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第四章 宵の明星・18

◇◆◇  唇と指先が首から喉元の肌を辿り、シャツを慈斎が捲り上げている間に、和宏は自らパンツの前ボタンを開けようとする。心なし手が震えているのは、「元の意識」がささやかな抵抗を試みているためか。目隠しをされた状態でもたつく手の動きを、慈斎はぱし、と手首を掴んで止める。 「脱がせるのはこっちに任せてよ。楽しみも情緒もないじゃない」 「早クシロ。コンナ形状デハ、意志デ侵食ヲ抑エラレヌ。モタモタシテイル間ニ小僧ノ意識ヲ食イ潰シテシマウゾ?」  少しは時を稼げるかと思ったが、どうやらままならないようだ。観念して、慈斎は和宏を全裸に剥いた。 「あのさぁ、俺、基本的には女とヤる方が好きなんだよね。男の身体見ても、そう簡単に勃たないよ?」  それでも尚、足掻きを口にしてみる。  実のところ、彼お得意の媚薬でも服用すれば、相手が男だろうが魔羅を奮い立たせることは造作もない。それどころか薬など用いなくとも、滑らかで白い肌と、膨らみは無くともつんと上を向いた綺麗な薄紅色の乳首は、欲情を誘うに十分値したのだが。 「エエイ、面倒ナ」  目元を覆った掌を払い除けると、和宏の身体を借りた霊は、その場にしゃがみ込んだ。  迦葉での袴姿と違い、この日の慈斎は現代風の、綿のシャツにチノパン、という服装であったが、「和宏」はおもむろにそのパンツのファスナーを下げ、下着を開いて慈斎の男根を抜き出した。 「え、ちょ」  両手で包み込むように握ると、ちろちろと先端に舌を這わす。そして、やおら咥え、口腔で扱き始めた。  裡での抗いがあるのか、舌はびくびくと細かに顫動している。それに構わず頤は動かされるので、自意識での下手な口淫よりも刺激は強烈ですらあった。見る間に、慈斎の陰茎は硬さを増す。 「言ウワリニ、モウ猛ッテオルデハナイカ、天狗」  程良い頃合いと見たのか、「和宏」は舌なめずりをして股間から顔を離した。 ── こんな状況に至っても、身体って正直なもんなんだねぇ。  これではもはやどんな逃げ口上も効かない。 「犯セ。滅茶苦茶ニ掻キ乱シテヤレ」  こうなったら、一か八か。  愛撫もそこそこに、草食動物を思わせるしなやかな片脚を掴み広げると、慈斎は手早く軟膏のようなものを手に取った。 「ナニヲシテイル?早ク貫ケ。多少裂ケヨウガ傷ガ付コウガ構ワヌ」  不自然な体勢で、「和宏」が急かす。 「無茶言わないでよ。いくら慈玄のを挿れたからって、こんな細い体じゃきつくて動かせやしないよ」  塗布剤を絡めた指ごと、和宏の蕾にねじ込む。数回抜き差しして外し、代わりに慈斎は自身を宛がった。 ── 少しくらいは、効果があればいいんだけど。  祈るような気持ちで、和宏の菊門に肉棒を押し込む。 「ぅ、ぐっ……っ!」  不本意な性交であっても、生理反応に変わりはない。未発達な和宏の陰茎も、中を突かれる感覚にいきり立つ。手足は硬直し、なされるがまま投げ出されていたが、漏れる甘い喘ぎは明らかに和宏のものであるようだった。 ── これって多分、慈玄にも中峰にも睨まれる行為、だよね。  自分はこの先どうなるのかと、腰を打ち付けながら慈斎は思う。が、自身を包み込む和宏の熱は、煩雑な思考を奪うほど彼に享楽を与えていた。  潤滑剤代わりの軟膏が、にちっ、ぬちっ、と重い卑猥な音を立てる。 「……ぃ、やああぁ……っっ!」  見開いた瞳が潤んで、涙が溢れていた。これもまた生理的なものだろうが、それでも慈斎の背に、ゾクリと快感を走らせる。  怨霊は態を潜めて、和宏の内部でほくそ笑んでいるらしい。身体の動きだけは金縛りのように封じ、声を発する様子はない。 「いいよ、もう、イきな?」  和宏の腰を支え、慈斎の動きが速まる。奥を突き上げ、彼が精を注ぎ込むと同時に、和宏もまたどくりと白い粘液を陰茎の先から腹の上に吐き出していた。  四肢を投げ出し、しばし放心したように呼吸を荒くしていた和宏だが、徐々に顔を歪めると籠もった笑い声を上げる。やがてそれは、耳障りな哄笑へと変わった。 「主様!其方ノ巫女ハコレデ穢レタ!モハヤコノ者ハ卑俗ナ衆道ノ小僧デシカナイ!!」  光の無い瞳で天井を見据え、怨霊は高らかに叫んだ。 ── やっぱ、付け焼き刃じゃ意味なかった、かな。  