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#9 梗介

 呟いたように静かだったけれど、胸に重く沈んで聞き漏れないような低音が背後から降ってきた。 「梗介(きょうすけ)、」  柚弥の顔が、背後を見上げながらぱっと華やいだ。  振り返ると、そこには180cmを優に超えるだろう、長身の生徒が僕達を見降ろしていた。  すらりと均整の取れた体躯だが、肩幅は広く、腕や胸許には無駄のない硬質な筋肉の厚みを纏っている。  首には輪に入った小さなマリアの足許に羽が広がっているような、独特なデザインのネックレスを身に着けており、ハイブランドらしい渋みのある燻し銀が目を惹いた。  艶のある長めの黒髪が首筋にかかり、どこか危うい色気を帯びた翳りを生んでいる。  同じく前髪も気怠く眼許へ流れていたが、そこから覗く眼は驚くほど冷えた色を湛えており、甘さの一切含有しない冴えた相貌は、おそろしく端正だった。  正直、とても優等生や友好的な性質(タイプ)などではなく、一目でその真逆にいる存在だと察せられた。  かなりの長身で確かに圧迫感はある。だが、それよりも纏う空気が何より異質だった。  ただ眼の前にある対象としてその内に据えられているだけなのに、目に見えない鋭さで既に全てを見透かされているような、はっと芯が凍る緊迫を覚える気がした。  柚弥へ呼びかけていたが、隣の僕に対し、見憶えのないものを見る無感動な視線を向けており、内心緊張が走る。  こんな眼をして他者(ひと)から射竦められるのは、初めてのことだった。 「転校生の松原君だよ。裕都君! ……てか梗介、始業式出た? ……出てないよね」 「……ああ。そういえば何か来るって言ってたな……」 「この人、三年の夏条(なつじょう)先輩。付き合い長いから俺タメ口だけど、一応先輩ね。まあ、見れば判るか」  柚弥が紹介してくれ、僕は「松原です、」と軽く名乗った。梗介は一応視線を合わせてくれたようにも見えたが、もう興味なさそうにあらぬ方向を眼を向けている。  ちゃんと聞いてよ、柚弥は梗介の腕を引くように掴んで笑い、彼の性質に慣れているのか、屈託なく続けた。 「席、俺の隣なんだよ」 「…………へえ。それは災難だな。せいぜいこいつの毒牙に掛からないように、気を付けな」 「毒牙!?」  思わぬ言葉の選択に僕が驚くと、柚弥は「やめてよ、」と可笑しそうに梗介の胸を小突き、梗介も口許だけ皮肉げな笑みを微かに流していた。 「酷いなあ、梗介も。俺を何だと思ってるんだよ。ねえ梗介、もうお昼食べた? 俺まだなんだよ。タカシさんとか、何か持ってないかなあ」 「知るかよ。自分で確認しろ。……そういえばお前、今日一件入ってたぞ。——」 「……ああ、ねえー。じゃあ今から、ついでにちゃんと確認してこようかな。裕都君、ちょっと俺、今からこの人のところで用事済ませてくるね!」 「バイト、してるの……?」  何気なく尋ねてみたら、二人はこちらを見た。  柚弥はくすりと唇を緩め、 「うん、ちょっといけないバイト……。——秘密ね」  そう言って人差し指を唇に当て、どこか魅惑的に微笑った。  え……と思わず問い返しそうになったが、既に柚弥は梗介の隣に並んで振り返る。 「有難う、裕都君。お昼ちゃんと食べるから。また、後でね!」  にこやかに手を振り、柚弥は三年の教室と思われる方角へ弾むように向かった。  梗介は冷めた一瞥をちらりとくれたが、背後へ向き直り、こちらも振り返らず柚弥に続いて歩き出した。  去っていく二人を見送ったが、職員室へ用事があったことを思い出し、僕も慌てて踵を返した。  この時、僕は何も知らないでいた。良いバイトがあれば、紹介してもらおうかなんて、呑気なことを考えていた。  背後で、追いついた梗介に振り返り、隣に並んで柚弥が親しげにその腕に腕を絡める。  そんな光景にまるで気付くこともないままに。

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