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後日談
「ご予約様ですね。お食事はお部屋でお間違えないですか?」
「はい、大丈夫です」
海を後にし、晶と奏斗は旅館へと向かった
旅館は海辺の近くのものを選び、奮発してオーシャンビューの部屋を取った
ここまで値段の張るところは、なかなか泊まる機会がなかったが、宮本さんが
「この旅館オススメだよ。知人紹介で安くしといてあげるからさ」
と、何気に凄いことを言われた
結局今まであの人がなんの仕事をしているのか知らないが、やはり今後とも知らなくて良さそうだ
とにかく、宮本さんの紹介あってこの旅館にし、せっかくならと値段の張った部屋を。
案内を待っている間、奏斗はそわそわと落ち着かない様子だった
その手にはしっかりとクマのぬいぐるみが握られていた
「あちらの通路の突き当たり右側にある部屋になります」
案内された部屋に向かうと、2人で使うには充分広く、上質なベッドが2つ並んでいた
部屋は和風基調で綺麗に揃った畳は、裸足で歩くには心地よく、どこか懐かしさを感じる部屋だった
「この部屋、海見えるんだよ」
「ふーん…」
言動こそ興味がなさそうな奏斗だが、荷物を置き一目散に見に行くのは窓の景色
すでに暗くなっており、青々とした海の姿は見えないが、チラホラと漂う船の明かりが綺麗だった
「よく見えないね。早起きして、朝日を見てみようかな」
遅れて窓の外を見て晶は言った
朝日に照らされ光る海は綺麗だろうと想像する
今は何も見えないが、それがより朝日を見てみたいという衝動に繋がった
さっそく明日の楽しみが増えたところだが、まだやることは残っている
窓辺の椅子に座る奏斗を横目に、晶は荷物を広げた
必要になるものを今のうちに出しておいた方が後々楽になるからだ
とはいえ大抵のものは設備されているので必要なものといえば、入浴後に着る下着くらいだろうか
ゴソゴソと荷物を漁る晶を横目に、奏斗は手のひらのぬいぐるみを指で撫でたり、潰したり、ときおり暗い海の向こうに目を凝らして時間を潰していた
—————コンコン——————
「お食事をお持ちいたしました。中に入ってもよろしいですか?」
「あ、はい。あっ、ちょっと待ってください」
と、あれやこれやとしているうちに、スタッフが食事を持ってきてくれたようだ
晶は素早く荷物を片し、奏斗はキャップを被る
人と会う時は帽子を被らないと緊張するらしく、それに伴って奏斗は目深に被った
それを確認してから晶はスタッフを中に入れた
部屋の真ん中に置いてあるローテーブルに次々と豪華な食事が置かれていく
スタッフが忙しく動き、全ての配置が終わった頃には、テーブルの隙間が見えないほどの量が用意されていた
「では、ごゆっくりどうぞ」
唖然とする晶と奏斗を置いてスタッフは迅速に撤収していった
「すごい量だね」
「………」
突然現れた大量のお膳に圧倒される
まるで2人分とは思えないがとりあえず、食べることにした
「いただきます」
「い、ただきます」
旅館ならではのおもてなしの量に、奏斗は狼狽えながらも箸を手にする
その姿は大量のエサを盛られて混乱する猫のようで面白い
「無理して食べなくていいからね」
晶でさえ食べ切れるかわからないのに、奏斗にこの量は無理に等しい
その言葉を聞いて奏斗はいくらかホッとした表情で、コクリと頷いた
さて、と晶も目の前の食事に目をやる
なんとか食べ切らないと。残すのは失礼だろう
それに加えて奏斗は食べる量も少なければ、偏食で食べれないものも多い
彼から流れてくる食材も全て食べなければ。
晶はゴクリと喉を鳴らした
「「ご馳走様でした」」
その後、1時間の格闘の末、2人は完食に至った
奏斗は満腹にか苦しげに顔を顰め、座っているのが辛かったのかそのまま畳の上に寝転がった
意外にも奏斗は箸が進むだけ食べてくれて、晶の負担は少なく済んだ
スタッフを呼んで食器を片付けて貰うと、晶は揚々と寝転がる奏斗に声をかけた
「奏斗、こっちおいで」
「ん…」
奏斗は気怠そうに、だが素直に起き上がって晶が手招いたところまで寄ってくる
「じゃん、露天風呂」
「ひろい…」
奏斗が来たところで、晶は後ろ手の扉を開けた
そこには広いベランダに設置された露天風呂があった
これこそ、晶がこの旅館を選んだ最大の理由である
元々部屋に篭りがちな奏斗に、是非とも心安らぐ時間を過ごして欲しい
時期ではないが、やはり心身共に癒すには、温泉が最適だろうと踏んだ
そして目論見通り、奏斗は露天風呂を見て目を見開いた
こんな経験は、今後もできるかわからない
