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後日談
「ごめん…」
「何が」
晶は俯き気味に奏斗に謝罪を述べる
しかし奏斗は晶を怒ることはせず、それどころか、なぜ謝るのか疑問に思っているようだった
奏斗はすでに旅館が用意した浴衣に着替えており、自分で敷いた布団に寝転がりながら本を読んでいた
「その、暴走した…そんなつもりなかったのに…」
「今更」
恥心と後悔で歪んだ顔を覆いながら謝るが、やはり奏斗は見ようともしない
怒っているわけでもないのに、一切晶を見ようともしないその態度は、今に始まったわけではない
晶も晶で、それを当たり前として捉えてしまっているのだから、慣れとは怖いものだ
はあ、と大きめのため息をした晶は、とにかくこの微妙な気持ちから抜け出したくて、気を取り直し奏斗に向き直った
「それはそうとして、これ、よかったら貰って欲しいんだ」
「なに…」
そう言って晶から差し出されたのは、綺麗にラッピングされた長方形のもの
奏斗はそれを見てのっそりと体を起こしてそれを受け取った
触ってみた感じ、何かの本のような、でも本ほどは分厚くなく、やや大きめだ
よくわからなくて晶を見やるが、晶は奏斗に開けて欲しいようで、ソワソワとその様子を見ていた
居た堪れなくなって奏斗もしぶしぶラッピングを剥がす
一枚一枚テープを綺麗に剥がして出てきたのは、かつて奏斗が愛用していたような、荒目のスケッチブックが姿を現した
奏斗はそれを見て目を見開いた
「お誕生日、おめでとう」
「…嬉しくない」
「そうだよね。でも、俺は奏斗の描く絵、好きだったから」
奏斗はかつて、ドレスデザイナーを目指していたが、あの事件以来一切そういうことはしなくなった
それなりのトラウマがあって、やりたいという意欲もなくなってしまったのは晶にもわかる
でも、どうしてもやめて欲しくないのが晶の本心だ
だって、勿体無いじゃないか
あんなに美しいドレスを作るのに、あんなに綺麗な線を描くのに、奏斗はその全てを捨ててしまったのだ
そして生きる意味を無くしたように沈んでいく彼を、放っておきたくはない
奏斗の気持ちが落ち着いてから、これを渡そうと思っていた
今がその時だと思った
自らの意思で外に出ようと思ってくれた今だからこそ、渡すべきなのだと思った
「もうやめた、描かない」
「わかってる。でも、持っているだけでもいいから」
突き返そうとする奏斗の手を、晶は強引に押し返す
ここまで強気な晶を見たのは久しぶりだと、奏斗は困惑気味にも、それを受け取った
「ありがとう」
プレゼントを貰ってくれたことに対して例を言うのは些か奇妙だが、それでも晶は嬉しくて堪らないと、そんな顔をしていた
そんな彼を置いて、スケッチブックを睨みつけていた奏斗は、少し苛立った顔をしながら
「もう寝る」
そう言って手に持っていたスケッチブックを放り投げ、頭まで布団をかぶってしまった
「ああ、そんな乱暴に…」
「電気消して」
「ぅ…せっかく買ったのに…」
全く相手にされず、晶はしおしおとスケッチブックを丁寧にしまってから、部屋の電気を消した
「あんた、誕生日いつ」
暗闇の中、もう寝たと思っていた奏斗が、徐にそんなことを聞いてきて驚いた
「え、お、俺?先月だよ、もう過ぎたね」
「ふーん…」
ぴくりとも動かなかった奏斗は、それを聞いて突然むくりと起き上がり、何やらゴソゴソと荷物をあさるとこちらへ戻って来る
暗いとはいえ間接照明である程度は見えるため、奏斗が何かを握っていることには気がついた
「うぇっ!?ちょっ、え、え…」
「これ、あげる」
奏斗に乱雑に被っていた布団を引っ剥がされ、困惑する晶の手にこれまた乱暴に何かを握らされた
それは硬く、不規則にゴツゴツとしている小さな石のようなものが数個
晶はそっとそれを見やる
今日海辺で奏斗が懸命に拾っていた、綺麗な貝殻だった
晶はそれを手のひらで一度転がした
数個ある貝殻がぶつかるたびに、カラカラと美しい音がなる
暗くても艶のあるそれらは、間接照明の明かりが反射して輝いていた
「…ありがとう…」
奏斗から何かを貰うのは初めてで、晶はとても嬉しく思い、顔を綻ばせた
たとえそれが何であろうが、奏斗が晶を意識してくれたことに変わりはない
かけがえのない物を愛でるように、大切に貝殻を握りしめると、それを見ていた奏斗が呟いた
「似てない」
「え?」
「似てないよ、あんたは。母さんにも優也にも、似てない」
冷たく突き放すように言われたそれに、晶は大袈裟にも肩を震わす
勢いよく布団から起き上がり奏斗の肩を掴んだ
バラバラと貝殻が地面を転がる
先ほどまで大切に握っていたはずなのに、今や石ころのように床に放っている
それほど晶の意識は奏斗に集中していた
