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第51話
「忘れ物とか大丈夫?」
「はい」
宮本さんはトラックに詰め込まれる荷物を見ながら晶に聞く
先ほど部屋をくまなく見て忘れ物はないことは確認済みなので晶は迷いなく返事をした
今日無事に引越しに必要な荷物を運び終わり、引越し先にもある程度の家具がすでに備わっているので、あれらのほとんどは廃棄となるだろう
そしてついに晶と奏斗が移動する日だ
問題は奏斗を外に出して大丈夫なのか
それだけが心配だったが、最近の奏斗のメンタルはかなり安定しているので、やるなら今日しかない
晶以外の人、特に男に会わせるとパニックを引き起こしかねないので移動は宮本さんが車を出してくれることになった
「兄さん、入るよ」
2階に上がり奏斗の部屋に入る
あの日から奏斗は部屋にこもってはいるものの、鍵をかけることはなくなり、晶も自由に出入りできるようになった
晶が入っても奏斗はなんの反応も示さないため、相変わらず意識はハッキリしていないのだろう
1日に何度か部屋に様子を見に来るが、ほとんどの時間をベッドの上で過ごし、食事やトイレの時のみ立ち上がる
今もベッドの中にいるようで、近づくとビクッと震えるのが見えた
「兄さん、大丈夫だから。ね?」
晶は毛布ごと奏斗を抱き上げると部屋を出て急いで宮本さんの待つ車へ向かう
今は大人しく抱かれてくれているが、いつ暴れ出すかわからないため、落とさないようギュッと抱きしめる
「っ、ん…」
「大丈夫、怖くないから」
抱き上げた奏斗は信じられないほど軽くて、少しでも力を入れすぎれば折れてしまいそうなほど細かった
晶は足早に、かつ慎重に階段を降りる
玄関までは大丈夫だろうが、問題は外に出ている間と車での移動だ
何かと敏感になってしまった奏斗にとって、外の世界はあまりにもストレスが多すぎる
睡眠薬で眠らせることも考えたが、例の件で長期間で多量に摂取した奏斗にとって睡眠薬は効きにくくなっており、あまり飲ませたくはなかった
そのため何も薬は飲ませず行くことになったのだが、果たしてうまく行くのか
「よかった。連れて来れたんだね」
「はい。宮本さん、お願いします」
「わかった。奏斗くん、少し揺れるけどすぐ着くからね」
晶は車につくと、奏斗を抱いたまま乗り込んだ
宮本さんは運転席から後部座席に座る2人を見て安心した後、ゆっくりと発進させた
ブゥウンと大きなエンジン音に反応したのか、腕の中で奏斗が震えているのがわかった
まだ事故からそれほど時間が経っていない
医者にはその時の記憶を奏斗は覚えていないと言われたが、奏斗の目の前で人が死んだ事故が実際に起こってしまっているのだ
奏斗が感じる恐怖は本能的なものから来るのだろう
そして、その恐怖と同じものを晶も感じていた
いくら奏斗を助け出すためとはいえ、自ら他の車に突っ込むなど、正気の沙汰じゃない
義父が運転し、晶は後部座席に座っていたので大事にはならなかったが、その時は本気で死ぬかと思った
本当は車に乗るのは避けるべきだった
だが移動手段がこれしかない今、なんとかするしかないのだ
どこからともなく襲いかかる不安と焦燥感を誤魔化すように奏斗を強く抱く
その内奏斗の震えが伝達するように晶の体も震え始めるが、逃げ出したい気持ちをグッと耐えた
20〜30分も走れば目的地についた
その時には心臓は飛び出てしまうのではないかと思うくらい大きく跳ねていたが、宮本さんの存在もあってかすぐに治った
「大丈夫?」
「ふぅ…はい、行きましょう」
晶は深呼吸してから車を出た
ここはとある場所の高級マンションで、広大な敷地に、高い建物が立っていた
「すごい…高級車ばかりですね。家賃も相当なんじゃ」
「うーん、ちょっと高いかも。引っ越したことないからわかんないけど」
「お金持ちなんですね。高級車とか乗らないんですか?」
「持ってるけど、もう乗ってないね。そろそろ売ろうかなぁ」
広い駐車場を横切りエントランスでそんな雑談をしながらエレベーターを待っていたが、その間も晶は他の住民に出くわさないかヒヤヒヤしていた
それに気づいた宮本さんが、このマンションにはこの時間に出入りする人は少ないため、あまり会うことがないと言ってくれたため、晶は一安心した
奏斗のパニックもあるが、毛布に包まったままの人間を抱き歩いているところを見られたら、不審者だと思われかねないから、今は極力会いたくなかったからよかった
とにかく無事にエレベーターに乗れた晶たちは29階で降りる
このマンションは最大35階まであるらしく、宮本さんはその30階に住んでいるので、何かあればすぐに駆けつけられる距離だ
部屋は1番端の部屋
宮本さんは晶達を中に入れると、まるで安堵するように息を吐いた
「よかった。一度も暴れなかったね。偉いよ奏斗くん」
「でも、震えが止まらないんです。早く休ませてあげないと」
「そうだね。そこの部屋にベッドを置いたから、使うといいよ」
「ありがとうございます」
「俺はもう行くけど、何かあったら電話して。はいこれ、鍵」
宮本さんは部屋の鍵を渡して出て行った
きっと仕事に行ったのだろう
いつも多忙なのに晶達に付き合ってくれている彼に、申し訳なさを感じながらも、頼らずにはいられない
晶が成人するまではお世話になるだろう
そう思うと宮本さんには感謝しか感じない
「兄さん、もう大丈夫だよ。飲み物持ってくるから休んでて」
「…あっ、ぅ…」
「…兄さん?」
晶は奏斗をベッドに下ろし、飲み物を取りに立ち上がろうとすると、毛布の隙間から奏斗に腕を掴まれた
晶は驚き困惑したが、その行動の理由は奏斗が放った言葉によってすぐに理解できた
「…い、かないで…ゆうや…」
「…っ」
晶を握る手はあまりに弱々しくまだ震えも治っていないのに、絶対に離さないという意思を感じた
殺されかけたくせに、酷い事されたのに、まだあいつの名前を呼ぶのか
奏斗を救ったのは俺なのに、それでもまだ、俺の名前は呼んでくれないのか
怒りに似た感情が、晶の心を蝕む
でもその怒りをぶつける当てがなくて、拳を強く握りしめた
「…大丈夫、俺はここにいるよ」
「…ん…」
晶は握りしめた拳を、ため息と共に力を抜くと、その手で毛布の上からトントンと奏斗の背を叩いた
子供を寝かしつけるように一定のリズムで優しく叩いた
そのうち奏斗が小さな寝息をし始めても、晶はその場を離れず奏斗の寝顔をじっくり見ていた
顔にかかっていた髪を掬ってやると、男にしては長いまつ毛が現られる
久しぶりにじっくり見た奏斗の顔は、不健康そうにやつれているのに、それでも美しさは前よりも磨き上がっているように見えた
兄が憎い
でもそれ以上に愛おしかった
このぐちゃぐちゃな感情に慣れるまでまだまだ時間がかかるだろう
それでも間違えないように、決して傷つけないように
大切に守っていかないといけない
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