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第四章 宵の明星・14
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「あーっ!慈海さん、来てくれるならもっといろんなこと聞いてみたいと思ったのにっ!」
慈海と別れ、二人は大杉の先の、山頂への道を登っていた。
標高自体はそれほどではないものの、「天狗の山」というだけあって起伏には富んでいる。通り道ではないが、奇岩の突き出した箇所も数多い。「胎内潜」と呼ばれる、両側を大岩に挟まれた狭く細い通路もあった。
興味深げにあちこちを見回しながらも軽快な少年の足取りに比べ、当の「天狗」であるはずの慈玄の歩みはやや重い。無論息切れして着いていけぬ状態ではないが、山を駆ける修験者の趣などまったく見えない。
「目の前にしたら上がっちゃって、あんまり言いたいこと言えなかったな」
「ってか、お前どんだけ慈海を気に入ってんだよ。なんかこう『キュンッ』とした顔しちまってさぁ」
「え、そんな顔してた?!」
「してたしてた。それに何だよホットケーキって。俺だってまだ食ったことねぇぞ?!」
それでも軽口を叩き合う体力の余裕は、両名にはあった。
「お前にもちゃんと焼いてやるって」
「頼みますよ!にしても、俺、慈海が笑ったとこ初めて見たわ。怖い、天変地異の前触れかも」
「怖い、ってお前」
「だぁって!それなりに付き合い長ぇけど、ほんと初めてなんだぞ?怖ぇじゃねぇか!!」
「それって、もしかして俺に気を許してくれてるってことかな」
「うっ!それはそれで別の意味でこわい」
「あはは、冗談だよ。そうだったら嬉しいけど。なんて。妬いた?」
「妬くわっ!」
漫才のような掛け合いが、岩壁に反響する。
慈玄の口の滑りが足運びほど鈍くないのは、様々な憂虞の種を、和宏に悟らせないためでもある。この登山だけは、ただひたすら楽しい思い出となるように。
「あ、でもな」
しかし、戯れあいの中で一瞬。慈玄は、声のトーンを真摯に変えた。
「慈海にあぁはっきり伝えてくれたの、すっげぇ嬉しかった。ありがとな?」
いくらか先を行っていた和宏も、慈玄の謝礼に振り向くと、頬を染め照れ笑いを浮かべた。
「ん。慈海さんにも『頼む』って言われちゃったし、な。俺がずっと一緒にいてやるから、安心しろよ?」
人間の、至って普通の少年が、大男の天狗に向かって発するには大それた物言いかもしれないが、慈玄にとって和宏のその言葉は、力強く胸に響いた。
山頂は、数メートル四方が僅かに開けているだけであった。高山ではないため、周囲は道中と同じく木々に囲まれている。ぽつんと立った木柱だけが、この場所が頂点であると記す証明だった。
「ここを下りたら、もう帰らなきゃなんないんだな」
感慨深げに、和宏が呟く。
「また来りゃいいさ。他のとこに旅行すんでもいいしな?」
「うん、そう、だな」
緑の切れ間から、山々の連なり。そして下方に、弥勒寺の屋根瓦が枝々の狭間に覗く。
「ほら、あれが弥勒寺。一般の参詣客が参拝する寺だ。あの寺を過ぎると、昨日『せのを荘』へ向かった道と逆側から駅前に出る。行くぞ」
「あ、待って、慈玄」
指差した方角へ足を踏み出そうとした慈玄を、和宏が服を引いて止めた。
「どうした?」
「ん、と。その……キス、したい」
いつもならばそんな可愛い台詞には即刻応える慈玄だが、この時はいささか躊躇せざるを得なかった。
「どっ、どうした、急に」
「この場所でしたくなっただけだよ。や、ならいい」
言わなければよかったかと、和宏は目線を落とす。名残惜しさが募っての要求らしい。微苦笑して、慈玄は頷く。
「嫌なわけねぇだろ?わかったよ」
幸い他に人はいない。登頂者を労うように置かれた、ベンチ代わりの岩の裏手に身を潜めるようにして、二人は口付けを交わした。
「慈海さんと、なんの話してたの?」
やはり気にはなったのだろう。恐る恐るといった体で、和宏が問う。
「ん。まぁ、ちょっと、な?……ごめん」
「なんで謝るんだよ。やましい話でもしてたのか?」
言い淀む様子に訊くべきではなかったと思ったのか、くすくすと茶化してごまかす和宏。だが慈玄の方は、心持ち沈痛な表情で黙り込んだ。
「慈玄!」
和宏の唇が、慈玄の頬に素早く触れた。
「すっ、隙だらけだぞ!……いいよ、言いたくないことは言わなくて。もし話せる時が来たら聞かせてよ。俺、慈玄の傍にいるんだからさ」
健気に微笑む和宏に、抑えていた激しい衝動が一気にこみ上げる。突然慈玄は、和宏の体を思い切り抱き締めた。
「じっ、慈玄?!だっ、だいじょうぶ?」
「ん……」
返事をしても尚、腕は一向に緩まない。
「大丈夫じゃ、ないじゃん!」
あわあわと真っ赤になりながらも、和宏もぎゅっと慈玄の背に手を回す。
「すまねぇ和。俺が不安そうだと、お前まで不安になるよ、な?」
ところが和宏は、その詫びに首を横に振る。太い両腕が力を抜き、離れそうになったのを、今度は和宏がしっかりと抱き留める。
「不安になんか、ならない。お前が不安そうにしてたら、俺、なんとかしたい、って思うよ?俺を頼ってよ、慈玄。なんにもできないかもしれないけど、頼られたら嬉しいから。お前が不安なんだったら、せめて笑えるように、俺はずっと笑うから」
宣言通り、腕を解いて向かい合った少年の表情には、崇高さすら感じさせる笑みがあった。
そうだ、和宏となら。笑顔で再びこの因縁深き土地に立てる。
「ありがとう、和」
何度目かの感謝を表すと、繋がりを確かめるように、慈玄はもう一度己の唇を和宏のそれに重ね合わせた。深く、強く。
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