「そ、そんな…じゃあ俺は、俺はどうすればいい」
「…」
「俺は、奏斗の為になりたいんだ…そうじゃないと、俺は何のために…」
晶はこれまで、奏斗のためだけに生きてきた
彼の救いになりたいと、そう思っているのに、当の本人に突き放されてしまったら、生きる全てを失ってしまう
もし、この言葉の次にお前など必要じゃないと言われてしまえば、今後は何のために生きれば良いのか、晶にはわからない
それが恐ろしくて、晶は正気を保っていられなかった
声は震えて小さくなる一方で、奏斗の肩を掴んだ手はギリギリと力を増していく
逃がさない、逃してはいけないと
そんな感情がひしひしと伝わってきた
「役に立たないなら、奏斗の為になれないなら…それなら、いっそのこと…」
晶は力のまま奏斗を押し倒すと、肩を掴んでいた両手が、奏斗の首に滑る
大きな両手で包み込んでしまえば、奏斗の細い首は、隙間なく埋められた
ゆっくり、ゆっくりその手が締まる
それでも奏斗はどこか遠い目をしていた
乱心気味の晶を前に、微動だにせずただ冷静に、晶を見ていた
「なんでそんな他人にこだわるの」
「必要とされなきゃ、いけないんだ」
奏斗の問いにもどこかぼんやりした回答しか返ってこなくて、奏斗はより一層冷たい目を向ける
晶はそんな奏斗を、視線だけで殺せそうなほど睨みつけた
それは今までの不安や怯えが積もり積もってその形を成していた
今やその眼は愛しいものではなく、憎い仇を見るような鋭いものに変わってしまった
そんな晶に、奏斗は手を伸ばす
温かな手が、晶の頰に触れた
「あんたはあんたのままでいい」
「…え……」
奏斗はそう言い放った
晶はその言葉に驚きで固まる
首を締める力も随分と弱まり、奏斗はその手を引き剥がすと、逆に晶を押し返して起き上がった
2人して向き合うような形になる
晶は未だポカンとしているが、先ほどの取り乱した様子はすっかり消えていた
奏斗は相変わらず落ち着いていて、絞められた首を摩りながら言う
「別にあんたが誰だろうと、どうでもいい。誰にも似てないからって、突き放したりしない」
「ほんとうに…?」
「あんたは、どうしたい」
終始冷静に淡々と話す奏斗に、晶は困惑しながらも酷く安堵したような、もうすでに半泣き状態と言えるだろう
そんな晶はまた奏斗の肩を掴む
今度は優しく、腫れ物に触るかのように丁寧に、それでいて力強く掴んだ
「俺は!…俺は奏斗の、兄さんの家族になりたい」
「…うん」
「いいの?…おれ、弟でいいの?」
「だから、好きにすれば。さっきも言っただろ」
ゆさゆさと肩を揺さぶる晶に、鬱陶しそうに奏斗が答えると、まるで栓が外れたように晶の目から大粒の涙が溢れ出した
「うそ、本当に?俺やっと、兄さんと家族になれるんだ…」
「、ぅぐ」
「嬉しい…兄さん、俺の兄さん…」
先ほどまで奏斗を締め殺そうとしていたくせに、その言葉を聞いた瞬間これだ
不安気だった目はボロボロとはしたなく涙を流し、首を絞めていた手は今や背に周り奏斗を抱きしめている
耳元で大の大人の泣き声が聞こえるのは非常に不快で、奏斗は晶を引き剥がそうと抵抗するが、それも虚しく晶に押し倒されてしまった
「兄さん、にいさん俺も呼んで?」
「…あきら」
「やった、俺のだ、俺の兄さんだ…」
嫌々晶の名を呼ぶが、本人はとても嬉しそうに涙目を細めて、また奏斗を強く抱きしめる
まるで子供のように歓喜して奏斗に頰ずる晶にほとほと呆れた
「ありがとう兄さん、俺また頑張るから。兄さんのためだけに頑張るから」
「…うざい…」
冷めた奏斗とは対照的に晶は同じような言葉を、まるで壊れた機械のように繰り返す
その目はどこか狂気じみていて普通じゃない
兄さん、と呼びながら奏斗に擦り寄って、掴んだ体は離すまいと抱き寄せる
奏斗は身動きも取れない中、同じようなことをなんども囁かれて、まるで催眠術でもかけられているようで一層不快だった
そのうち奏斗は体ごと晶の布団に引き摺り込まれ、そのまま抱き枕のように抱きしめられて寝た
晶も兄さん、と呟いていたが、いつのまにか小さな寝息を立てていた
どうしても他人の体温も、息遣いも肌で感じるのは嫌いな奏斗は、懸命に隙間を作ろうとするが、やはり体は密着したままだった
さらに晶は寝ぼけながらも奏斗の体に頭を擦り寄せまた強く抱きしめる
その繰り返しが朝まで続いた
許しを得た途端これだ
だから下手なことは言いたくなかったんだ
奏斗は寝付けない中1人、先ほど言ったことを後悔するのだった
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「兄さん、これ食べな」
「兄さん、これあげる」
「兄さん、好きだ」
「兄さん…」
もう本当に、頭がおかしくなりそうだ
