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第四章 宵の明星・45

「逃げずに来るとは感心だ、小僧。心は決まったか?」  黒い翼の異形を供につけた小さな姿は、その大きさにそぐわず眩い威光を放って現れた。大きく深呼吸した和宏が、一歩前に進み出る。反対に二人の天狗は若干退き、固唾を飲んだ。 「はい。慈玄は置いて帰れません」 「そうか。自分の命は惜しくない、というわけだな?」 「惜しいですよ。一緒でも死んじゃったら意味ないですから。だから、封印されるのも嫌です」  ゆっくり明確な発音で、和宏の声が返す。早くも中峰の様子に苛立ちが見え始めた。 「言っている意味がわからんが?我は慈玄を置いて帰るか、もろとも封印されるか、どちらかを選べと申したのだぞ?」 「どっちも選べません。俺は、慈玄と一緒に桜街に帰りたいです」  中峰を真っ直ぐ見据えたまま、和宏は断言した。言われた方は眉をぴくりと上げ、しかし沈着な音程を崩さず。 「話が通じんな。貴様は、自分の立場がまだ理解できておらぬと見える」  す、と中峰が右手を挙げる。瞬時、周囲の空気が一気に冷えたような感覚。 「お止めください!」  異変に真っ先に気付いた慈海が、和宏の前に躍り出た。少年を庇って伸ばした腕が真一文字に裂ける。 「慈海さん!!」  スローモーションのように、軌跡を描いて紅い雫が地面に落ちた。 「慈海、やはり貴様も小僧に絆されたか。貴様まで我に逆らおうとはな」 「然様なつもりはありません。ここは下界、騒ぎを起こすのは得策ではない、と思うまでです」  右腕を押さえた左手の指も、見る間に真っ赤に染まる。それを目にして、初めて和宏が怯んだ。 「慈海さん、腕っ」 「なに、かすり傷だ。心配は要らん」  腰を落としておろおろと手を出そうとする和宏を、慈海は制した。入れ替わりに彼等を押し下げるようにして、慈玄が前に歩み出た。 「中峰、俺をどうしようと構わねぇ。こんな身体だ、暴走したくてもできねぇしな」 「慈玄」  和宏が、涙を湛えた目を向ける。中峰は冷徹な視線を彼等に投げたまま。 「だがその前に、和の話をちゃんと聞いてやっちゃくれねぇか?」 「聞くもなにも、その小僧とて我の話を聞いておらんではないか」 「聞いてます。聞いてても、納得できないだけです」  慈海の腕を悔しそうに擦ってから、和宏は再び前を向いた。立ち上がり、慈玄の隣に並ぶ。静かな怒りが、彼の声に宿った。 「俺、中峰さんの言ってたことも考えました。罪の償いに、慈玄は山へ封じられるべきだって。慈玄もそれでいいって。でも、やっぱり納得できなかった」  冷えた空気を暖めるような、別の気が溢れ出す。見えない光が満ちるように。昨夜、慈玄の縛めを解き放ったのと同じく。 「俺は、皆みたく力があるわけでも長く生きたわけでもないけど。俺には俺のできる事があるんじゃないかって。封じられず慈玄が償える方法だって、もしかしたらみつけられるんじゃないかって……」 「愚か者が。我がそのためにどれだけ腐心したかも知らぬくせに。人間の、しかもひよっこの貴様に一体何ができる?」  気の流れが渦を巻く。常人には決して見えぬ、しかし確かなうねりを伴い、静寂な闘争を繰り広げる。どちらも、一歩も引かずに。 「俺はもっともっと、中峰さんの話も聞きたい。聞いて、考えて、それから答えを出したいんです。一日じゃとても足りません!」 「貴様に言うまでもない。慈玄は我の僕、我がどういう判断を下そうと、貴様の知ったことではないのだ」 「はい、それは慈海さんから聞きました」  和宏の言葉に、中峰は慈海へじろりと一瞥をくれる。 「ほう?」 「慈海さんは、中峰さんが皆を『救った』のかもしれないって。だったら、慈玄のことだって考えたはずです。封じ込めて、力だけ奪い取るような形じゃなくて、もっと他に慈玄の生きる道を。捕まえてすぐに封じなかったのは、そのせいなんじゃないですか?」 「…………」  中峰は反論しない。表情も変えないため、沈黙の意味は推し量れず。だが和宏は、続けざまにまくし立てた。慈玄も慈海も、口を挟まず耳を傾ける。 「もし中峰さんが少しでもそういう気があるのなら、一人で考えるより皆で考えた方がきっと良い案が出ます。俺も必死で考えます。だからもっと色々聞かせて、教えて下さい。俺の知らないことを、たくさん」 「言いたいことはそれだけか、小僧?」  変わらぬ口調で、中峰は和宏の進言を遮った。再び冷涼な気が、場を支配する。蔑むような憐れむような、複雑な声音で中峰は言った。 「我の考えなど、斟酌せずと良い。人間の小僧がいくら思い巡らせたところで理解の及ぶ話ではないからな。貴様が今斟酌すべきは、我にいつまでもこんな無駄な時間を費やさせぬようにすることだ」  とりつく島も無い。和宏はついに、口を閉ざした。 「そうとも言えないでしょう」  そこへ口を出したのは慈海だった。腕を押さえる手の血糊はすでに乾き、黒く変色しつつあった。彼の顔に、痛苦の色は無い。 「どうにもならぬのならば尚更、貴方様のお考えをこの少年に話しても差し支えないはずです。衆生を教え導くのが貴方様の務めでは?」 「それは受け入れることができる者に限る。この小僧は一貫して、我に刃向かっておろう」 「刃向かってなんていません!」  和宏が声を上げた。二対の金色が揃ってそちらに向けられる。 「刃向かう気なんてないから、話が聞きたいんです」  和宏はじ、っと中峰に視線を注ぐ。小柄な影が大仰に肩を上下した。 「慈玄を解放し続けたいと願う貴様に、なにを話せと?どうあろうと、こやつの罪は消えぬ。それだけではない、こやつの力は、こやつ自身にさえ制御が効かぬ。貴様に何かあれば、暴発し数多の害を及ぼす。烏の小僧のとき同様にな」  里が一つ壊滅した、和宏もそれを忘れたわけではない。唇を噛む。 「おまけにあの怨霊は膨れあがる一方だ。あれは慈玄に執着しておる。こやつが深い想いを懐く相手ができたとすれば、よけいに鎮まらぬだろう。その責任を貴様はどう負うのだ?」 「分かってます。そのひとも、言ってたから」

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