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第57話
ガチャンッ、ドンッ……
「え、え何」
突然、宮本は部屋でパソコンをイジっていると、玄関のドアを外側から無理矢理開こうとする音が聞こえた
宮本は驚き、警戒しながらもパソコンをそっと閉じる
空き巣?不審者?それとも何かの勧誘?
何やらただ事ではない雰囲気にビビりながらもドアホンを覗いた
そこにいたのは空き巣でも勧誘でもない、意外な人物だった
茶色にくりくり癖毛の見知った頭上が見え、懸命にドアを叩いていたのだ
「…奏斗くん!?」
気づいてから宮本は急いで玄関に向かう
鍵を開けて扉を開くと、怯えた表情の奏斗が中へ飛び込んできた
「どうしたの!?いや、ごめん、怖かったね…」
宮本は体を震わせる奏斗を抱きしめると、宥めるように頭を撫でてやる
奏斗はうつ病の症状により、外に出るだけでも苦痛となってしまうのだ
そんな奏斗が、ここまで来るのに、どれだけ勇気がいるだろうか
奏斗のことを考え、とにかく安心させようとするが、ふと、あることに気づく
1人なのか?晶くんはいったいどこに
前回会った時、晶は奏斗を大事に抱え込んでいた
あんな風に奏斗に依存しといて、奏斗が外に出ても追いかけてこないなんてことあり得るのだろうか
宮本の脳内に、嫌な想像が思い浮かんだ
「…奏斗くんは、ここにいて。できれば外に出ないで」
宮本は奏斗の肩に手を置いて、目線を合わせながら言い聞かせるようにそう言った
奏斗も不安気ながらも、小さくコクリと頷いた
奏斗がここに来たということは、宮本に何か助けを求めにきたのだろう
最後にもう一度、奏斗の頭を撫でてから宮本は外に出た
奏斗は追いかけることもせず、ただじっと立ち尽くして宮本を見ていた
奏斗のことも心配だが、今は晶の安否を確認しなければ
宮本は念の為家に鍵をかけ、下の階へ続く階段を駆け降りた
晶達の部屋と宮本の部屋は1階違いなので、近くてよかったと、過去の自分に感謝した
「晶くん、晶くんいる?…開けるよ」
部屋にたどり着くと宮本は玄関をノックしたり、インターホンを押してみたりしたが反応はない
ドアを引っ張ってみると、鍵はかかっておらず簡単に開けることができた
「…っ!晶くん!?」
「…ぅっ」
恐る恐る中を覗くと、そこには床で小さくうずくまる晶の姿があった
すかさず宮本は晶の元へ駆け寄った
体を揺するが意識はなく、苦しげに小さく唸るだけの晶
背に触ってみると、体が異常に熱いことに気がついた
「っ、救急車!」
宮本はポッケからスマホを取り出すと、慌てた手つきで119へと通話を掛けた
——————————————————
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ………
うるさい
晶は耳元で鳴り続ける耳障りな機会音で目が覚める
目の前には白い天井が見え、明らかに晶の自室ではないことに気づく
ここは、どこだ
「起きた?よかった…心配したんだよ?」
そのまま辺りを見渡すと、晶が寝転がるベッドのすぐそこで座っていた宮本と目が合った
宮本は晶が目を覚ましたことに気づくや否や、立ち上がって晶のおでこに手を置いて熱を測った
そんな宮本を見て次第に晶の意識もハッキリしてくる
そうだ、確か俺は…
「…かなとっ、奏斗はどこにっ!?うぅっ」
「ちょっと、落ち着いて!今は安静にしてないと!」
思い出した途端、いきなり起き上がろうとする晶を宮本は慌てて止めた
強い目眩が晶を遅い、宮本に肩を押されてされるがまま、またベッドに横たわる
晶の腕に刺さっていた点滴の針が危うく抜けてしまうところだった
それでも晶はなお、慌てた様子で宮本に言った
