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第四章 宵の明星・31

「はー、満腹満腹。ご馳走様」 「えへへ、お粗末様でした」  和宏が茶を淹れながら、嬉しそうに笑う。慈玄は食事中通して仏頂面であったが。 「ねぇ慈玄、ほんとに今回限りじゃないとだめ?」 「ったりめぇだ!」 「なんだー、残念。せっかく箸まで用意してもらったのにさー」  くるくると器用に二本を指で回し、慈斎は口を尖らせる。 「んー、俺は来て欲しいけど。あまり慈玄を困らせるのも」  頑なな態度の慈玄に、和宏も眉根を寄せる。 「あ!じゃあさ、お弁当作るってどう?ここに来ないなら、慈玄もいいでしょ?」 「ぅぐっ!」 「賛成ー。そうすれば俺も和の美味しい料理また食べられるし、その上慈玄のぶーたれた顔見なくていいもんね!」 「一言よけいなんだよ、てめぇは!!」  悪態を吐きはしても、慈玄は和宏には甘い。いくら慈斎と二人きりでは会うな、と言っても、完全に制限はできなかった。 「安心してよ慈玄、慈斎には渡すだけだから。慈斎も、それでいいだろ?」 「うんうん」 「どうもてめぇのそーゆう返事は信じられねぇんだよ」  慈玄は独りごちたが、和宏はその決定に満足したらしい。日時だけはまた慈玄に連絡してもらい、下校時に和宏の通学路へ慈斎が出向くという。が、慈斎はここに来る途中、和宏に伝えていた。 「この街に滞在するときは、だいたいここのビジネスホテルを使ってる。何かあったらいつでも来るといいよ」  そう言い、場所を書き記したメモを渡した。宿帳に記載する仮の「フルネーム」を教え、その名でフロントで問い合わせれば良いと。そのことを、和宏も慈玄には黙っていた。後ろめたいから隠す、というよりは慈玄に余分な心労をかけさせないためだ。来るも来ないも、和宏の自由。よほどの事情がない限り慈玄の言いつけ通り、少年が足を運ぶ事はないだろうと慈斎は踏んだ。 「弁当」という名目ができたからには訪ね易くはなっただろうが、それもまた和宏の心持ち次第である。いちいち慈玄に報告する義理もない。 「で、どうなんだよ、中峰はよ」 「さぁ?」  食器を下げ、和宏が台所へ片付けに行ったのを見計らって、慈玄が訊いた。慈斎は気のない返事をしただけだったが。 「さぁ、って。てめぇ、和の味方でいいんじゃなかったのかよ?」 「あくまでも『和の』だよ。あんたのじゃない。慈玄が大人しく帰山すれば、和にはなんのお咎めもないことは確かなんだから」  目線を合わせないままで、二人の天狗は密談する。台所の和宏には聞こえないように。 「と言っても。慈玄が封印される、って知ったら和はじっとしてないだろうけど。正直、今は俺にも完全には読めない、っていうのが事実だよ」 「ははぁ、てめぇも見限られつつある、ってことか」 「その言い方は気に入らないけど、否定はしない。慈海にも忠告されちゃったしね。今こうしてるのだって、別の奴が秘かに監視してるかもしれないし」  とはいえ、小所帯の迦葉には技能の優れた者が少ない。慈玄や慈斎に、気配も感じさせず潜むことができる手下など、ほぼ皆無と言って良いだろう。慈海ならば可能かもしれないが、今更彼が中峰に命令されて監視役を務めるとは考えにくい。だから、二人はまだ現状を軽く見ていた。 「ま、それでも慈海の話だと、一度ここまで下りるってきかないそうだけどね。今のところ何も感じないけど、妙な違和感はあるし。注意に越したことはないかもね、お互い」 「抜かせ。てめぇは自業自得だろうが。