旅行から無事帰宅した後も、晶の兄さん攻撃は続いた
事あるごとに兄さん、兄さんといちいち絡んできて嫌になる
あまりの鬱陶しさに奏斗は一度文句を言ったことがあった
「ウザいから、話しかけないで」
「どうして?家族だろう?」
全く効果はなく、この通り。
晶は完全に、あの生意気盛りだった頃の晶へと戻ってしまったのだ
やはりあんなこと言わなければよかっただろうか
奏斗は何度も後悔したが、それでも結局は、これでよかったのだと納得してしまう
晶の異常性は今に始まった事ではない
それで言うのなら、晶は"家族"になる前の方がよっぽど不気味だったのだ
奏斗が特に不気味だと思ったのは瞳だった
瞳が、酷く恐ろしいのだ
晶はいつも奏斗を見てる
監視なんてそんな生優しいものではない
本をめくる指先も、瞬きでさえも見逃さない
どうせ奴のことだから、家の至る所に監視カメラをつけているに違いない
全て見ているのだ、晶は。
表向きには普通の顔をしている
だが時々隠しきれない狂気が滲み出ていた
奏斗はその執着心が怖かったのだ
例えば親を見る子供の様な
例えば医者を見る末期患者の様な
例えば神を見る教信者の様な
縋るくせに、時には横暴で、それでいて繊細な何か。
今まで奏斗はいろんな眼を向けられたことがある
母は嫌悪の眼を、父は欲情の眼を、優也は優越感に浸った眼を。
晶はその誰とも違う
だから似ていない
どれほど口調を優也に似せようと、仕草を母に似せようと結果は変わらない
だってその眼は、誰よりも恐ろしい色をしているから
奏斗からしても、どう接するべきなのかわからない
少しでも気に触れば、あの時のように首を締めてくるような、どう考えてもまともじゃない彼の眼
だから距離を置こうとしても、やはり逃げられなかった
何をしてても、どこにいても、必ず追いかけてくるあの眼、眼、眼。
鬱陶しいし、やめて欲しい
だが本人も無意識のようで、それがまた厄介だった
もちろん、本人もこのままではいけないと、数年前からカウンセリングに通っているようだが全く効果はなし
貰った薬もろくに効かず、副作用だけが積もっていく始末
毎晩魘されては朝早くに仕事に行き、帰ってきても食事を作ったりして休む暇もない
奏斗もそんな晶を見て流石に申し訳なく思うことがなくもない
奏斗自身も悪夢で魘されるため、そういう時だけ晶の側で寝ることがあった
その時だけは晶もぐっすり眠れて、奏斗も不安に囚われることなかったが、いつまでもこうではいけないだろう
このままお互い消耗していくだけなら、いっそのことコイツに委ねてしまった方が楽ではないか
決断するのにかなり時間は必要だったが、今更意地張るのもいい加減やめたかったのだ
「好きにすれば」
その言葉をきっかけに、晶はメンヘラ感全開になってしまったが、あの眼よりは"家族"に変換してから幾分かは楽になったように思える
事あるごとに構ってくるのは、流石にやめてもらいたいが
この前など勝手に奏斗のベッドに潜り込んで来て、結局朝まで一緒に寝るハメになった
「大好きだよ、俺の兄さん。俺が最後まで面倒見てあげるから。だから、絶対にどこにも行かないで」
隠そうともしなくなったそのヒステリックさを見て、奏斗は時に父の言葉を思い出す
父は奏斗をベッドに押し付けながら、言い訳するように言っていた
「お前のせいだ。お前が俺を狂わせたんだ」
まさに、その通りだと奏斗は思い返す
母は奏斗から逃げるように家を出て、別の相手と事故で死んだ
優也は頼んでないとは言え、奏斗のために犯罪者と手を組んで死んだ
奏斗のせいだと言った本人は絶賛務所で刑期を全うしているだろう
奏斗と関わった主な人間は誰も彼も普通じゃなかった
そして終わりはどれも悲惨だった
そう思うと、晶も奏斗に狂わされた1人なのかもしれない
だからといって奏斗が悪いと言うわけでもないなだが
今の晶なら、奏斗に何かあったとすれば簡単に自ら命を断つことを選ぶだろう
それくらい奏斗に依存している
その姿はかつての優也のように、奏斗を逃すまいと必死になって縋り付く
だからこそ、奏斗は晶から離れられない
ただ、これ以上人が不幸になる姿を見たくないと思った
奏斗が何か行動したことで、晶がどうにかなるかもしれないから
もう、誰かが死ぬなんてことは御免だから
今後も鬱陶しいコイツと過ごす日々は続くだろう
気が狂った獣を飼うのは骨が折れるが、奏斗が飼育放棄してしまえば、コイツはすぐに野垂れて死ぬだろう
それは、あまりに目覚めが悪い
飼い主ならば、最後まで責任を持って世話をしなければ
だから、奏斗は晶から離れられないのだ
彼の"家族"として、生きていくしかないのだ
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