「奏斗がっ、兄さんが出て行ってしまったんです!連れ戻さないと…」
「君はこんな時まで…まあいい、とにかく大人しくして」
宮本は晶の手元にあったナースコールを押す
晶の目が覚めたことを、看護師に伝えるためだ
なおも晶の頭の中は奏斗のことでいっぱいだった
外は危険だ
うつの兄が1人で外を出歩くなど、あってはならない
通りすがる人にでさえ奏斗のパニック障害を引き起こす火種となってしまうのに、たった1人でなんて
パニックを引き起こすと自力で落ち着くことは難しい
その間に誰かを傷つける、あるいは自分自身を傷つけてしまう
おそらく兄は後者だろう
何かあってからでは遅い
今すぐ迎えに行かないと
「お願いします…兄が心配なんです」
「はいはいお兄さん。落ち着いてくださいね」
「そうだよ晶くん。大人しくして」
看護師が来て点滴を調節している間も、晶は今すぐに退院したいと申し出たが、それを2人して止められる
あんまり暴れるようだと、腕を縛る、と看護師に脅され言うのはやめたが、諦めてはいない
どうにかしてここから抜け出さないと、と常に隙を伺っていた
そんな晶に呆れた宮本は、困ったように眉を下げながら、ひと段落ついたところで口を開けた
「そんなに心配しなくても、奏斗くんはちゃんと俺の家で待ってるよ」
「……え?」
晶はその言葉を聞いて固まった
兄が宮本の元にいる?なぜ?
宮本を見やるが、本人は嘘をついている様子はなく、気休めではないと知る
「君が倒れてることを知らせてくれたのは奏斗くんだよ。頑張って俺の家まで来てくれたんだ」
「…俺に愛想つかして、出て行ったのかと…」
晶は手にこもっていた力を抜いた
宮本の言っていることが本当なら、あの時奏斗は、自分を助けるために外に出たと言うことだ
だが晶にはにわかに信じられなかった
奏斗がそこまでする理由がわからない
奏斗は晶のことが嫌いなはずで、でも見捨てず助けようとしてくれて
考えれば考えるほど晶の頭の中はぐちゃぐちゃになる
混乱する晶をよそに、宮本は晶の症状について問い詰め始めた
「そんなことより、疲労とストレス、睡眠不足に栄養失調が原因で倒れたと…これはどう言うこと?」
「さあ、わかりません」
そんなことどうでもいいように適当に返されて、宮本は不機嫌に眉を顰めた
晶の頭の中はそれどころではない
だが宮本はその思考から晶を引き摺り出すように、肩を強く押した
「…ぅっ」
「っのねぇ!俺がどれだけ心配したと思ってんの!?」
勢いで晶はボスンとクッションに押し付けられ、小さなうめき声がでたが、柔らかいクッションは痛みなどなく、晶の体を優しく包む
そんなことより、目の前で肩を押さえてくる宮本の豹変ぶりに驚きが隠せなかった
こんなに怒鳴っている宮本を見るのは初めてだ
いつも控えめで優しい彼が、晶に向かって大声を出している
晶の意識は強制的に宮本に向かった
「君が言ったんだ!1人で十分だと…でも結局このざまじゃ、奏斗をまかせておけない」
「っ!そんな、ちゃんと世話はしてます。俺はいつも兄のために…っ!」
宮本にそう言われて焦った晶は対抗しなければと、宮本に押された手を振り払う
宮本の払われた腕が勢いで、点滴スタンドに当たる
点滴が外れるようなものではなかったが、ガシャンッと大きな音を立てて揺れた
どうやらそれを聞きつけた看護師が、やってくると、2人に負けないくらいの声量で、注意された
「院内では!お静かに!お願いします」
「「……すみません……」」
「他の患者様もいらっしゃいです。できないのであれば御退出願います。宮本様」
「あ、いえ、すみません…」
「薗田様も、退院を早めたいのであれば、安静にしていてください」
「…はい……」
2人の比ではないくらいの看護師から向けられる圧に負け、宮本と晶はすっかり意気消沈してしまった
