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第四章 宵の明星・47

「一年だ。一年、くれてやろう。おそらくその間、貴様には多大な難が降り注ぐ。それらを処理し、かつ慈玄の暴走を食い止めてみよ。もしそれができず、他の衆生やこの迦葉に犠牲が出たならば、その時は容赦しないものと思え」 「いち、ねん」  それを短いと取るか長いと取るか、和宏は考えあぐねた。 「一年くらいで覚醒が為るとは、到底思えませぬが」  代弁する如く、慈海が間に割った。 「だろうな。しかし悠長に構えるほど、闇の浸食は待たぬぞ?そうだな、ならば慈海、貴様も尽力するが良い。ついでに慈斎も賭けよう。小僧、貴奴等も貴様に虜にされたようだ。責任は同等。一年後、成果がなければ諸共封印してくれる」 「そん、な。慈海さ……」 「私に異存はございません」  和宏の制止を遮り、慈海が即答する。そこに慈玄が重ねて言った。 「あぁ、俺もそれで承知した。もし次に俺が暴走したら、今度こそ観念して帰山してやんよ」  無表情だった中峰の口端が、わずかに上がる。笑ったようには見えなくとも。 「決まりだな。それで良いな小僧?」  確認の口調ではあったが、中峰に有無を言わせる隙はない。俯き加減で拳をぎゅっと握った和宏も、承諾するしかなかった。 「……わかり、ました。ありがとうございます」 「では、楽しみに見物させてもらう。慈玄はもとより、慈海、貴様もしばらく放し飼いにしよう。ただし山での実務を怠らぬ範囲でな」  踵を返しながら通達する中峰に、慈海は少々面食らって返答する。 「は、はぁ」 「慈斎をどこに匿ったのかまだ調べておらんが、それも我は一切手出しせぬ。あやつの力が戻ったら、貴様等から我の意向を伝えるが良い」  すっかり興味を失ったと言わんばかりに、打って変わった投げやりな調子で中峰は背を向ける。挨拶らしい言葉も残さず立ち去ろうとする後ろ姿に、呆然としていた和宏が慌てて声を掛けた。 「中峰さん!あ、あのっ!!」  駆け寄ると、何事かと振り向いた中峰へ、ずっと小脇に抱えたままだった箱を恭しく差し出した。 「ここの饅頭ですけど、皆で食べて下さい!」 「あちゃぁ……」  慈玄が額に掌を当てた。慈海もぽかんと彼等を見つめる。 「なんだ、あれは饅頭だったのか」 「あぁ、俺ももう存在すら忘れてた」  一笑に付すか「ふざけるな」とはね除けるかと思いきや、中峰はぞんざいながらも饅頭の箱を和宏から受け取った。 「ふん、せっかくだから供物としてもらってやろう。こんなもので、我の気を引こうなどと思うなよ?」  辞儀をして顔を上げた和宏には、笑顔が戻っていた。 「そんなこと考えてませんよ。俺未熟だから、中峰さんにもまた助言してもらえたら嬉しいだけです。一年間、よろしくお願いします!」  和宏は再度、ぺこりと腰を曲げる。 「どこまでも食えない小僧だな。我に助言、だと?図々しいにも程がある。その脳天気な面構えを、いつまで続けていられるかも見物だな。……戻るぞ!」  一言も発さず身動き一つせず、影のように控えていた異形の従者を引き連れて、中峰は木々の間に煙のように消えた。完全に姿が見えなくなると、和宏はその場にヘナヘナと崩れ落ちる。 「………………はあぁ……」 「和?!ちょ、大丈夫か?」  すぐさま慈玄が近づいた。 「うん……ちょ、っと、気が抜けただけ」 「そうか、よく頑張ったな?」  ほっと安堵の息を吐きつつ、和宏の頭を撫でる。後から、慈海もゆっくりした歩調で傍に寄った。 「あ、慈海さん、怪我!……ごめんなさい」 「気にするな、もうどうということはない」  腕を捲ると、ぱっくりと口を開けたと思われた裂傷は完全に塞がっており、赤黒くこびりついた染みと一筋の痕を残すのみだった。あのときは、中峰も和宏を一撃で仕留めようとは思っていなかったのだろう。妖力による回復術で十分治癒できる範囲だったようだ。 「でも、巻き込んじゃって」 「そもそも君に着いていたのはこういう事態も予測してだ。むしろ、我等をも消し去るほどの二度目の襲撃は、君が防いだではないか」  和宏の労を讃えるように、慈海は淡く笑いかける。 「さて、と。とりあえず宿に戻りますかね。一眠りしてもっかい温泉にでも浸かってから帰ろうぜ?」  腕を伸ばし、わざとのんびり慈玄が言った。  一年、という期限を区切られはしても、具体的にこの先なにが起こるのかまったく予想もつかない。それは天狗の千里眼をもってしても。 「じゃ、行くぞ和」  先に立とうとする慈玄の服の裾を握りしめ、和宏はふるふると首を振った。 「じ、慈玄、ごめ……こ、腰抜けて動けない」 「中峰の奴、余裕だったな、ありゃあ」 「更にややこしくなった、ことだけは確かだな」 「あー、やっぱそう思うか」  広く大きな背に負ぶさり、和宏は身を縮める。緊迫した場面は今回はやり過ごせたが、先のことは思いやられる。 「慈玄、慈玄も怪我してるのに、平気?」 「あぁ、妖力は万全じゃねぇが、お前を負ぶさることくれぇは俺にもできっからな」  慈玄はに、と歯を見せた。しかし和宏はまだ、身体も心も重い。今後の検討をするためか、慈海が並んで道を下る。 「まぁ、貴様と慈斎、私の封印で事が済むなら結構ではないか」 「お前ね、本気でそう思ってんの?」  彼等の交わす言葉を耳にするだけでも暗澹たる気分になった。慈玄の背に顔を埋めて唇を噛む和宏に、横に立った慈海が気付く。 「和宏君、そう気に病むことはない。中峰様の言に偽りは無いだろうから、君にとっては 大変な日々が訪れるだろうが、信じて乗り越えるのだろう?」 「はい。でも、結局慈海さんたちが封印なんてことになったら」  憂慮の種は尽きない。どんなことが起こるかも分からなければ、無事解決する確証も何 ひとつ無いのだし。 「バッカだなぁ和、なにしょげてんだよ。そんなんじゃ一年持たねぇぞ?俺も頑張ってみっから、お前も元気出せって」 「そうだな。自分にできる事を精一杯考えると言ったのは君自身ではないのかね?」  二人に諫められ、和宏もようやく笑みを浮かべる。頭でとやかく考えていても仕方がない。何事にも真正面から立ち向かおうとするのが、彼の美点だ。 「ん。俺、頑張るな」 「そうそう!お前は笑ってねぇとな?」  星空の白く霞む下に、「せのを荘」の灯籠の灯りが見える。夜明けまでには、もう少し間があった。

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