怖いはずなのに、勇気を出して外に出る意思を見せた奏斗へのご褒美、に、なるといいのだが…
「気に入った?」
「別に」
「やっぱり、そうだよね」
奏斗はキッパリそう言った
開放的な和造の湯船を見て、奏斗は眉を寄せた
「広くて、落ち着かない」
奏斗はその場を見渡して言う
彼が好くのは閉鎖的な空間で、狭い方が落ち着くのだ
それに比べて露天風呂は広いどころか、壁も遮蔽として機能しているものの、こちら側からはスカスカと外が見える状態だ
あまりにも開放的すぎるそこは、奏斗にとってはあまり穏やかではないだろう
「じゃあ、普通のバスタブでいいか。先にお風呂入る?」
「待って」
晶はあっさりと露天風呂へと続く扉を閉めようとすると、奏斗はそれを止めた
何かと不思議に思う晶は、首を傾げて奏斗を見た
奏斗は無表情で、それでいて目線を合わせないようにしていた
晶は奏斗の言葉を待った
奏斗は少し目を伏せて、何か言いた気だが、どこか躊躇しているようだった
やっとのことで口を開いた奏斗から言われた言葉は、晶にとって衝撃的なものだった
「1人で入るのは、嫌。…でも…」
奏斗は伏せていた目をフッとあげて晶を見る
無表情に見えた彼の顔は、ただ暗くて見えなかっただけで、上目遣いに見上げる奏斗の顔は、どこか照れているように赤らんでいた
何を考えているのか
普段だったら奏斗はこんなこと言わないし、しない
何が彼をこうさせたのかわからない
その言葉に何と返すのが正解なのかもわからない
だが、
たらふく食べたはずの晶の腹が、くんっ、と音を鳴らした気がした
—————ちゃぷん—————
静かな空間の中で、小さな水音だけが響く
晶は開いた目をどこに向ければいいかわからず、必死にあちこち泳がせた
本当に、いいのだろうか
チラリ、と目の前の奏斗に目を向ける
奏斗はすでに肩まで湯に浸かり、まるで自宅の風呂のようにくつろいで、足を湯の中で伸ばしていた
揺れる透明の水面から、チラチラと彼の肌色を隙見せる
ゆら、ゆら、ゆら
水面を通して境目が曖昧なはずなのに、遠目でもわかる美しい曲線が、また、揺れるのだ
晶はその様子を、釘付けのように、だが恐る恐ると見つめる
自分の体の体温が上がっているのがわかる。目が回り、湯気だけでもくらりと頭が揺れた
「入んないの」
「…あっ、ぁ、ごめん…」
奏斗にそう言われ、晶はやっと正気に戻った
慌てて取り繕い、ゆっくりと足先から湯に浸かった
露天風呂は広いとはいえミニサイズ
2人で入るにはピッタリだが、奏斗が堂々と足を伸ばしているため、晶は遠慮して縮こまるように、足を曲げて座った
浴槽並々に貼った湯が、体を抱擁して、余った分はザパンと音を立てて縁から流れ出て行く
あまりの気持ちよさに、晶もホッと息を吐く、のだが、やはり心は落ち着かないままだった
「き、気持ちいいね。夜景も綺麗だし、はは、やっぱりここにしてよかった」
「…ん」
沈黙に耐えられず、気まずさを取り繕うように口を開ける
そんな晶の言葉を聞き流すように、奏斗は軽くあしらった
奏斗は心底気持ち良いようで、目を瞑り、縁に頭を預けていた
邪魔をしてはいけないと晶は黙り込む
2人だけの空間で響くのは、やはり小さな水音と、互いの息遣いだけだった
しばらくすると奏斗は徐に湯から出て、縁に腰掛けた
熱った体を一度冷やすためだろうが、水面から出たその艶かしい姿に圧倒され、晶は意図せず凝視してしまった
白く、陶器のような滑らかな肌を、水滴が流れる
奏斗の鎖骨から胸、腹を一直線に伝い、そして、閉じられた足の間に吸い込まれていく
「なに…」
「…いや、な、なんでもないよ」
あまりに凝視しすぎたためか、奏斗が不機嫌に晶を睨む
それに気づいた晶は慌てて目線を外し、必死に外の夜景に集中するフリをした
「その喋り方、やめてくんない」
「えっあ、喋り方?」
目線を逸らすことを意識していた晶に、突然そんなことを言われて狼狽えた
奏斗は晶の、どう言う意味かわからない、と言った表情を見てあからさまに苛立ちを見せた
「喋り方。優也みたいに話すのも、母さんの仕草真似んのも、全部やめて。普通に喋って」
「あ…そっか…」
奏斗は晶にキッパリ言うが、晶はいまいちピンと来ない
確かに前までは明らかに意識していたが、もう数年間この喋り方でこれが定着してしまい、前の喋り方など忘れてしまった
それに今までそんなこと言われなかった
よかれと思ってそうしていたが、奏斗にとっては不愉快だったのだろうか
どうしたものか
反省するし、奏斗に嫌と言われたらやめるしかないのたが、ほとんど無意識下で癖になってしまったこれを、すぐに直すことができるだろうか
「頑張ってみるよ」
