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My secondary planets 〜宵の明星後日談・8

 別れを名残惜しく思うのも、慈斎には珍しいこと。しかし 「そろそろ時間、かな」  和宏を抱いた姿勢で、空を見上げる。折り合いよく、黒い影がばさりと倒れた草の上に下りてきた。 「話は済んだかね、和宏君」  タイミングの良い慈海に、実は様子を窺っていたのではないかと慈斎は苦笑する。声を掛けられた和宏は、はっと我に返って慈斎から離れた。 「あ、はいっ!慈斎、俺、やっぱり慈斎に話するのが一番安心するかも。だから早くよくなってくれよな!」 「相談相手、って意味で?喜んで良いのかなんなのか」  眉を下げ、困ったように慈斎が笑う。まさか自分が、そんな立ち位置にいるとは彼は思わなかった。 「では、行くぞ和宏君」  来た時と同じに、慈海は和宏を抱き上げた。大きな羽音がして、ふわっと宙に浮かび上がる。 「慈斎っ!待ってるからな!!」  軽く手を上げた慈斎の姿は、あっという間に草いきれに隠れて見えなくなった。 「慈海さん、ありがとうございました」  しがみついた和宏はだが、寂しげに震えた。 「いや。なに、あの通りだ。そちらへ顔を見せるのも、もう何日先でもないだろう」 「そう、ですね。あ、慈斎が来られそうにまでなったら、慈玄に式でもなんでもいいんで連絡して、って伝えておいて下さい!ご飯用意しとくから、って」 「食卓を囲むと、仲良くなる」。先日の話を、慈海は思い出す。長い間、同じ山を拠点としながらまったくバラバラの方向を向いていた三者が、同じ卓の、同じ皿を突く。そしてもう一人、この少年がいて。それぞれ懐いた確執や距離感は埋まらなくとも、和宏という媒体で、彼等は繋がる。  悪くない、と慈海はほくそ笑む。もしかしたら更にもう一人、あの中峰までも。さすがに不謹慎かと思い、心の奥底に沈めたが。  着地したのは、元の「馬隠れの杉」を逸れた雑木林。 「ここから一人で帰れるな?」 「はいっ、ありがとうございました。ちゃんと帰れます!」  ぴょこっと辞儀をして、和宏は弥勒寺方面へ駆けだした。  小さくなる背に、声を投げる。 「気をつけてな!」  振り向いた和宏は、大きく腕を振った。 「ふん、あの慈斎が、な」  与太郎とばかり思っていた慈斎が、和宏には真摯な表情を向ける。高い枝の上から、慈海は彼等を見守っていた。天狗となっては、遠いところまで目が利く。  慈斎は元より、神の式。秀逸な能力を持つ。勉強熱心なのは認めるところだが、言動がちゃらちゃらしていて力を出し惜しみする傾向もある。それが和宏によって、真っ直ぐに、迫り来るなにかに向き合おうとしていた。 「大した子だ、本当に」  既に点となった背中を目視し、慈海は林の方へ戻っていった。  旧参道を往く和宏は、上空の風の音に立ち止まる。省みれば、頭の突き出した高い杉の木。枝葉は広げず、すうっと天に伸びている。 「慈斎、ありがと。慈玄に言えないことも慈海さんに甘えられないことも、慈斎にはなんでか言える気がするんだよな。こんなの慈玄には言えないけど」  ぼそり呟いて、一人で笑った。彼にしてみれば、ここまで出向いた収穫は十分以上にあったのだ。  進む先に、古い山門。潜って、舗装された道路に出ようとしたその時。 「なるほど、慈海が油を売っていると思えば、小僧が来ておったのか」  柱の陰から囁くような、それでいて和宏の耳にははっきり届く、高い声が聞こえた。 「中峰、さん」  風雨に晒され白茶けた門柱に、隠れていた小柄な少年が姿を現す。その見た目とは裏腹に、威圧する厳粛な空気をまとわせて。  身構えじり、と後退した和宏に、中峰は余裕の笑みを浮かべた。 「案ずるな。今日は貴様に手出しはせぬ。言ったであろう、妖は約束も守らぬのかと思われるのは癪だと」  背は和宏の方が高いのに、まるきり見下している体だ。 「慈玄は一緒ではないのか。身の程知らずも甚だしいな。どうだ、妙案は浮かびそうか?」  猫撫で声が、殊更不気味さを増す。 「ま、まだ、なにが良い案かわからない、です」  声と目線を落とす和宏を見て、中峰はますます愉快だと言わんばかりに口端をつり上げる。 「そうであろうなぁ。思い浮かばぬようなら、いつでも慈玄を引き渡してくれて構わぬぞ?貴様も楽になろう」 「そっ、そんなので楽になんかならないですっ!