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晃と吉信、そして僕。 2

その日の午後、結局検査薬を買いに行かずに直接病院に向かった。 晃の体調が少し回復したのと、買いに行くよりも正確だろうと言うことで、初診でも午後一番の診察に滑り込ませてもらえたのだ。 オメガ専用の産婦人科である。車を使う距離ではあったが、住んでいる地域に専門の病院があったことは幸いだった。 「うん、丁度5周目位だね。これから少しずつつわりも始まってくるから、大変だろうけど頑張ろうね。」 にこりと柔和な笑みを浮かべたのは、自身もオメガとして出産経験のある医師だった。オメガの出産は女性のように10ヶ月程で生まれるのとは違い、8ヶ月で出産する。小さく産んで大きく育てるというのが常である。 陣痛から出産までの時間がかなり長く、大変な戦いになることを伝えられたが、二人に怯えの顔は無い。あるのは内側から膨れ上がるような幸せと愛しさのみだった。 「俺、ちゃんとできっかな。元気に出てくるかな。」 「大丈夫。旦那さんがついててくれたら百人力だよ。それに君は若いからね、産後の回復もきっと早い筈だよ。」 優しく下腹部を撫でる新米の妊夫の頬は薔薇色に染まり、目端から滲む涙を拭った。番である美丈夫は真剣にメモをとる姿が少しだけおかしくて、医師は旦那さんのサポートもしっかりとお願いしますよ、と発破をかけた。 「君たちと同じ時期に出産が被る番がいるから、もしかしたら仲良くなれるかもしれないね。」 「そうなんですか?ちょっと心強いな。そうか、話せたらいいな。」 「これから検診もあるだろうし、きっと話せる機会もできるハズさ。男夫婦どうし仲良くやるといい。」 医師から教えてもらった日常生活で気をつけることや、摂取してはいけないものなどは片っ端から吉信がメモにペンを走らせていた。新卒時代を思い出したようで、医師を見る目が途中から完全に上司を見る目に変わっている。 晃はそんな番の様子を呆れつつも嬉しそうにしていた。お腹の子供は二人の愛の形だ。ゆっくりすくすく育ってくれ。そして出会える日にはげんきな産声を聞かせてくれ。 まだ鼓動も何も感じない腹ではあったが、ポカポカと暖かい。これから来るであろう日々が楽しみで仕方がなかった。 晃と吉信の最近のスマホの検索履歴は、もっぱらこれだ。 つわり、いつまで。 検索結果によると、あと一月程。5ヶ月頃には落ち着いてくるという。ただし多くが女性の場合であり、オメガは当てはまらない事も少なくないという。あの柔和な医師によると、自身の体験談では半年くらいはきつかったと言っていた。ただし、あくまでも自身の体験談であり、検診に来ていた他の妊夫は4ヶ月で終わったものもいた。 「う"ぉえ…、む、…きつ…」 「大丈夫か…横になったほうがいい…」 「しぬ…きつい…二日酔いより酷い…」 「ああ…可哀想に…酒精よりも酷いのか…」 日に2時間はトイレと愛し合っている。吉信が仕事でいないときは、トイレのそばで栄養補給をし、その5分後にまたトイレにいったりと忙しくて仕方がない。 吉信が長期の出張を会社に言って取りやめてもらっているので、長く晃を一人にさせるという事は少なくなったが、その代わり休日以外は帰ってくるのも遅いのである。 今日も22時を回って帰宅したら、トイレから晃の足がはみ出ていたので戦慄したところだった。 「うう…辛い…お腹ぐるぐるする…腰痛い…」 「飯は食ったか?抱き上げるぞ、つかまれ。」 ぐったりと顔色も悪く、体重も妊娠しているにも関わらず前と同じか少し軽い位だ。腹は順調に育っているようで膨らみが見て取れるが、親である晃のたりない栄養までしっかり吸収しているらしい。我が子ながら大食らいだと感心する。 「そういえば。正親くんとこの忍さんも同じ状況らしい。唯一食べれるのがふやけたポテトフライとか言ってたから買ってみたんだが…いけるか?」 「…久しぶりのジャンクの匂い…気持悪くならない…」 ソファに横抱きにするように晃を抱えると、がさりと音を立ててビニール袋から取り出したのは有名チェーン店のポテトフライだ。しっかり湿気って冷めており、あまり旨そうにも見えないそれの匂いを恐る恐る確かめる。 晃の胃袋が拒絶反応を示さなかったのでお許しが出たようだ。吉信がつまんだしおしおのそれを、晃が薄い唇に挟んでもくり、と食べた。 「どうだ?気持悪くならないか?」 「うう…すまん…こんなのしか今は口に入れられないなんて…つわり収まったらしっかり栄養補給するから今はゆるしてくれ…」 晃が心底申し訳ないと腹の中の子に謝りながら口を動かす。吉信としては、久しぶりにしっかり咀嚼する晃の様子にホッとして一安心だ。 「ポテトも野菜ポテトは野菜。」 「そうだ、野菜だ。栄養だってたっぷりに違いない。一箱全部食えたら食うんだ。」 「でんぷんおいしい…」 「俺はお前が食事してるところを久しぶりに見たよ。」 いつも帰りが遅いため、なかなか向かい合ってご飯を取れない。ここ最近は、晃が作って食べきれなかったお粥やくたくたのうどんばかりなので離乳食の練習でもしてるのかと思ったら、本人の食事だということがわかって衝撃を受けたばかりだ。 素材の味を活かしすぎていて吉信には物足りない。 残った離乳食もどきに味を足して残さず食べてはいるのだが。 「も、いーや…あとは明日食べる。」 「まさかこのパッケージにラップをかける日が来ようとは…」 食べ残されたしおしおでおいしくなさそうなポテトは、小皿に入れられラップをかけられて明日の晃のおやつになる。まさかの高待遇である。ポテトも驚いているに違いない。 「吉信…晩御飯つくった。」 「悪阻で辛いのにか?頑張ってくれてありがとう。」 「味は見てないけど、カレーなら間違いないでしょ。」 「お前が作ってくれたんだからなんでもいいよ。」 久しぶりの離乳食もどき以外の料理である。 本当は温めて食べたいけれど、温度が上がって匂いが広がると辛そうになるのはわかっているので冷たいままだ。 晃は申し訳なさそうな顔で温めなよというが、吉信が我慢することで晃の具合が良くなるならこれくらいどうということもない。 パパも頑張るので、ママの悪阻を早く良くしてやってくれ。吉信の膝に頭を乗せてうとうとする晃の頭を撫でながら、まだ見ぬ我が子にお願いした。

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