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#56 後悔、してない

 後悔。それはもう少し前から、背後について回っていた気がする。  昨日、放課後に君の"あの"姿を見て、  昼休みに君の"なか"をこじ開けようとして、僕の掌に、ほんの少しだけど、その血潮が滴って、その(くれない)と熱さに、心が沁みた。  僕から離れた君に構わず、君の大事な人のところへ行って、『君達の場所』に、土足で足を踏み入れようとした。  君達の、"誰にも立ち入れない聖域"を汚そうとした僕は、完膚なきまでにあの人にのされて、梗介(かれ)の魔薬のようなうねりに、呑み込まれそうになった。  全部。全部僕が脇目も振らずに招いた波紋で、少なからず君達に、大事にしていた世界を揺るがす騒めきと、かたちはなくとも、きっといくばくかの犠牲を与えた。———だけど。 「柚弥君に心配掛けて、先輩にも迷惑ぶつけた。……だけど、ごめん。 あんまり、後悔してないんだ」 「……」 「先輩が、答えをくれたんだ。揺れる君のことを見て、君と、その先にある先輩の、ふたりの本当が、知りたかった。 それを、きっとほんの少しだよ。だけど先輩が、見せてくれたんだと思う」 「……」 「きっと、やっぱり先輩が言ったのが、正しいんだよ。 君達は、だって。 揺るがない、ふたりの姿、ていうのか」 「……」 「……柚弥君は、僕からいきなり、真正面から何んにも知らない、至極単純でな面指されて、動揺しただけだ。 …………何か言われたからって、変える気ないでしょ? これまでの生き方とか、急に、真面目に行動改めるとか……」 「———うん。 ないね。特段」  慮る表情から、素の彼を思わせる醒めた色がすっと見えて、それがむしろ、納得出来るように僕の胸に入る。 「うん。だから良い。 後悔は、してない」 「…………」  僕の表情(かお)を見る柚弥のそれから、自分がどんな表情(いろ)を浮かべているのか、判るようだった。  とうとうつく溜め息も尽きたといった様子で、頭に浮かぶ概念を、的確な言葉で表すのに難儀しているような、またさっきとは違う苦虫を噛んだような眉を指で覆いながら、柚弥は絞り始めた。 「…………裕都君は、始めは割と大人しくしてて……。優しくて、控えめな子かと思ってたけど……」 「……」 「大物過ぎるのか、結構……、いや大分? 図太いのか、はたまた鈍いのか…………」 「大物は知らないけど、図太いし、鈍いよ。 知りたいと思うと、周りの余計なこと、考えなくなる。あと、——物凄く頑固だ」 「自覚がないのは余計だな。裕都君がとりあえず大物なのは、よく解ったよ。 ……だけどだよ? 相当危ない橋というか、橋ない所を、とりあえず超人的な力で、一個飛ばしとかで奇跡的に跳んで、何とかかいくぐって来たようなもんだよ。 裕都君があまりにも大物でチャレンジャー過ぎるもんだから、多分梗介は、見えないけど、無意識下でも動揺した、というか相当混乱したと思うよ。でなきゃ何かしない、おかしなことになったんでしょ?」 「……おかしなことになった」 「でしょう!? 何があったか聞きたかないけどさ」 「いや……、きっと思ってるよりは、何も進んでないよ……」 「どっちでも良いけどさ。その梗介がだよ、もう裕都君のチャレンジャーさが凄すぎて、訳解んない混乱来たして、その、もしもだよ? もしもその『進んでない』の"その先"まで、無理矢理行っちゃったりなんかして、 裕都君が本っ当に、危ない目に遭っちゃったとしても、裕都君は、良かった訳…………!?」  甦る。梗介のあの、彼の吐く煙みたいに妖うい視線と絡みつくような輪郭(かげ)。  少なからず、それも蓋をしていた。  梗介(かれ)は、何もなんか抱いていなかった。  だのに想い浮かべれば、身動き一つ取れずにいた腕のなか、諦めの果てにいっそこの身を委ねて、あの毒の潜んだ蜜の底に沈んでしまいたくなるような、酩酊した甘い疼きが胸を掠めて、 その底に沈んだ時の心地を想うと、戻れなくなりそうで途端に打ち消したくなる。 「…………確かに、夏条(なつじょう)先輩の毒気は、凄まじいものがあったけど……」 「いや知らないけどさ……」  それでも、僕はかろうじて、定まっていた筈の答えを、しがみつく迷いを振り払うようにして絞り出す。 「——……まあ、 場合によっては…………」  勿論、先輩の方から願い下げだと思うよと、そう付け加えたけど、 柚弥の開いた瞳と口の大きさから、彼にはあまり聞こえていないようだった。

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