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第三章 北極星(ポラリス)・44
◆◇◆
指先が背後を滑る。止めどなく注がれる雫に混じるが、明確な熱を帯びているので位置は見えなくても分かる。
上から下へするすると何度も流れ、軽やかであるのに焼け付くような軌跡を刻む。
その間、舌は舌で絡め取られた。少し離れては俺の唇を辿り、歯を立て甘く噛む。口を閉じる暇はない。溢れた唾液もシャワーが洗い落とす。逆に水滴が浸入しては、また溢れ。
執拗に繰り返しても、足りない気がした。浴室に入ってからどれだけキスをしたかわからないほどなのに。
唇に飽きた唇は次の場所に移る。耳朶から首筋、鎖骨、胸へと。吐息を追うのももどかしく、さっきとは逆に見下ろす形になった相手の髪のみを見つめる。反り返り上を向いた胸の突起に滴った水の粒を、そこに至った舌が舐め取った。
「……っぃ、あ……っ」
纏った水滴が粘度を増す。とろりと落下しそうになるのを吸われ、新たに付着する。幾度もそうされて、膨らんだ部分が尚腫れ上がった。
「胸だけでも感じるようになったか?すげぇ勃ってる」
コリコリと摘ままれ、痺れが走る。宥めるように背筋を支えられ。
「……ゃ、ぁあ……っ、あ、きらぁ……っっ!」
挙げた手で、口を塞いだ。抑えてくぐもった声も、密閉された箱の中では存在を消さない。
「堪えた声でもここならよく響くな。よけい我慢できなくなる」
自分の耳にも届いて、羞恥を呼び起こした。
晃の舌は腹筋のくぼみをなぞり、とっくに怒張していた下半身の肉塊まで辿り着く。湾曲に沿い舐め上げると、剥き出しの刀身を熱い口腔が覆う。
「や、だっ、そ、んなとこ……っ!」
腰を引いても、後ろは壁だ。外れそうになって、また追われる。
「お前のが欲しい。くれないか?」
咥え扱かれ、悶えた身を捩る。背を撫で下ろした指先も、もはや臀部に到達していた。双璧の間に入り込み、探られる。おかしくなりそうだった。
「だ、め、だから……っ、舌、……があぁっ!」
口と指で責められ、はち切れそうになる肉棒。口内に放出してしまうからと、いやいやと首を振る。
「いいから、出せ」
一時離れた唇はそれだけ言うと、再び被さり陰茎を締め上げた。動きが速まり、耐えられなくなる。
「……っく、ぅううんん……っっ!!」
限界点を突破し噴射された白濁を、晃は咳き込むこともなくごくりと呑み込んだ。下唇を素早く巡った舌も艶めかしく。
「……っ、は……はぁ、飲ん……っ」
「飲まれるのは嫌か?好きだけどな、鞍の味」
上目遣いでくすりと笑われて、顔が火を噴きそうになった。
晃に口淫されたのは初めてだ。というより、口淫そのものにどうしても慣れない。自分の体液を飲まれるというのは、恥ずかしさの他にもいたたまれなさを感じる。まるで己の淫猥な欲望を取り込ませてしまったようで。
「連日なのに濃厚だな。よかったか?」
「……っ、そ、んなん……訊かないで、よ」
俯いて、少しだけむくれた。晃は「悪かった」と口にしながら、おかしそうに笑っていた。
「だけど、ほんとにお前、可愛いよ。泣いても怒っても。それに今日はよく笑ってた」
「え」
表情のことを指摘されたのはこれまで何度かあったけれど、鏡で見たわけでもないのに自分がどんな顔をしているのかなんて、まるで分からない。嬉しい時でも、哀しいときでも。昔見た自分の顔はいつだって、死んだ魚のような暗い眼で、全ての感情を押し殺していた。
「そんな顔するな」「良い顔するようになった」、こんな風に言われたのはいつからだったか。自分の「顔」をこんなにも誰かに見られるようになったのは。無論それは表面だけの話ではない。内面までも覗かれるようになっていたのは。
宮城兄弟と出会い、晃たちカフェの皆と出会い、「別世界」だと思っていた彼等の中に、いつしか俺も入り込んでいたのか。
水族館のトイレの鏡で、今日見た自分の口元を思い出した。みっともなく緩んでいた。あんな自分の顔を、俺は見たことがあっただろうか。
「やっぱり俺は、お前の色んな顔、もっと見たい。近くにいてずっと、な。だから、もう不安にはならねぇよ。お前がどこにいようと誰を見ようと、この気持ちは変わらないから」
こつりと額をつけて、晃は言った。声はシャワーがタイルを叩く音にもかき消されることはなく。
「ん……」
