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第三章 北極星(ポラリス)・46

◆◇◆  駅前の桜商店街は一人でも何度か訪れたが、まだどこにどんな店があるか把握しきれていない。  宮城兄弟と出会う前……つまり、今のカフェの前の前のバイト、をクビになる以前は隣の西町で買い物をすることが多かった。慈玄の寺からは、むしろそちらの方が近いのだ。バイト先も西町方面にあったし、稲城の施設はそこから更に西にある。  そちらは駅からは離れていたから、これほど賑わってはいない。近隣の住民のみが利用するスーパーやドラッグストア、その他昔からあるような個人店が点在していただけで。  大型店の進出により「商店街」という形式は廃れているらしいという話も聞くが、こと桜街に関してはそんな世情とは無縁なようだ。ショッピングセンターは車を使わなくてはならないくらいの郊外にあるし、駅からすぐなので利便性も高いのだろう。夕方になると結構な人通りがある。  コロッケが美味しいと評判の肉屋、威勢の良い声が上がる魚屋や八百屋、昔ながらの煮染めやおからなどが並ぶ総菜屋……主に食材を売る店と、名前の知れた洋服の量販店、先日釈七さんに上着を買ってもらったスポーツブランドの路面店などは覚えていて目に留まるが、あとは来るたび「こんなところがあったのか」とばかり思う始末。  ショーウインドゥでもあって、商品が並んでいるならばどんな店かも見当が付く。しかし一見しただけでは何を営んでいるのかさえ分からない建物も。  通りの外れに近い、その場所も然りだった。若干奥まっていて入り口さえ見落としそうなのに、ガラス面にびっしり貼られた紙片が屋内の様子をほぼ隠している。とはいえ、貼られた紙片にまじまじと目をこらせば目的の大半を済ませることができるのだから別段困りもしないのだが。 「……うーん……」  先に住んでいたボロアパートは、稲城の紹介で入居した。当時高校生だった俺には、連帯保証人などいない。施設の口添えがなければ、一人暮らしもままならなかった。なので、自身で住居を探すのは俺にとってこれが初めてになる。  カフェは他に比べるとかなり時給は良かったが、釈七さんが住んでいるようなマンションは俺には贅沢だ。彼には、親の援助などもあるのかもしれない。自身の稼ぎも、勤務時間や立場的に俺よりずっと多いとは思うけれど。 「どうせまた寝に帰るようなもんだし、大した設備はなくていいんだけどな」  買い物袋を下げたまま、不動産屋の前でひとりごちる。桜街は新興住宅地が多いせいか、古い隣町と違い築何十年も経ったような安い部屋はなかなか見当たらない。あまり遠くなると、今度は通勤に不便になる。 「部屋、探してるのか?」  後ろからひょい、と並んだ顔に驚いて、飛び上がった。見知ってはいても、ろくに言葉を交わしたことさえない相手だったからだ。 「へっ?!あ、あああ……いや、ちょ、っと!!」  しどろもどろに返答した俺に、目の前の男性は物腰柔らかに微笑んだ。  背が高く、すらりとした体型。光も同じ感じだが、落ち着いた風柄のせいか彼の方がスマートに見える。黒目がちの澄んだ瞳がいかにも柔和さを主張している。だが、眼鏡のレンズを隔てたそれは、たった一つしか見えない。というのも、右側のフレームには色の濃いシェードのかかったレンズが嵌め込まれているからだ。 「司、さんこそ、なんで」 「そこの本屋に買い物しにな?取り寄せてもらってたものがあったから」  顎で示された先には、確かに書店があった。自分ではめったに本を買わない俺には、そこも見落としがちだ。  カフェのアルバイト店員の一人である司さんだが、シフトに入ることは多くない。にも関わらず釈七さんの代役が十分勤まるほど、業務には精通しているらしい。聞くところによれば、彼等は同じ大学に所属している者同士で、アルバイトにはもう一人、蓮という名の学生がいる。  蓮は小柄で、明るく元気が良い。