だが、慈海が抑えてられんのも時間の問題、か」  顎に手を当て、慈玄は考え込む。  確かに怨霊が和宏らを襲ったあの日以降、奇妙な感覚が残っている。害はないのだが、薄もやのように闇の残骸が残っているといった様子が。 「そういうことだから。慈玄の言うとおり、ここにはもうあまり近寄らないよ。俺と和が顔を合わせるのは、まだ監視の範囲で通せるしね」  口端を上げて皮肉に笑うと、慈斎は腰を上げた。 「ごめん、今お茶淹れ直す……あれ、慈斎、もう帰るの?」  片付けを終えたのか、そのとき和宏が居間と台所を繋ぐ通路から顔を覗かせた。 「うん。ほんと、美味しかったよ。ありがとね?」  ころりと皮肉さを消し人懐こい笑みに変えた面を、慈斎は和宏に向けた。 「ん、弁当も頑張って作るからさ、また食べてよ」 「もちろん。楽しみにしてる」  他愛もない二人の会話を、気難しい表情で、慈玄は眺めた。慈斎の真意が掴めないのもあるが、それより懸念されるのは中峰の出方である。こうして慈斎や慈海の見聞を通して動向を耳にはするが、どうにも「大人しすぎる」気がするのだ。  過去、鞍吉の件は早々に片が付いた。怒りに任せて暴走した慈玄は監禁され、弱体化したところでこのまま封印を、中峰はそう目論んでいたらしい。だが、それを阻止したのは慈玄の旧友であり、また鞍吉を拾い育てた高尾坊や稲城であった。とうに所属を解いていたとはいえ、鞍吉はそもそも高尾の眷属だ。その鞍吉を結果的な過失であっても死なせてしまったつけを、慈玄のしばしの解放、という条件で中峰に払わせた。中峰とて、圧倒的な勢力を所持する高尾を敵に回したくはなかったのだろう。渋々ながら、提案を呑んだ。  転生後の鞍吉を見届ける、という慈玄の要望に加勢して許させたのも彼等だ。その鞍吉が慈玄の手を離れたようである今、中峰にとっては慈玄を帰山させる千載一遇のチャンスなのである。  和宏に対して、高尾の圧力がかかることはない。つまり、なんらかの方法で慈玄から和宏を「引き離して」しまえば、もうなんの邪魔も入らず、手元にすんなり戻せるはずだった。  怨霊を使っての脅しで和宏の意志が揺らがなかったのは誤算だろうが、なればこそ、少々強硬な手段に出てもおかしくはない。それなのに、気配の動きすら一向に見えない。相手が人間故に強引な遣り口は躊躇しているのかもしれないが、なんといっても中峰は「迦葉の頭領」。今や神格化された者の能力は、慈玄達ですら計り知れない。如何様な手口でも駆使できよう。  現状の沈黙はあまりにも不自然だ。慈斎や慈海が口を割らなくとも、あるいは和宏の「巫女の気」を知り様子を窺っている、とも邪推できる。だとすれば、慈斎の言うとおり「別の監視者」の存在を疑うのもあながち思い過ごしではないのかもしれなかった。 「慈玄?まだ怒ってるの?」  慈斎と話していた和宏が振り向き、首を傾げる。その向こうに立つ慈斎が、慈玄に目配せをした。 「あ、あぁいや。ったく、弁当ぐれぇは許してやらぁ!」  いつもの調子で仕方なさそうに言うと、和宏は満面の笑顔で応えた。 「ありがと、慈玄!よかったな、慈斎」 「うん、それじゃ、またあとでね、和」  握手をするように和宏の手を取った慈斎は、それを素早く自分に引き寄せ、こめかみにふわりと口付けを落とした。 「?! っちょ、てめぇ何しくさってんだよ!!」 「なに、って。こんなの親愛の証でしょ?ね、和」  言われた和宏の方は、ぼっと頬を赤く染めて俯いていた。 「ち、調子づくな!!」

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