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第四章 宵の明星・20

「そーだ!正当な理由だかなんだかはしらねぇけど、なんで和に手ぇ出す真似なんかしやがった!」 「犯せ、って言われたからだよ、『アレ』に」 「なっ……」  淡々と言い放つ慈斎に、慈玄は言葉を失った。 「おい、あまり適当なこと言ってっと、本気でぶっ殺すぞ?『アレ』はただの闇の破片だ、喋るはずねぇだろうが!」 「だから、それが肝要なんだよ。話は最後まで聞くもんだよ慈玄」  はぁ、と慈斎は嘆息して首を振る。 「もったいぶらずに言いやがれ。どういうことだ?」 「和宏君だよ。『アレ』は、あの子の身体を乗っ取った」 「はぁ?!」  状況が飲み込めず、目を白黒させる慈玄。 「やっぱり、そこまで勘づいてはいなかったんだね。何回セックスしたか知らないけど、情けないなぁ」 「んなこと今関係ねぇだろが!」 「大ありだよ。慈玄、なんであの子に惹かれたのさ。あの子の持つ特殊な気に引き寄せられたからじゃないの?」  図星を突かれて、またもや慈玄は返答に詰まる。  きっかけは確かにそうだ。だが、今となってはそれだけに限らない。和宏の言動のすべてが、慈玄に安らぎを与えている。人間の「情」というものを自分も感じ取れるなら、今和宏に向けているものが正にそれであろうと、彼はほぼ確信していた。慈斎にその旨を伝えると、相手は再度呆れたように首を横に振った。 「まったく、おめでたいというか下界ボケしてるというか」 「なんだと?」 「和宏君が面白い……ちょっと珍しいタイプなのは、俺も認めるよ。結構色んな人間見てる俺でも、あまり会ったことのない感じだしね?おまけに容姿だって可愛い。いわゆる『惚れた』感じになるのも分かるよ。けど、慈玄だったら一緒にいる分、もう少しあの子の『気』の本質に気付いているかと思った。……あの子には、憑坐の能力がある」 「憑坐?!」  憑坐の役割は、純真無垢な者にほど向いている。元の意志に「否定」の方向が強ければ、体内に別の意志を受け入れるのは難しい。和宏の性格を鑑み、かつ彼の持つ「聖職の気」を合わせ見れば、可能性としては十分にあり得るものだった。その可能性に些少でも思い至らなかったことに、慈玄は忸怩たるものを覚える。 「そ。それも未発達のね?闇が深ければ深いほど、清らかな『気』に惹かれるのは当然の摂理だよ。『アレ』の断片は簡素化されているからことさら、和宏君の中にするりと収まったんだろうと思う。で、この身体を犯せ、と『アレ』は言ってきた」  もはや慈斎の言葉が詭弁でないことは、慈玄にも嫌というほど理解できた。がくりと肩を落とし、彼は己の浅慮を思い知った。 「それともう一つ。なかなか興味深いことも吐き出したよ?和宏君の気は、巫女のものらしい」 「巫女……」 「憑依した者が言うんだから、多分間違いないだろうね。あの子の前世は透視してみてもあやふやだったけど、『男の巫女』なんて特殊なものだったらそれも納得がいく。性別の転換は見られなかったし」  大柄な天狗は、身体を揺すって唸った。慈斎の言い分は、辻褄が合っている。  襖を隔てた、和宏が眠っている座敷の方を見遣る。普通の少年に、思わぬ負担を強いてしまった現実を噛みしめて。 「と、言うわけで。俺は戻るわ」  慈斎が気怠げに腰を上げる。そろそろ和宏をきちんと起こさなければならない時刻だ。 「和のこと、中峰に報告するのか?」 「さぁねー?俺が気紛れなのは、慈玄も承知してるとおりだよ。一から十まで正確に伝えても、別に何の得もなさそうだけどね」  彼等は、長い間対立してきた。互いが持つ疑念は、一朝一夕に晴れるものではない。  とはいえ、今回慈斎が利己のために和宏に淫行を働いたのではないことは、慈玄も認めざるを得ない。身体の裡という、攻撃できない場所にいる敵に逆らえば、和宏の精神は危機に瀕したであろう。 「やむを得なかったのは判ったが、もう二度と和には近づくな」  判っていながら、慈玄は念を押す。だが偽言癖のある茶髪の天狗は、軽く鼻を鳴らして口の片側だけをくいと上げた。 「うーん、それもどうかなぁ?男とヤッたのは久しぶりだけど、案外悪くなかったからね。精々、報復を受けないようにはしますけども」 「口の減らねぇ奴だな、つくづく」 「そりゃあどうも。まぁそこはおいといても、沙汰なら慈海の方からなにか言ってくるんじゃない?俺は本来、『影で動くべき』だからね」  慈斎の口調に、自嘲めいたものが見えたのは気のせいか。 「和宏を救う」行為は、中峰の知るところとなれば主に対する反旗とも取られかねない。 「じゃ、そーゆうことで」  ひらひらと掌をはためかせて、突然ここに現れた時と反対に慈斎は消えるように去った。慈玄の脳裏に、疑惑と信用という相反する感情を去来させつつ。

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