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第四章 宵の明星・12
◇◆◇
翌朝。和宏が目を覚ますと、隣で慈玄は前後不覚に眠っていた。
妖とて、睡眠は摂る。だから状況としてはおかしくもなんともないのだが、妖の眠りは人間のように、生存のために必要不可欠なものではない。休息には有効だが、そのための時間を割かなくとも過労がかさむことはないのだ。
故に、慈玄がこんな風に爆睡していることは極めて珍しい。和宏はどちらかといえば、というより相当寝起きは良くない方なので、彼よりも目覚めが遅いことなど、同居を始めて後一度たりともなかったと言ってよい。
軽くいびきまでかいている慈玄を、和宏は揺り起こした。
「慈玄、だいじょうぶ?」
「……ん、あ、あぁ……和、か……?」
「多分もうすぐ朝食じゃないかな。そろそろ起きた方がいいと思う」
ようやく慈玄は、気怠げに上半身を起こす。アッシュグレーの長髪はぐしゃぐしゃに乱れていた。
「ほんとに大丈夫か?疲れてるの?」
不安げに和宏が顔を覗き込む。
「あぁ?んー、昨日激しくヤりすぎちまったしな」
に、と笑って茶化すと
「……っ?! こ、このバカ!!」
ぺしりと額を叩いた。
「ってぇ、ぶつことねぇじゃんよー」
「そんなこと言ってないで、とっとと髪まとめて着替えろ!」
怒ってそっぽを向く背中を見つめる慈玄はしかし、からかいの笑みを即座に引いた。
「もう帰らなきゃならないんだよな」
朝食を咀嚼しながら、名残惜しそうに和宏が洩らす。
「だな。お前にゃ、色々悪かったけどな。旅行らしい旅行、とはあまり言えなかったし」
「うぅん?そんなことないよ。思い出はちゃんとできたから」
首を横に振るものの、和宏は落ち着かなげに膝をもじもじと摺り合わせる。
「なんだ?帰るまでにまだ時間はあるし、行きてぇとこあるなら寄って行くぞ?」
慈玄の言葉にぱっと顔を輝かせたが、すぐに再び視線を落とした。
「う、うん。でも、またなんか危なかったり、とか……」
「あぁ、そいつぁ心配いらねぇ。昨日ちゃんと片付けたからな」
「! じゃ、じゃあ、慈海さんとかもちょっと手が空いたりする、かな?あ、でも他の仕事もあって忙しいよな、きっと」
── なんだ、そういうこと、か。
目線を上げたり俯いたりを繰り返す相手に、慈玄は苦笑し納得した。
「そんなに気に入ったのか、慈海のこと。お前も物好きだねぇ」
「物好きってなんだよ!慈海さん格好いいし優しいじゃん!」
そういえば昨日自分が結界内に入ったあと、和宏と慈海が短時間だが言葉を交わしていたことを、慈玄は思い出した。にしても、いくら和宏が父親タイプの壮年男性に憧れているとはいえ、あんな短い対面でずいぶんと奴の株が上がったものだ、とも。
慈海にしてみれば、境界の山寺まで人の子が踏み入ったという事実を、決して快く思ってはいまい。とはいえその責を和宏に科すような思考をするほど短絡的でもない。むしろ自分が軽率に迦葉に連れてきたことで、厄介事に巻き込まれた少年を気の毒に感じているのではと思われる。
反面、規律には厳しすぎるくらい厳しいのも慈海だ。そう簡単に、初対面の相手に親しげに接したりもしないはずなのだが。
「よっしゃ、わかった」
慈玄がぽんと膝を打った。
「昨日登り損ねたし、あの山道から上の方まで行ってみようぜ?その途中辺りに、慈海呼び出してみっからさ」
「ほんと?!」
今度こそ和宏は、周囲までぱっと明るく照らしそうな笑顔を慈玄に向けた。
「あぁ、俺もちょっと話しておきたいこともあるしな?けど、来るかどうかはあいつ次第だぞ?抜け出せなきゃ無理だろうし」
「それでもいいよ!もっかい、お前のいた場所記憶に残したい、っていう気持ちもあるから、さ」
はにかむ様子に、その言葉が真実であると認めつつも
「可愛いこと言ってくれてっけど、実際どっちがついでなんだかねぇ」
そんな悪態を吐いてみる。
「なんだよ!信じねーのかよ!!」
思ったとおりに、頬を膨らます和宏。こういうひとときが、慈玄の不安や疲れを癒すには最上の薬なのだ。
「冗談だよ。ありがとな和、一緒にここまで来てくれて」
「な、なに、改まって。俺の方こそ、ありがと、慈玄」
今膨れたと思えば、もう笑う。ころころと変化する、和宏の表情。それこそが「生」の希望に溢れ、慈玄を満たす。
「んじゃ、さっさと食って準備しようぜ!」
次々に皿を空けていく和宏を、慈玄は微笑ましく眺めた。
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