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#2 陽炎と蠱惑

「……」  一瞬で、現実を忘れてしまうような容姿に思わず言葉を失っていた。  声を掛けておきながら、茫然と彼を見つめたままの僕に対し、明らかに少年の眉が不審げに顰められている。  はっと気を取り直し、僕は口から出掛かって止まったままでいた質問をやり直した。 「あの……、2Fの教室って、どこですか……?」 「……ここだけど?」  少年は、あっさり真向かいの教室を人差し指だけぴ、と上げて指差した。姿に違わず、声も幾分中性的で涼やかだった。 「あ、ここなんだ、良かった……」  合っていた、という安堵も手伝い、僕は苦笑いを漏らした。見ればドアの上にも『2F』の札が掛けられている。  そんな僕の様子を見つめながら、少年は「……あっ」と小さな声を上げた。 「もしかして、二学期から来る転校生って、君……?」 「うん、九月からこの学校に入るんだ……」  それを聞いた少年は、それまでとうって変わってくしゃっと頬と瞳を緩ませた。 「俺も2Fなんだ、よろしくね!」  早くもクラスメイトに会えたのと、その少年の笑顔が、予想外に無邪気で可愛いらしかったのが嬉しくて、僕も笑みを零していた。 「先生は? 一緒じゃないの?」 「うん……、さっきまで一緒だったんだけど、部活で何かあったみたいで、行っちゃった……」 「えー? 駄目じゃん! 転校生一人にしちゃ! 俺が案内してあげるよ。とりあえず教室入る?」 「本当? 有難う……」 「松原(まつばら)! すまない!」  少年と教室に入ろうとしたところ、横山先生が息せき切って駆けつけてきた。  だが僕達の状況に気づくと、ぎくっ、とした様相で顔を歪ませて立ち止まる。 「先生……。部活は、大丈夫ですか……?」 「ああ……、体調不良の奴が出たんで、帰らせたんだ。もう大丈夫だ、悪かったな……。……(たちばな)、どうしてここにいる……」  息を整えながら横山先生は説明したが、それが戻らぬまま僕の隣にいる少年に目を向けた。  少年は、先程の笑顔から一転、あきらかに機嫌を損ねたような表情で頸を窓際へ向けて傾けている。 「補習は、確かないだろう。今日はどの科目も……」 「違うよ。図書室に、普通に本を借りに来たかっただけです」 「本当か? ろくな用もなく学校に来るのは……」 「本当だよ、図書室だってろくな用事じゃん! はいはい判りました、もうおとなしく帰りますうー!」  そう言うと、少年はくるりと僕たちに背を向けて歩き出した。  言い掛かりが過ぎたと思ったのか、横山先生は「おい……、」と彼を呼び止めている。その一連の様子を、僕を困惑しながら眺めていた。  これから、彼と先生とで校内を案内して貰えるとばかり思っていたが、その期待が砕かれたのと、二人の険悪とも取れるやり取り。  思わず僕も声を掛けようとしたところ、少年がふ、と振り向いた。  僕の様子が見て取れたのか、宥めるようにくすりと笑っている。  優しく、に見えたが、その唇は、生まれついた時からそこにあるように、蠱惑(こわく)的な曲線を(かたど)っていた。 「じゃあ、また新学期に」  ひらひら、とほそく白い指と手の甲を翻して、彼は渡り廊下へ折れ向かいの校舎へと歩いて行った。  夏の照射に茹だる白い風景に、陽炎が(フィルター)を掛けたように揺らめき、残炎を残している。  その中に、彼の姿が溶けて見えなくなるまで、僕はその姿を()で追っていた。  その後、横山先生に校内を案内して貰った訳だが、その間中、何とはなしに、先程の少年の姿、交わした言葉、そして別れ際の微笑が浮かんでは消え、僕の頭から離れることはないままでいた。

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