晃の想いがじわりと胸に浸透する。ほっと安心はするものの、俺がふらついているのは事実だ。きちんと答えを出して、伝えるべきだ。でないと、こんな大切に刻みたい言葉さえ、正しく受け止めることができなくなってしまう。
「それはともかく、お前が平気なら、このままシていいか?俺も大分限界みたいなんだが」
トイレでの時と違い、今は二人共素裸だ。手を宛がわずとも、寄り添えば硬化した感触が直に肌に当たる。
あのとき、彼がもっと欲しいと願ってしまった。今この場でなら、何にも誰にも邪魔されない。黙って頷き、同意を示した。
「ありがとな」
片足を抱えられ、壁面に背を預ける。腰だけ持ち上げる格好になり、爪先がわずかに浮いた。
「……っぁ、晃……っ」
さっきから撫で擦られていた秘部が、ひくりと蠢くのが自分でも分かる。粘液の大半は排水溝へ流されてしまっていたが、伝い漏れた少量と水気を絡めた指は、俺が息を吐くとすんなり中へ沈み込んだ。
「……っ、ふぁ……あぁ……っ!」
「もうちょっと力抜けるか?十分馴らさねぇとな」
最初は一本、次に二本。押し広げるようにして、内側を掻かれる。熱の籠もった部分を計るようにして、探られた。ゾクゾクと快感が背中を駆ける。
「ンぁ、あ……っ!」
「あんまり締め付けるなよ。指でももっと感じさせてくれ」
裡で曲げられた指が、快楽の地点を探り当てる。抉られて、全身が跳ね上がった。
「や、ぁああっ!ソコっっ!!」
「ん、ここ、イイのか」
同じ場所をぐりぐりと突かれ、己自身が再び頭を上げる。よくも尽きないものだと呆れるくらいに、とろりと蜜を垂れ流しながら。
「……ぁ、あき、らっ、も、……ぉれ……っ!」
「イきそうか?なら」
抜かれた指と引き替えに、一気に奥をめがけて相手の熱棒を貫かれる。辛うじて床に着いていたもう片方の足も持ち上げられ、腕と壁に体重を預ける形になった。
「ぃあ、ぁあああっっ……!!」
自由に身動きできないのに、腰が揺れる。呼吸するごとに、深く。
何事にも構っていられない。
今自分が認識するのはただ、己の中を掻き乱す熱と、涙で滲んだ、目の前のやや堪えたような相手の表情のみ。確かに、俺は今晃のことだけを見ている。
「……っは、ぁ……きもち、い?」
「あぁ、すげぇ良いよ。好きだ、鞍」
また唇を重ねて、頭も押さえられた。涙も唾液も、自分の体内にある液体が全て流れ出てしまうのではないかと思えた。溶けて朽ちても、今なら悔いはない。
だが失ったものに代わるように、相手の熱が裡に注入される。同時に解き放ったが、満たされたままだ。濡れた壁面を滑り、背を擦り頽れた。あまりにも心地良い疲労感。不覚に意識を手放しそうになる。
「……は……大丈夫か?濡れっぱなしだけど寒くはない、か」
くすりと笑って、晃が俺を立たせた。中を掻き出され、皮膚にこびりついたものと一緒に流し落とされる。
恍惚は、長くは続かない。
朦朧とする視界の中、白く濁った水がひたすら暗い排水溝に呑み込まれていくのを、なんだか惜しむような気持ちで見ていた。
*
「それじゃ、また明日、な?」
「うん」
翌日は二人して出勤したものの、俺だけが早上がりとなった。着替えて従業員出入り口に向かう俺を、以前と同じように制服姿の晃が見送る。
前の晩は情交のあと、一緒にベッドに潜った。眠ってしまうのが勿体ないようにも思えたが、仕事があるのでそうもいかない。
少しだけ早起きして、朝食を作った。ご飯と味噌汁、だし巻き卵に焼き鮭。最後の朝だけは、和食になった。
「一人じゃこういう朝飯は食わないからな」と、嬉しそうに食べてくれたのがなによりだった。些少でも、義務を果たせたと。
これでもう終わりでも、会えないわけでもない。とはいえ寂寥感は拭えない。揃って帰宅したのは一度きりなのに、一人帰路に就くのがやけに侘びしく思えた。
職務中は、「釈七さん」という呼び方に戻した。もしかしたら「晃」と呼ぶことは二度と無いかもしれない。だけど。
今度その名を口にするときは、何かが変わっている。そんな予感もした。けれども今日は、もうひとりの「大切だと気付いた」相手を想う。
「美味いもん、光一郎に用意してやれよ?」
「ありがとう、ございます」
語尾も直した俺に、釈七さんは苦笑した。
不安に思わないと言った彼に、不安を過ぎらせてはいけない。俺はひっそりと、ひとつの決断をしていた。
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