慈玄は渡しません。ちゃんと、考えます」  悔しげに和宏は唇を噛む。 「そうか。まぁ、貴様のところの闇もある。あれはなかなかに手強い。我が探っても、なかなか正体を示さぬからな。どうやら、貴様等の行動に従い、徐々に活発になるものらしい」 「え……」  闇が活動するには「手順」が必要だと、慈斎も言った。もしかしたら、和宏の「覚醒」に関わることなのかもしれなかった。中峰は暗に、それを伝えているように和宏には思えた。 「貴様をここで始末し慈玄の元にでも投げ込めば、あやつは怒り狂ってここまでやってくるであろう。それも面白いが、怨霊の一部を外に放置するのもどうにも寝覚めが悪い。良いか、貴様は『囮』だ」  敢えて侮辱するような口調で、中峰が挑発する。慈玄がいれば、これだけで主に突っかかっていっただろう。しかし人の言う事を素直に真に受ける和宏に、安易に通じるものではない。 「あの、中峰さんは、ほんとに優しい人なんですね」  突如、こんなことを言い出す。面食らうかと思いきや、中峰の方も片眉をわずかに上げたのみだった。 「当然だ。我はこれでも『仏の使い』だからな?」 「お寺で、中峰さんの話を読みました。あんな凄いことしてたんですね」 「さて、どうだったか。大昔すぎて忘れたな」 「こうして俺のことも心配してくれるんですもんね。皆のことも。だから、俺も考えます。中峰さんの手を煩わせないためにもちゃんと」  真剣な眼差しを、和宏は中峰に向けた。とたんに中峰は、興醒めたらしく肩を落とす。 「貴様のことなど、我がいつ気に掛けた?罪人を庇護するのもまた罪人……人間の世界も然りではないのか?我の手を煩わせぬのなら、即刻慈玄を返してもらいたいものだが。まぁ良い」  上方の道路に、人々のざわめきが聞こえる。自動車のエンジン音も。陽は傾き、それぞれ帰路に就くなり、宿に向かうなりしているのだ。誰一人、彼等に気付く者などいはしなかったが。 「貴様を処分しないのは、この人の多さもある。下手に騒ぎを起こすわけにもいかぬしな。下界の件、とくと見物させてもらうとしよう」  背を向けると同時に、中峰は煙の如くかき消える。すぐに消滅したということは、式かなにかで本体ではなかったらしい。 「……っ、はあああぁ、緊張するー!」  つい大きく吐き出した和宏の声に、道行く人が振り向いた。当の本人はそんなことはお構いなしに。 「でも、誰も一緒じゃなくてかえって良かったかも。心配、とりあえずかけずに済んだかな」  独り言を呟くと、ディバッグを背負い直し、アスファルトの道路へ出た。 「帰ろう。慈玄、怒る……だろうなぁ」  日付を跨ぐまでにはならないだろうが、この時間から桜街に帰れば到着は夜遅くなる。駅まで急ぎ、切符を買ってホームに出ると携帯電話が鳴った。 「和!お前、どこにいんだよ!」  第一声がそれだ。スピーカーの向こうで、慈玄ががなる。 「え、えぇー……っと。やま、かな」 「はああぁ、やっぱりかあぁ」  嘆息する様子が、目に見えるようだった。後ろめたさに和宏も小声になる。   「ご、ごめん。どうしても、慈斎に会いたくて」 「おっかしいとは思ったんだよ、勝んとこだったら、勝んとこ行くってはっきり言うだろうし。『友達』なんて曖昧なこと言いやがって」  勝というのは、和宏の親友である。慈玄も面識があった。 「ま、電話に出た、っつーこたぁ何事もなかったんだろ。気をつけて、早く帰って来い」 「ごめんな?帰ったら、ちゃんと怒られるから」  電話を切ると、ちょうど電車が滑り込んできた。  座席を陣取って、和宏は窓の外を眺めた。ゆっくりと流れ出した、青とオレンジのグラデーション。もうすぐ日が暮れる。  今は傍にいない、三天狗を彼は想う。 ── 必ず、和の力になる。  慈斎はそう言った。天狗たちと出逢ったことで、眠っていたものが静かに動き始めた。だが同時に、それがいかなる形で身に降りかかろうと、彼等は和宏と共にいる。  不安と心強さ。絡み合う感情を、和宏は一人噛みしめた。  彼等はきっと、自分を護ってくれる。だからこそ、自分も彼等を護りたい。手段は、今は見えなくとも……必ず。  東の空に、星が瞬き始めた。疎らに散る光は、付かず離れず明星に寄り添っている。 ─ My secondary planets ・完

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