看護師も忙しいためか、その後も2人に構うことなく颯爽といなくなる
その後もしばらく2人は黙ったままだった
院内は忙しさがピークに達しているからか、いろんな人が部屋の外を行き来したり、患者のお喋り声やカラカラと点滴スタンドが移動する音
全てが大きく響いているような気がした
そんな2人の沈黙を先に破ったのは宮本の方だった
「本当は、こんな事言うつもりじゃなかったのに…ごめん」
「そんな、宮本さんが謝ることじゃ…」
「いや、俺の責任だ。申し訳ない。君達をほったらかしたのは俺なのに、君を責めるのはお門違いだよね」
宮本は俯きがちに晶に謝った
急にしおらしくなった宮本に、晶はなんと答えればいいかわからなくなる
もちろん宮本が悪いわけではない
だがそれを認めてしまったら、晶が奏斗の傍にいる意味がなくなってしまう
何も言えず黙っていると、宮本は晶の反応を見てふっと笑った
「怒鳴ってごめんよ。でも、俺は心配なんだ。奏斗くんのことも…もちろん君のことも…」
宮本は再びやるせなさそうに謝る
それを見て晶は目を見張った
宮本は優し過ぎる
今晶と奏斗が生活できているのは、宮本のサポートありきのものだ
それを口実に使えばなんとでも言えるのに、宮本はそんなこと一言も口にしないのだ
勝ち目なんてない
晶と宮本、どちらが正しいかなんて決まりきっている
それでも宮本は理解しようと、寄り添おうとしてくれているのだ
対していつも突っぱねるようなことをして、悩ませて、宮本をここまで追い詰めておきながら被害者ぶる晶はとても卑怯者だ
わかっているが、認めるわけにはいかない
そんな晶の心境を考えてか、宮本はスッと立ち上がると荷物をまとめ始めた
「…俺はもう帰るよ。君は今日は泊まって、明日迎えに来るよ。ちゃんと安静にしてるんだよ」
「…わかりました…」
宮本は釘を刺すように言った後、病室を出て行った
先ほどの宮本を見てしまっては、従わないわけにはいかない
晶の頭には、抜け出そうなどと考えはもうなかった
デカい口を叩いておいて何もできない晶より、しっかりした宮本といる方が、奏斗は安心するはずだ
宮本がいなくなった後もそんな風に考えていた
そうは言え、特にすることもなくぼーっとして時間を潰すしかない今は、奏斗のことが頭から離れない
「…怖い思いをさせちゃったな…」
奏斗にとって外に出ることは相当怖いはずなのに、晶のために宮本に助けを求めに行ったなんて、信じがたい
奏斗にとって晶はいてもいなくてもどうでもいい存在のはずだ
身の回りを勝手に世話してくれるロボットのようなものだと思われていた
そこに感情などなく、むしろ鬱陶しがられてたのだから
でもそうではないのだろうか
奏斗も少しは晶に心を開いてくれているのだろうか
いや、期待するのはやめよう
晶は点滴の刺さってない方の手で目元を覆う
まるで現実から目を背けるように
それにしても奏斗の行き先が宮本の元でよかったとつくづく思う
外でたった1人路頭に迷うことにならなくて本当によかった
睡眠不足や栄養失調は、奏斗の世話に意識をやり過ぎて、自分の体調管理が疎かになっていたために起こったことだ
宮本の言う通り、こんな晶に奏斗のことを任せるなんてできないだろう
今後、晶が奏斗と一緒にいれる可能性は低い
おそらく宮本は、これを機に2人を引き剥がそうとするのだろう
だが、こんな事態を起こしてしまった晶にはもう、決定権がないのだ
彼になんと言われようと、晶は従わなければならない
奏斗から離れろと言われればそうするしかない
宮本さんには今度ちゃんと謝ろう
晶はそう心の中で誓うと、すうっと息を吐いて、目を閉じた
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