見た目は可愛らしいのだけれど、和のような一種女性的な華やかさはない。下手をすれば和より年下に見えるほどの、やんちゃで快活なイメージの持ち主だ。  そしてこの司さんは、その対照的なタイプの蓮と大体つるんでいる。司さんの方が「お守り役」なのだと釈七さんは言うが、彼はやんわりそれを否定していた。  シフトが重なることの少ない面々については名前も顔もなかなか覚えられない俺だが、この二人は例外だった。釈七さんとは同期だというから、通常の職場仲間というよりずっと親しげであったし、どういう事情かオーナーともずいぶんと親密そうなので印象に残ったのかもしれない。もっとも蓮の方が、俺にもしょっちゅう話しかけ気を配ってくれるためでもあるけれど。  当然彼等は俺とも歳は近いだろう。が、外見が幼げな蓮はともかく、司さんに対しては物静かな雰囲気からか、どうしても敬称が外せない。口調が堅くなってしまうのもそれでだ。 「にしても奇遇だな、店の外で会うなんて」  今日は彼の隣に、蓮の姿は無い。俺にすればそれも希有に思える。 「は、はぁ。ってか、蓮は……」 「お前までそんなこと言うのか。別にあいつと俺は年がら年中くっついているわけじゃないぞ?」  司さんはくすくすと苦笑を漏らす。そんな仕草にも、このひとには優雅さがある。 「それにしても、またなんで?宮城の家にいるんじゃなかったのか?」  カフェで働いている以上、俺が宮城家に世話になっているのは和の口から聞いて司さんも知っている。足繁くカフェに通っていた光とももちろん顔見知りのはずだ。詳細な関係まで知っているかは定かではないが。 「はぁ、その……あまり長く居候してるのもなんなので」  適当にぼやかして言うと、司さんは深く追求もせず「そうか」と頷いた。 「で、良いところはみつかったか?」 「いや。なかなか難しいっすね、条件とか」 「なんなら、俺の知ってるとこで良ければ紹介するけど」  造作もなさげに、にこりと笑って彼が言った。  気軽な調子で持ちかけられたものの、俺は若干尻込みした。司さんの実家は、資産家だという。雑談の折に、蓮が言っていたのを思い出す。彼の住居は「一人で住んでるとは思えないほど広い部屋」らしい。 「あの……お、俺、そんな家賃高いとこは」  自分の乏しい身上を暴露している気がして、声を落とす。司さんは目を丸くし、次には声を上げて笑った。 「ははぁ、蓮の言ってたこと気にしてるのか。心配いらない、学生寮の一部だから」  そうか、と思う。  桜街駅の西口方面は、学生街である。小中高一貫の桜校は大学の付属校でもあり、母体の大学がそこにあるのだ。釈七さんや司さん、蓮はその大学に属している。  ワンルームの比較的安価な物件は、学生向けに流れる。時期的にも新入生が埋まりきっている頃だから、不動産屋の店頭には貼り出されていないのだろう。 「大学の方で借り上げて学生に配分しているから、家賃も安い。カフェからもそう離れてはいないし、わりと好条件だと思うが?」 「でも、俺でも入居できるんすか?学生でもないのに」 「なに、チェックが入るわけじゃないから、空き室さえあれば書類を通せば大丈夫。それくらいなら俺がやっておくよ」  同じバイト店員であるというだけで、司さんにそんな手間をかけさせるのはどうかとも思ったが、検討の余地はあるように思えた。 「といっても、気に入らなきゃ意味ないか。一度見に行ってみるか?」 「え、見られるんですか?」 「あぁ。空き部屋ではないが、ちょっと心当たりがあるんだ」  意味深に言って、司さんはくすりと笑う。  考えて気が咎めるようならそこで断ればいいと思い、言葉に甘えることにした。なにより、釈七さんにも光にも相談しづらかったので渡りに舟だったのも確かだ。 「よ、よろしくお願いします」  頭を下げる直前、なぜか楽しげに頷いた司さんが視界の端に見えた。

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