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第52話

引越してからやることは沢山あった まず最初に奏斗の部屋のドアに鍵を取り付けた 内側ではなく、外側用の鍵だ 晶がいない間、奏斗が部屋の外に出てしまい、何かあっては駄目だと思ったからだ そのため学校や買い物で家を開ける時は鍵をかけることにしたのだ 同時に窓やバルコニードアにも鍵を付ける 専用の鍵がないと開けられないため、奏斗が勝手に開けることはないだろう それ以外にも刃物などはもちろん、食器も磁器性のものやガラスは全て片付けた 奏斗を傷つける恐れのあるものは全て捨てた 引越して1週間 荷物も全て解き終え、一連のやるべきことはやり終わり、晶も一休みするためリビングにあるソファに腰掛けた この1週間、晶は学校に通い始めていた マンションから駅までかなり近く、学校までの道のりは前の家より楽でいい だが昼間は学校へ行き、兄を気にして早々に帰ってくると、夕飯や明日の奏斗の食事を用意し、その他の家事をしてと、忙しい日々を送っていた だが今日は日曜日 学校がない分、やらなければならない家事は午前中に終わらせることができたため、午後はかなり余裕ができた ふう、と息を吐くと体の疲れをドッと感じた 今まで忙しなかったせいか自分の体調にも気を使う暇もなかったので、少し熱っぽいことに今更気づいた 奏斗に移してはいけないと、晶は急いで風邪薬を飲むと、再びソファで背もたれに頭を預けて目を閉じた 夕食までまだ時間がある 薬が効いてくるまで、晶は静かなリビングで時計が出す一定の音を聞きながら少しの間体を休めるのだった カチ、カチ、カチ… ふわふわと揺れていた意識の中で、時計の音が晶を起こした 今、何時だ…? 10分ほど休もうと思っていたが、どうやら晶はあまりの疲れに眠ってしまっていたらしく、慌てて時計を見る 目を閉じてから1時間ほどしか経っていなかったが、日が沈みかけており部屋が暗くよく見えない ハッとして晶は奏斗の部屋に目を向ける ほんの少しの休憩のつもりだったため、奏斗の部屋の鍵は閉めなかったのだ 晶が寝てしまっている間に、奏斗が家の外に出てしまっていたら… 奏斗の部屋のドアは開いていた ソファからそれが見えて、ドッと心臓が跳ねる どうしよう 探しに行かなきゃ 晶は焦ってソファから立ちあがろうとしたが、 ふと、自分の左肩に重みがあることに気がついた 「…に、いさん…」 驚き目を向けると、そこには晶の肩に寄りかかるように眠る奏斗の姿があった 晶の緊張は一気に解け、強張った体から力が抜けた 奏斗が外に出ていなくてよかったと安堵した後に、何故ここにいるのかといい疑問に駆られた 兄はこうなる以前から晶のことを好きではなかったし、うつになってからも自ら寄ってくることはなかった そんな兄が、今自分の肩で寄り添うように眠っているのはなぜなのだろうか もしかしたら自分のことを認めてくれたんじゃないかと思ったが、そんなことあるわけないと首を振る それでもやはり嬉しかった たとえ理由が優也の代わりだったとしても、奏斗のためならそんなことどうでもよかった 「…ん……」 「あ…ごめん…」 晶が動いたせいか、奏斗の瞼が震え、ゆっくり開いた 慌てて謝る晶だったが、奏斗はまだ眠いのか、数回瞬きをすると、また晶の肩に顔を埋めるように目を閉じてしまった 晶はそんな姿の奏斗が珍しく、思わずそっと、奏斗の頭を撫でた 少し癖のある髪が、ふわふわと晶の手に触れる 避けられたり睨まれたりすると思っていたが、意外にも奏斗はなんの反応も示さずただ大人しく撫でられていた 可愛い まるで警戒心の強い野良猫がやっと懐いてくれたような気持ちになり、さらに奏斗の頭を撫でたくなるが、夕食の準備をまだしていないことに気づいた晶は、そっと立ち上がって奏斗をソファに寝かせる 奏斗の表情は少し不服そうに歪められたが、頭の下に柔らかいクッションを敷いてやると、それに再び顔を埋めて目を瞑った 「夕飯できたら、起こすから」 