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第47話
「兄さんっ!!」
道端に座り込む兄の後ろ姿を見つけすぐに駆け寄るが、兄はまるで晶の声など聞こえていないようで、晶を一目も見なかった
不審に思い、さらに近づくと、兄の前に1人の男が倒れていることに気づく
それが優也だということも、すぐに気づいた
「…っ!」
「…や…ゆうや……」
倒れている優也の姿はあまりに酷く、目が向けられない程だった
一目見ればもう助からないと、わかるほどに
だが兄はそんな優也をしきりに揺さぶっていた
優也の名を何度も呼びながら、もう起きるはずのない冷たくなった優也を、ただ虚な目で見つめていた
まるで死など理解できない子供のような、そんな表情だった
「にいっさん…」
「…あっ…」
兄は額から血が出ていた
とにかくこのままではいけないと思い、晶は兄をそこから引き離すため立ち上がらせようとするが、兄は裸足で靴など履いておらず、フロントガラスの破片などで傷だらけなことに気づき、咄嗟に抱き上げた
兄は優也の元から離れると名残惜しそうに手を伸ばしたが、晶はそれすら無視して連れて走った
「ごめん…ごめんにいさっ、ごめん」
「………」
何度も何度も謝りながら走った
腕に抱かれる兄は、その謝罪に反応することなく、晶の肩ごしにまだ倒れたままの優也の姿から目を離さずにいた
後に警察が追いつき、晶と奏斗は救急車に乗せられた
奏斗は晶と違い前部座席に座っていたが、優也の体がクッションになったのか、軽症で済んでいた
額の傷も、ガラスの破片などが掠っただけで深い傷じゃないと説明され、晶は安堵で崩れ落ちた
義父の方も重症ではあるものの奇跡的に命に別状はなく、しばらくすれば目を覚ました
医者は奏斗の容態で薬の過剰摂取の痕跡があると言っていた
種類は睡眠薬と催眠薬の2種類で命に特別害はないが、短期間に渡って多く摂取すると、奏斗のように意識が曖昧な常態がしばらく続くのだそうだ
傷の方は安定したが、薬がまだ体に残っていると言われ、念の為入院させるか聞かれたが、晶はそれを断り、奏斗を抱えて家に帰宅した
意識が曖昧だということは、まだ奏斗は何も理解できていない
優也が亡き人になったことも、義父が捕まるということも…
義父は虐待に加え、今回の暴走も含め、複数の条例違反が挙げられ、逮捕されることとなる
おそらく、傷の治療が終わればそのまま刑務所に送られるだろうと、警察側から説明された
そんなこと、今の奏斗には話せない
きっとそれを知ってしまえば、少なからず奏斗はショックを受けるはずだから
せめて目が覚めるその時まで、夢を見たままでいて欲しい
無理矢理起こして、こんな悪夢を見せるなんてこと、晶にはできなかった
しばらくの間は忙しくなるだろうが、なるべく奏斗の側にいることにした
「兄さん?着いたよ」
歩くにはまだおぼつかないため、抱き上げたまま連れ帰った奏斗は、家についてもぼーっとしたままだった
なんの反応もなく、まるで人形のような奏斗にズキリと胸が痛んだ
奏斗の手足は痺れて上手く動かせないようで、奏斗の代わりに晶が靴を脱がし家に上がる
「まずは風呂に入ろう。兄さん、服脱げる?」
聞きはするがもちろん反応はなく、ひたすら目の合わない奏斗の服を結局、晶が脱がした
一枚布を捲るたびに痛々しい傷が肌に浮き上がっていて、思わず視線をずらした
だが、この傷一つ一つが奏斗の苦しみであり、その苦しみの跡は身体中にある
今まで晶は虐待のことに気づかなかった
晶が見て見ぬ振りをし、奏斗の気持ちを踏み躙った証拠だ
目を背けてはいけない
認めなければならない
今度こそ、奏斗が苦しむことがないよう、見て見ぬ振りは、できないのだ
晶はまっすぐ奏斗の身体を見る
目立つのは傷だけでなく、痩せて骨が浮き出た腹、細い手首
今まで見えなかったものが一気にクリアになり、晶は顔を歪めた
そして優也がつけたであろう、奏斗の首筋には白い肌によく目立つ、赤いキスマーク
それを見た時、怒りでも、悲しみでもない、何かが心でざわめいた
優也のやったことは許せないが、奏斗を本気で愛していたんだろう
奏斗に残されたキスマークはまるで愛おしむように、何回も、何十回も、同じところに重ねられていた
もはや真っ赤に鬱血した跡は、しばらく経っても消えることはないだろう
それを見れば、優也が奏斗に向ける愛の大きさが見て取れてしまった
やり方は間違っているが、少なくとも優也は奏斗を救おうとしていた
自分の人生を犠牲にしてまで、奏斗を義父から引き剥がした
それまで虐待に気づきもしなかった晶と優也では天と地ほどの差があるのだ
それに気づいた晶の心は、どこか言い知れない複雑な感情でいっぱいになった
奏斗を浴室まで連れて行くが、やはり洗うのは晶だ
奏斗の傷が悪化しないよう、丁寧に洗っていく
洗剤が沁みて痛いのか、奏斗は多少身じろぎはするものの、暴れることはなかった
静かな浴室にはシャワーの音と2人の息遣いしか聞こえない
そんな中ふと少し前の光景を思い出す
頭の中では未だうるさくサイレンが鳴り響いていた
だが現実は、目の前にはあれほど望んだ兄の背中がある
意識した時にはすでに、晶の目から涙が溢れていた
やっと奏斗を取り戻せたという実感がドッと押し寄せてきて、今までの不安も恐怖も、全て涙とともにシャワーに流れていく気がした
そう思うとじっとしてはいられず後ろから奏斗を抱きしめる
触れ合う肌から伝わる体温は、紛うことなき本物で晶を現実へと引き戻し、さらに涙が溢れ出す
奏斗はただ黙っていた
「生きてて…ほんとうに、よかった…」
か細く放った言葉はシャワーの音にかき消されていった
いまだ曖昧な意識の中にいる奏斗には、その声は聞こえていただろうか
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