「それ」
「…頑張ってみる、ぜ?」
最速喋り方を指摘されて、晶は慌てて言い直すが、どう直せばいいかわからない
その様子に奏斗は、はぁ、と深めのため息をつく
呆れか、苛立ちか、あるいは両方を感じるそれに、晶は萎縮した
謝りたいが、どう謝ればいいのか
また間違えてしまったらどうすればよいのか
もごもごと口を動かす晶を、奏斗は横目で見ていた
「昔を、思い出せばいい」
助言のつもりか、不意に奏斗がポツリと呟いて、晶はその言葉を真剣に考える
昔のこと
あの時、2人の仲は険悪だった
1人で突っ走る奏斗を引き止めるために、晶が必死に捕えようと追いかける日々
ふと、初めて会った日のことを思い出す
暑い、暑い夏の最中
じんわり汗が滲むくらい暑いのに、奏斗は汗ひとつもかかず、涼しい顔をして、晶を見下ろしていた
見下すような、でも、哀れむような
美しいあの、瞳
思えばあの時から、晶は奏斗に一目惚れをしていたんだと、今更ながらに気づいた
「…わからないな」
思い出すのは、奏斗のことばかり
自分のことなどほとんど思い出せないのに、奏斗の事は鮮明に覚えている
いくら頑張っても辿り着かず、晶は困惑気味に、そう言った
「俺は、覚えてる」
「本当?どんなだった?」
「もっと…生意気な喋り方。上から目線で、うざい」
「ひ、酷いな…」
「それから…」
相当な言われように気を落とす晶に構わず、奏斗は続けた
「それから、俺を、兄さんって」
「…っ」
その言葉を聞いて、晶は息を呑んだ
確かに晶は事あるごとに奏斗を兄さん、と呼んだ
だが奏斗はそれを拒んだのだ
晶を弟として認める気はないと、そういう気持ちがあったからだろう
いつしか晶はそう呼ぶのをやめた
奏斗の弟であることを、諦めたのだ
だが、今、奏斗からその話を掘り返された
このタイミングでその話をする
つまり、つまりは
「兄さんって、呼んでいいの?」
「………」
ザプンと湯が揺れた
気づけば晶は奏斗の側にいた
浴槽の縁に座る奏斗の足に、まるで犬のように擦り寄って。
奏斗の膝に頭を乗せると、俯く彼を覗き込むようにして見上げる
その目は爛々とギラついていて、嬉しそうに薄ら口の端を上げていた
先程まで、奏斗の言葉に忠実に従っていたくせに、今や獲物を前にした獣のような表情で、奏斗を見つめるのだ
「…好きにすれば」
奏斗は抑揚なく、そう言い放った
その言葉が引き金となり、晶の欲望の栓が外れて、溢れ出す
晶は湯から腰を浮かせ、奏斗のおでこにチュッと音をならしてキスをする
奏斗はぴくりと顔を歪めたが、晶を拒否することはなかった
次に首、鎖骨、腹と、まるで先ほど垂れた水滴を辿るように順に吸い付く
それが下へ下へと降りて行き、そして晶の手は閉じられた足へ伸びる
丁寧に柔らかな腿を開かせ、露わになった奏斗のそれに、なんの躊躇もせずゆっくりと顔を近づけて
「んぐっ」
「しつこい」
と、そこまで来て、今まで黙っていた奏斗は、晶の肩を足で押し蹴り、引き剥がす
突然のことにうまく受け止められなかった晶は、バシャンと水を跳ねさせて後ろによろけた
グッと華奢な足に更に力が入る
「調子乗んな、きもちわるい」
「…ごめんなさい」
晶は奏斗に謝るが、その表情はまるで反省しているように見えない
未だにその目は欲情に濡れており、足蹴にされたにも関わらず、その足に愛おしそうに頬ずるのだ
これが、晶の本性だ
どれだけ取り繕っても、時々見え隠れするそれに、奏斗はとうの昔から気づいていた
晶の腹に潜む黒い獣は、芯から奏斗を望んでいるようだ
日々の中では普通の顔をしているが、奏斗の事になると踏ん切りがつかない
従順な犬から、獰猛な狼に変わる
それが、晶の獣だ
奏斗は冷ややかに彼を睨んだが、暴言を吐くわけでもなく、足を退けるとそのままじゃぶじゃぶと音を立てて晶の横を通り過ぎ、大きな音を立てて、部屋の中へ入っていってしまった
「…はぁ、あ"あぁ…」
1人残された晶は、今し方自分の犯したことを思い返し、呻き声のようなおかしな声を発した
俺は、なんてことを
晶は後悔が勝り、このまま消えてしまいたくなった
現実から逃避するように、そのまま湯に浸かる
相対的に露天風呂の湯は変わらず心地よく、全身を抱擁していく
湯の熱か、はたまた別の熱のせいか、晶の頭はハッキリしないまま、先の情景をぼんやり思い出す
綺麗で、すべすべで、冷たくて
奏斗の肌に触れた感触が頭から離れない
そしてまた首を振り後悔の念に押され、また奇怪な声を出しながら、今度は頭まで湯に潜るのだった
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