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第29話

「大丈夫だった?怪我してない?」 「だ、大丈夫」 さっきのことが頭から離れず、まだぎごちない奏斗を優也は優しく抱きしめる 温かい体温と洗剤の自然な匂いが、どくどくと煩い奏斗の心を落ち着かせた 「もう、いい。帰ろ」 「本当に大丈夫?手、震えてるよ」 「いい…もう帰る…」 あまりの温かさに気が緩んで涙が出て来そうになるのをじっと堪えて、歩きだす 今は一刻も早く家に帰って1人になりたかった  ガチャ 重たいドアを開けて家に入る 時刻は夕方 窓から差し込む夕日の明かり以外は暗いままのリビング 今日は父はいないのか人の気配がひとつもなかった リュックを部屋に置いてからキッチンに向かう おもむろに冷蔵庫を開けて中にあったジュースを取り出した とくとくとグラスにジュースを注ぐ 誰もいない薄暗い部屋にはその音しか響かなかった 並々とグラスに入れたジュースをそのままグイと口に流し込む 味なんてわからないくらい、勢いよく。 ごくごくと喉が鳴る。 あんなに注いだジュースは、たった数秒もたたないうちにグラスを空にした だが何かがおかしい ………足りない……… 確かにグラス一杯分を一気に飲み干したというのに奏斗の喉は潤うどころか、なぜか渇く一方で。 奏斗は次々とグラスにジュースを注いでは飲み干すが、喉が潤うことはなかった もう一杯 足りない もう一杯 繰り返していけばそのうちビンに入ったジュースも底をつきたところで奏斗の手はやっと止まった 「うぷっ、ゔっ…お"ぇ"」 奏斗は吐き気を催し口を押さえ、すぐそこのシンクに俯いては先ほど飲み込んだはずのジュースを一気に吐き出した ごぽりと口から溢れ出た色のついた液体はそのままシンクの穴に吸い込まれるように消えていく あれほど勢いよく飲んだのだ 大量の水分がいきなり入ってきて体が耐えられなかったのだろう 「ゔっぷ…げほっ」 全てのジュースが体外に出るまで吐き気は止まらなかったが、全て吐き出してしまえば、また奏斗の喉はカラカラと水分を欲した おかしい シンクを抱えて俯いていた奏斗はずるりと力なく床にへたり込む しばらくして息を整えて立ち上がると今度はシンクの水道を捻り、出てきた水をグラスに入れては飲み始めた おかしい 頭ではわかっているのにグラスを傾ける手は止まることはない 飲んで、吐いて また飲んで、また吐いて 吐く間際にフラッシュバックする学校での光景 イカれた奴らに体を弄られ、体中の傷を睨め回す鋭い目、腕を押さえつける大きな手 考えれば考えるほど喉は渇く 永遠と水道から流れ続ける水を、まるで体中の汚れを洗い流すように奏斗は飲み続けた どれくらい続いたか 不意にフッと握っていたグラスを誰かに取り上げられた 「………っ、……!!」 横で誰かの怒鳴り声が聞こえるが、音がくぐもっていて誰の声かわからない 視界もモヤがゆらゆらと揺れているようでよく見えなかった 「げほっ…たりない……」 グラスが目の前から消えて注ぐ入れ物がなくなったから、と、今度は自分の手で器を作ってそこに水をためて飲もうとした だが誰かに腕を掴まれ、手に溜まった水はバランスを崩し、指の隙間から逃げてしまったため飲むことが叶わなかった 「……さ…、に…さ」 「…もうやめろ!奏斗!!」 その声に奏斗はハッとした グラグラと回る視界で声の主に振り向き我に返る 正気に戻ったおかげか、ぼやけているがそれは晶だと認識することができた 晶は奏斗の腕を掴み、困惑と、驚きと、そんな表情で奏斗を見ていた 「いったい何してるんだ…!手が震えて…顔も、真っ青で…」 「げほ…っ!触るな!」 晶が奏斗の顔に手を伸ばしてきた時、先ほどの血まみれの晶の拳を思い出し、反射的に晶を突き飛ばした 晶はフラつき、奏斗も体がうまく動かせないせいで一緒にフラついた 「兄さんっ、今はそれどころじゃ…」 「ぜんぶ、ぜんぶお前のせいじゃないか」 晶はまた奏斗に近づこうとするが、奏斗はそれを拒絶し、距離をとる 奏斗は本気で怖かった それでもふらふらとよろつく体では精一杯睨みつけることでしか威嚇ができなかった お前もその手で俺を殴るんだろ その手で俺を押さえつけるつもりだろ そうだ、こいつもあの男と一緒だ 「…どけ」 「にいさん…今はとにかく安静に…」 「どけって、言ってんだろっ!」 奏斗は強引に晶を押し退けて、一目散に家の外へと飛び出した 晶を押し退けた際、ドンっと鈍い音がしたが、今はそれを気にしてはいられない 外にでても、しばらく晶が奏斗を追いかける気配がしたため必死に走った 早く、逃げなきゃ 息が切れても、苦しくなっても奏斗は走り続けた いつしか奏斗を追いかける気配はなくなり、その時やっと奏斗は足を止めることができた

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