そう言って奏斗の頭を数回撫でてからキッチンへ向かった トントントンっと静かなリビングに包丁の音が響く キッチンとリビングは繋がっており、キッチンからはちょうどソファが見える位置なので、料理している間も奏斗のことをチラチラと確認しながら作っていた 晶に起こされてからは、あまりうまく寝れないようで、モソモソと寝返りを打ち続けていた そのうち寝るのを諦めたのか、ぼーっと退屈そうに天井を見つめ始めたため、せめて気が紛れるようにと、テレビをつけてやると渋々と言った感じで見始めた 夕方の時間帯では面白いものはやっておらず、退屈なニュースばかりで飽きるのか、時々ポチ、ポチと番組を変えてる奏斗の姿がキッチンから見えた ここ1週間、奏斗を観察していると気づいたことが多々あった 1番はいつも眠そうにしているということだ うつになると寝たくても寝れない人が多いそうで、兄もその中の1人だ 目を瞑って眠っていると思っても、実際は起きている、あるいは眠りが浅いためすぐに起きてしまう そして奏斗の行動はまるで幼い子供のようだった だが泣き喚いたり暴れたりと言うわけではなく、とにかくぼーっとしていて、やることもおぼつかない それは奏斗の睡眠不足のせいで、いつも眠い奏斗は夢と現実の堺が曖昧になっており、視界にモヤがかかったような感覚だからだと医者に言われた 簡単に言うと夢遊病に似た症状なのだそうだ そのため晶は奏斗の生活をサポートする必要があった 何かの間違いで怪我をしてしまうのを防ぐためだ 奏斗の部屋に鍵をかけた理由もそこにある そしてもう一つ、食事を嫌がるところだ 「兄さん、できたよ」 「………」 夕飯ができたためソファに座る奏斗に声をかける うつ病に加工食品は控えた方がいいらしく、奏斗に食べさせる食事は晶自ら毎日作っていた 前に置かれた栄養満点の食事を見て、奏斗は嫌そうにそっぽを向く さっきまでテレビを見ていたくせに、食事を持ってきた途端、またクッションに顔を埋めるのだ 「兄さん、少しは食べなきゃ」 「…んん…」 奏斗の体を引き上げると、重い鉛のようで苦労するが、それでも晶はなんとか奏斗を座らせ、スプーンを口に持っていく 奏斗は咀嚼をするのが苦手なようで、なるべく硬いものは出さずに柔らかいものを選ぶようにしている 今日も野菜をほろほろに煮たスープを作ったが、それでも奏斗は嫌そうな顔をするのだ 口に持って行ってもすぐには開けてくれず、最初はなかなか苦労したのだ 「少しでいいから、ね?」 「…ぁ……」 少しでいい、そう言うと諦めてしぶしぶ食べてくれる 一口の量も少なく飲み込むまでの時間も長い 食事は通常時の量の半分以下なのに、いつもの倍ほどの時間がかかる 晶の食事はその後になるが、それでも焦らずゆっくり与えてやらなければならなかった 「もう無理?あと少しでも…」 「…ん、ん…ぅぷっ」 「あぁごめん、ごめん兄さんもう辞めよう」 無理に食べさせすぎると戻してしまうので、限界が来る前にすぐに食事を中止する 今日は完食間近だったが、どうやら奏斗に無理をさせてしまったらしい お茶を飲ませて一休みさせてる間、奏斗の食器を片付けて自分の食事に入る 奏斗の手の込んだ夕飯とは違い、あまり物を集めたような料理だが、腹に入ってしまえば同じようなものだ 「いただきます」 しっかり手を合わせて料理に箸をつける晶を、奏斗はソファから見ていた そういえば、いつもなら食事が終わると部屋に戻るのに、今日はその場にいることに、晶は驚いた 動きたくないのだろうか 奏斗の目は眠そうにしているのに、眠れないのがもどかしそうだ なんにせよ早く部屋に戻して休ませてあげないといけないため、急いで料理を掻き込んだ 「ごちそうさまでした」 奏斗にかけた時間のおよそ半分以下の時間で食べ終わり、食器を片付けると、ソファで寝転がる奏斗に声をかけた 「お風呂、入ろうか」 晶が言うが奏斗は動こうとはせず、やはり晶が無理くり抱き上げて風呂場に向かった

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