴染みが良い。 「これ、使ったんだ」 「あぁ。意外といいだろ?お前の選ぶセンスが良かったんだな」 「いやいや!そんなんじゃない、よ」  センスというなら、こういう形で使った晃の方にあると見るのが普通だろう。  手を合わせ「いただきます」と口にしてから、箸を付けた。 「けど、他にも色あっただろ?この二色を選んだのはお前だ」  咀嚼すると、サクッと軽快な歯ごたえ。じゃがいものほっくり感を消さない程度に混ぜ込まれた、甘辛い味付けの肉とタマネギの割合も丁度良い。 「いや、切り子としては定番の色だし、それに」  深く意識していたわけではない。が、二色並べると奇妙な既視感を感じた。  ごくまれに切り揃える他に今まで一度も手を入れたことのない俺の髪は真っ黒いのだけど、光に当たると微かに青みがかる。そのくせ瞳は茶なのだが、やや赤味が強い。晃の髪や瞳も赤褐色だが、もっと暗い色だ。  施設には俺と同じような色の目を持つ奴が数人いたから、小さい頃は別段珍しくはないと思っていた。就学して初めて、周囲とは若干違うと知った。結膜炎や色素欠乏の一種とも思われたらしく、健康診断で眼科への再検査を指示されたが、特に異常は見当たらなかった。  遠目から見る限りでは取り立てて奇異には見えないし、他人とつるむことも少なかったから指摘されたことも一度もなかったのだが。  これが前世の名残だと、事も無げにのたまったのは慈玄だった。 「稲城の施設にはな、お前と同じように前世が妖だった奴等が何人もいる。瞳がちっと変わった色目を帯びてる奴等がいただろ?あいつらは、大抵元妖だ」  そんな話をまともに信じられはしないが、自分の混沌を経験してからは真っ向から疑うこともできない。  ともかく。  慈玄にその話を聞かされて以降、頭の片隅にこびりついていたのだろうか。二枚並んだ皿は、どこか自分と近しい印象を懐かせた。 「……それに、ちょっと似てるな、と思って、俺と」  怪訝に思われるか、なんだそれと笑い飛ばされるかと思いきや、晃は俺と皿を見比べ、納得したように顎を引いた。 「なるほど。髪と目、か」 「え?」 「え、って何だよ。俺がどんだけ、お前を近くでじっと見てたと思う?」  くすくすと笑いながら言われた言葉に、どうしようもなく恥ずかしくなって下を向く。 「綺麗な色だ、と思ってたからな。そうか」 「変、だとは思わなかったか?こんな色」 「なんでだよ?髪や目の色なんて人によって違うし。髪は染めれば多色多彩だ」  それもそうか、と思う。今までだって誰にも追求されたことは無いのだ。共に生活した、光や和にだって。 「この皿、これからも大事に持っていてくれま……る、か?って、しゃ、晃が、買ったのにおかしな言い方だけど」  含意を、晃は即座に汲み取った。「もちろん」と笑い返し、 「離れてても、これ見たら鞍を思い出せるしな」  しみじみと言った。  胸が苦しい。  俺は晃にたくさんの物も思い出ももらったのに、何一つ返すものが無い。 「ごめんな」  小さく、口から溢れる。何を返したら良いかも思い浮かばない。 「謝るな。ほんとに俺が完敗したみてぇだろうが」  苦笑交じりの声は、平然と響く。けれども。 「鞍、こっち来いよ」  前の晩と同様に、床に座っていた俺をソファの隣へ呼ぶ。言われるままにそこに座った。心の裡をどう伝えたらいいのか迷って、指を絡めて手を握ってみた。 「ありがとな?」  晃が礼を言ったが、それが何に対してなのかよくわからない。といって、聞き返すのも憚られる。ただ首を横に振った。 「な、風呂、一緒に入らないか?」

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