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第四章 宵の明星・19

◇◆◇  慈玄が戻ったのは、明け方近くになってからだった。  身体を解放された和宏はしばらく慈斎の胸で泣き続けていたが、それが止んでも茫然自失の体。 「とにかく、お風呂沸かしたから入っておいでよ。ナカのものも掻き出して、ね」  泣き止んだ頃を見計らって湯を張りに行っていた慈斎がそう言うと、若干正気を取り戻した和宏は、かっと頬を赤く染め小声で応えた。 「は、はぃ……ありがとう、ございます」  何をされたかが頭に甦ったのだろう。いそいそと浴室に向かっていった。  風呂から上がってくるとだいぶ様子が落ち着いたらしかったが、さすがに疲れ果てたのか数分も経たぬうちにうつらうつらと舟を漕ぎ始めた。 「明日も学校、あるんでしょ?もう休みなよ」 「でも、慈玄が」 「君の目が醒めたら戻ってるよ。さっきのでほとんど完全に治まったみたいだからね。慈玄が帰るまでは、俺もまだいるし」  和宏は素直に頷き、慈斎が敷いた布団へ潜り込んだ。 「あの……嫌、じゃなかったら、手、握っててもいいですか?」  おずおずと少年が願い出たことに、慈斎は応えてやる。枕元に陣取り手を繋いでやると、寸秒で小さな寝息が耳に届いた。  和宏のためにここまで手をかけてやった自分に、慈斎は自身で呆れ返る。慈玄に屈辱を与えるために、そもそもは壊してやろうとさえ思った存在だ。大変な目に遭ったのには多少の同情を禁じ得ないが、何もこんなことまでしてやる必要などないはずだった。それでも握った指から、先刻怨霊を蹴散らした仄温かい気の流れがとくとくと伝わってくるようで、振り払うのも忍びない。 ── まるで幼児だね。  意識せずとも、口端に苦笑が滲む。溜息を吐きつつ、少年の寝顔を見守っているところに、慈玄が帰宅したのだ。  今回ばかりは、山でのようにはいかない。性交の残滓は、簡単には消えない。溢れた体液などをいかに丁寧に拭き取り、見た目の痕跡は残らなくても、妖であれば微かな匂いや温度差で明確に判る。  憔悴しきった身体で室内に足を踏み入れた慈玄だが、その残滓は一瞬にして嗅ぎ分けた。急ぎ、寝室としている座敷の襖を開く。眠っている和宏の姿を認めると、一応は足音を抑えながらも慈斎に近づき、間髪入れずに襟首を掴み上げた。隠し握っていた手が解ける。 「てめぇ……っ!!」  押し殺した声で呻く。 「別に言い訳はしないよ。この子とヤッたのは事実だから。正当な理由があっても、どうせあんたは聞き入れやしないでしょ?」 「てめぇがその口で吐く理由で、正当だった試しがあんのかよこの与太郎がっ!」 「さぁね。俺を殺す?ついでだから、封印窟に怨霊と一緒に投げ込む?暴走したらあんたもただじゃ済まないけど」 「良い度胸だな。お望みどおり、道連れにしてやんよ」  慈玄の目に、鋭い金色が走る。 ── やれやれ、あっけないな。ま、男でも最期に可愛い子とヤれたのが冥土の土産、か。  バキバキと奇怪な音を立て、慈玄が拳を振りかぶるのを確認し、慈斎は瞼を閉じた。が、次の瞬間。 「慈玄……?だめ、だよ?慈斎、さんは……俺を、たすけてくれた、から……」  繋いでいた慈斎の手が失せたので、無意識に探っていたのだろうか。寝惚けてまさぐっていた和宏の手が、慈玄の着物の裾を握った。 「俺、はだいじょぶ、だから……。あと、おかえり……」  それだけ言うと、少しだけ持ち上げた頭を再び枕に沈め、和宏は引き続き睡魔の虜となった。同時に、慈玄の目に宿った強い光が消滅する。座敷は、静寂を取り戻していた。 「……案外すごいね、この子」  安堵よりもひたすら感心したように、慈斎が呟く。 「命拾いしたな慈斎。寝惚けてまで和がそう言うんだ。てめぇは信用ならねぇが、意識朦朧の和が言うなら信じられる。下手に庇ってるのでもなさそうだからな」 「それはなによりで。じゃあせっかくだし、俺の言い分も聞いてもらおうかな。伝えておきたいこともあるから」  着物を握りしめたままの和宏の指を、慈玄は慎重に解きほぐす。そして顎で廊下を示すと、居間へ移るよう慈斎を促した。 「話半分でなら聞いてやる。こんな大掛かりなことになったのぁ中峰のせいだ。てめぇはまだその手先だろうがよ」 「中峰の、っていうより、もともと『アレ』は慈玄が持ち込んだものじゃない。あんたがとっとと山に戻って抑えないからこういう事態になったんでしょ?『アレ』の嫉妬をあの子が買ったのは、紛れもなく慈玄の責任だよ」  慈玄はぐ、と喉を詰まらせる。  事の処理を終えた上、要らぬ激昂までしたために、慈玄の疲弊は著しい。居間に戻ると、重い身体をどっと沈み込ませた。慈斎の方は、和宏と対峙していたときと同様、足を伸ばしてゆるりと畳に座る。 「封印なら、山を出る前に済ませた」 「そこから何年経ってると思ってるのさ。言っておくけど、烏の坊やの時と比較になんないくらい膨張してるよ?交通網が発達した現代は、迦葉を訪れる人間も増えた。『餌』には事欠かないからね」  慈玄とて、それは承知していた。慈海も言っていた。闇の増えたこの現代では、下っ端の者の手には余ると。  通常、悪霊は封印さえされれば、あとは山の霊力によって浄化の一途を辿る。しかし、『アレ』だけは別だった。どういうわけか、闇を磁石のように寄せ集めているのだ。それらを吸収しては、浄化を遅らせている。  元来強い怨みを持つ霊は、それ自体も苦しんでいるのだから、封印の措置を施して道筋を表してやれば望んで浄化されたがるのが普通だ。『アレ』は明らかに浄化を拒んでいる。  と、いうよりも 「決め手に欠ける、か」  浄化を受け入れるための何かが、かの怨霊には欠落しているらしい。引っかかり、とでも言うべきか。それが満たされないことには、浄化されたくともできないのだ。 「だろうね。中峰が慈玄をなにがなんでも封印したいのは、それもあるからなんじゃないの?あの執着っぷりはちょっと異常だよ。錯誤具合もひどい。あんなことを言い出すなんて、ね」  そこで慈玄は、はたと思い出す。

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