自身を和宏から抜き取ると、慈斎は冷ややかにその様子を一瞥し、着衣を直す。 「憎イカ?妬ムカ?ソノ心理ノママニ突キ動カサレヨ。其方ヲ愛シ、慈シム者ハコノ薄汚レタ巫女ニアラズ、妾ノ他ニ無イ!」 「さぁ、それはどうだかねぇ?」  ここにはいない慈玄に向けて宣告する霊に、淡々と慈斎は反論を挟んだ。 「『巫女』が情交によって穢れるなんて、聞いたことないよ。そもそも神との『精通』によって、神託を受けるのが巫女、なんだから」 「馬鹿ナ。ソレハ神ナラバ、ノ話デアロウ?貴様ハ妖、闇ノ存在。巫女ハ体内ヲ闇デ汚染サレタ……」 「だとするなら『今の』慈玄が相手でも一緒でしょ?それに忘れたわけじゃないよね?我等は、『仏の遣いを守護する天狗』」 「……何ヲ……」  やはり。慈斎は再度得心した。  所詮これは「怨霊の一部」でしかない。そのせいで、認識に誤謬がある。  慈玄の愛する者に姦通を犯させることと、慈玄がおそらく欲し、たのみとした「和宏の気の効力」を奪うことの判別が曖昧なのだ。  不義を誘引するだけなら、目的は果たせただろう。しかし、「巫女の尊厳」を崩壊させるのは、他者との性交如きでは達せない。なぜなら、巫女は「異種に身体を開くことで」その任務を果たす場合もあるからだ。 「然様ナ世迷イ言、誰ガ」 「世迷い言はどっちだよ。そろそろ出て行ってくれないかなぁ。『そこから』、さ」 「黙レ!」  俊敏な動作で、和宏の身体が起き上がる。 「小僧ガ姦淫サレタノハ事実。サレバ、呵責カラハ逃レラレマイ。イッソ、コノママ精神ヲ侵シテ……ッ?!」 ── はぁ、ようやく少しは効いてきたか。  慈斎が潤滑剤として使用したのは、椿油と麻油を含んだものだった。本来は整髪や保湿のために使っているワックスに似たものだが、和宏の体内に挿入する際、術を施して少々成分を変化させた。  麻は、「麻薬」となるように、調合次第では忘我や恍惚を呼び起こす神経薬になり得る。これに近い形状にし、和宏が「憑坐」となる初期状態へのリセットを図った。加えて椿は、神木である榊と同様の常緑樹だ。榊のように供儀や神事に扱われることはほぼないが、類同に葉が肉厚で緑が褪せぬことから生命力の象徴とされ、寺社に植樹されている事例も多い。  油は共に実から絞るが、これらの持つ「組織」を元に、葉や樹液などの効能を引き出した、というわけだ。なにより、これらの植物は迦葉で育ったもの。つまり「霊山の結界内」の恩恵を受けているのである。油膜が体液に宿る「闇」を中和し、薄める働きもしていた。気休め程度ではあったが、時ここに至り少年の全身を循環し始めたらしい。 「貴様、何ヲシタ?!」 「別になにも?ただのまじないくらいのことだよ」  そう、こんなものはたかが一助にすらなっていないのかもしれない。  朝日が夜を光明で照らしていくように、表面に現れている怨霊の闇を包みながら押し込めていく和宏の「気」を、慈斎はその時感じとっていた。 「俺の身体も、精神もあげられない。だけど」  開いた和宏の口から溢れたのは、紛れもない、和宏自身の声。引き替えに怨霊「だったもの」は、音の無い悲鳴を上げて、泡沫よろしく弾けていくように慈斎は感じる。 「こんなの、駄目だよ。何がそんなに『哀しい』のか、俺にはわからないけど。でも『受け止めて』はあげるから」  裸の胸を、和宏は自身の両腕で抱く。すると「闇」の気配は、微塵も残らず千々と消えた。  暗い室内を照らし出す如き光の気が緩やかに収まると、和宏は頽れへなへなとへたり込んだ。どうやら彼には、怨霊の「正体」までは読み取れなかったようだ。  が、見開いた双眸からは、滔々と涙が流れている。それは、すべからく恐怖が要因ではないと見える。 「理由はわかんない、けど。すごく、恨まれてるみたい、だった。恨み続けるの、も、苦しいのに……長い間……」  朦朧とそんなことを口走る和宏を、慈斎は驚きの目で見やった。自分の身体が乗っ取られる怖さ、意図せぬ姦通を強要された恥辱よりも、和宏は己の中にいた者への思いを先ず馳せているのだ。 「そっか、お疲れさま。ごめんね、無理させて」  脱がせた衣服を肩にかけてやりはしたものの、どう声を掛けて良いのか戸惑っていた慈斎に、和宏は黙って縋り付いた。慈斎は心持ちたじろいだが、いつしかその背に手を回し、静かに撫で擦っていた。

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