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#54 ここに来た理由、あの場所へ行った衝動
呼ばれるまでは横を向けていた顔が、今は静かに、僕の意志を漏れなく汲み取ろうとするかのような、澄んだ瞳で見つめている。
「…………どうして、梗介のところになんか行ったの」
「……」
彼が僕の部屋 に来た理由が、解った気がした。
さっきまでの子供みたいな無邪気を既に隠し、不要な高揚を取り去った真摯さすら見える表情から、そのことを窺い知ることが出来た。
余計な感情に捕らわれていた僕も、たちまちにそれが引き潮のように退いて、こころが透り、平静になっていくのを感じる。
「…………うん」
それでも僕は言い淀んで、直ぐには彼に『答え』を打ち明けることが出来なかった。
「ひと目見て、明らかに友好的な人種ではないことは判ったでしょ? 何も考えず紹介しといて何だけどさ。生徒指導の先生すら、『あ、すみません』とか無意味に謝って、避けるような奴なんだよ。梗介は」
「うん……」
対外的な面を除いても、梗介に対する本能的な畏れは、一目見た時から肌を刺すような直感で受けた。
それでも、あの場所へ行った衝動は何だったのだろう。
あまたの奔流で押し流されそうになりつつあるそれを、彼に納得が出来るように、そして僕自身も自分の感情 へ、もう一度問うように、紐を解くように辿ってみる。
「先輩の、言った通りだよ……」
「……」
「単純に……、…………君のことが知りたかった」
ベッドサイドにいた柚弥は、少し退いてサイドテーブルを前に座り直していて、
肘を乗せ、呆れたように溜息を空気の中へ吹かせた。
「それにしても、チャレンジャーがし過ぎ……」
「……」
「あの人は、あれで結構沸点が高いと思うんだよ。基本興味ない ことは眼中に入れないし、悪戯で本気でも、あの人の脚の先に引っ掛かろうとする奴なんか、まず居ないからね。
それだから……。もし、あの人の何かにふれたら、俺もちょっと、その時はどうなるか判らないよ。
……解る? 中々帰って来ないと思って、屋上見上げた時の俺の気持ち。心臓、停まるかと思った」
「……心配かけたのは、ごめん」
「そうだよ。もう、絶対にしないで」
心配を越して睨むような柚弥の視線は、肌に沁みるように伝わった。でも……。
「それでも……」
「……」
「それでも、行くのはもう、止められなかった……」
柚弥は、横を向いてまた溜め息を滲ませた。
「昼休みに、君のことを沢山聞いて……。君のすることや思っていることには、凄く夏条 先輩が深く関わっていて、
君にとっていかに先輩が大事か、自分の存在意義と同義くらいに想っていて、焦がれているかはよく解ったよ。
でも、それはどうしても君からの観点だったから、先輩がどう思っているのか、同じに君の想いへ応えてくれているのか、判らなかった。
それでもし少しでもそうじゃなくて、君が辛いとか、本当は傷ついているのに、
柚弥君が、"柚弥君で在 る"のがつらい、ていう部分があるのなら、それは……。
そこだけは、納得が出来なかった」
「……」
「だから、行ったんだけど……」
「……」
「そしたら、 結果見事返り討ちに、遭った訳だけど…………」
今となっては、思わず笑いが漏れてしまうくらいの落とされぶりだったから、そうなっていた。
柚弥は苦虫を噛んだように天を仰いだ。
「笑い事じゃないよ。ほんとやめて。あの人、見た目を裏切らず、小学生くらいからその辺の名のあるチーム、気付いたら一人で消してたような人だから。……昔、お父さんに何かの拳法習ってたことあるみたいだし。まあ、素人にとか、騙し討ちみたいな真似は、案外絶対しない人だとは思うよ。……多分、血筋から。
でも、それで甘く見たら、息吸っただけで万倍で返してくるよ。本当裕都君、何もなくて本当に良かったよ……」
「はい……。もうしません……」
身のこなしが明らかに素人のそれではなかったし、"喧嘩経験ほぼゼロ"の僕が、それは到底太刀打ち出来る訳がなく、その相手を単身で呼び出して、今更になって背中にうす寒いものを覚え、直視出来ず笑いで逸らすような有り様に、
柚弥の呆れはますます増したようで、顔の中の苦虫は消えなかったが、それでも知りたかった本題は忘れなかったようだ。
「…………それで、何か解ったの。そこまでして、梗介のところにまで行った結果は……」
問われて、僕も自嘲の笑いが消え、夕方の屋上での有り様を、
光、風、匂い。梗介の眼差し、言葉。繰 るように思い返してみる。
「正直……」
「……」
「正直、 よく解らなかった…………」
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