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「では、行ってまいります」

あまりの近さに驚いて、言葉の意味を飲み込めないままに頷く春吉の頭を乱暴に撫でると、成明は去っていった。撫でられた頭にそっと手を乗せてみた春吉は、予感を確信に変えた。 *** その日、家族は空棟へ居住を移された。空棟と言っても、家族それぞれが二部屋ずつ与えられてもまだ空き部屋があるほどの棟で、そこは全て好きに使っていい、と言い渡された。父はありがたいと手を合わせつつも、いよいよ園が宗明の下へ奉仕に上がるのだろうと娘を抱きしめ、謝った。園は静かに微笑み、父の背を慰めるように撫でる。それを眺める春吉は、自分が違う世界に漂っているような心地に戸惑っていた。昼間の出来事が、自分の足を地面から浮かせている。それは風が吹けば、その通りに流れるための準備のように思われた。 「失礼する」 大きな包みを抱えて、隆敏が家族を訪問した。慌てて迎えた父と、茶の用意をした姉に気まずそうな顔をした隆敏が春吉を見る。それで、春吉は自分を運ぶ風が吹いたと悟った。 「この着物に着替え、俺と共に宗明様のところへ参れ」 隆敏が用意したそれは、豪奢な女物の着物であった。それが、春吉の前に置かれる。 「あの――」 事態を飲み込めない父が、園が、隆敏を見る。苦い顔の隆敏からそれを受け取り、春吉はすぐに袖を通した。 「もし、僕が断ったら、どうなりますか」 隆敏は目を伏せ、何も答えない。それに笑みを浮かべ、春吉は父と姉に向かって一礼をした。 「では、行ってまいります」 呆然としたままの二人を残し、顔を隠すために着物をかぶり、隆敏に連れられて渡り廊下を進む。初めて会った時、宗明は姉ではなく、自分を見つめていた。その視線の強さを覚えている。覚えている所ではない。しっかりと、刻まれていた。あの時、チリリと胸の中に焦げ付く気配を感じたことは、幻ではないと確信しながら一歩一歩、進んでいく。隆敏が、姉にではなく自分に着物を渡したときに感じた優越感。あれは、何が起因しているのか。それを認めてはいけない気がしながら、春吉は隆敏に促されるまま、宗明の寝所へ足を踏み入れた。

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