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五、花音
千珠を助けたのは、青葉国第十四代目当主、大江光政である。
先代の父・大江政春が亡くなり、齢十九であった光政が家督を継いでから、四年の月日が流れていた。
青葉国は備前と播磨の国境に位置する、瀬戸内に面した国だ。穏やかな気候と豊かな自然に守られて、この国は大きな争い事もなく繁栄してきた。
海では漁師たちが魚を獲り、町では海路を使う商人たちが賑やかに商いをし、女子どもは溌溂と男たちの仕事を助ける。人々の暮らしは活気に満ちている。
千珠の匿われている寺は、青葉の国の山間にある寺だ。寺名は霊仙寺というが、国の名から"青葉の寺"と呼ばれることがもっぱらである。
元応二年(1320)に建立されたこの寺には、本尊を祭る阿弥陀堂と能舞台、そして二層造りの鐘楼が、広々とした庭を囲むように配置されている。
正門をくぐって正面に聳える阿弥陀堂は、本尊たる阿弥陀如来立像、両脇壇に聖徳太子像と法然上人坐像を安置する、古めかしくもどっしりとした建物である。
それらの伽藍の裏手には二つの僧坊と、更に山奥へと進んだ先にある離れの建物が立ち並び、そこいらはいつも子どもの声で賑やかだ。
ここの住職はもう高齢であるが面倒見が良く、困っている者を放っておけない人物であった。戦や天災で親を失った子どもたちを見捨てることを良しとせず、あちこちから保護されてきた子どもらを青葉の寺で育てているのであった。
❀
千珠の世話係となった花音 も、そうして拾われた子どもの一人だ。
花音は昼餉を持って、千珠のいる離れへとやってきた。
障子をそっと開けて中を見ると、千珠は壁にもたれ、座り込んでいた。片膝を立てて腕に顔をうずめている。
花音は心配そうに眉を寄せ、すっと部屋の中に入った。
「お昼ごはん、食べる?」
そっと横から千珠を覗き込む。
「……」
「あたしたち、ふたりともみなし子になっちゃったんだね」
千珠は顔を上げた。琥珀色の目はどことなく濁り、虚ろな目をしているものの、泣いてはいない。
「聞いていたのか」
「うん。でも、大丈夫だよ。ここの人は皆優しいし、食べるものにも困らないもん」
「……お前も、苦労したみたいだな」
「まぁね」と、花音は笑った。
「光政様も、良い人なんだよ」
「……」
「あたし、ここへ来たばっかりの頃、遊んでもらったことがあるんだ。とっても強くて、とっても優しい人だよ」
「お前も、俺があいつの下僕になればいいと思っているのか」
「違うよ。でもね、そうなったら、千珠さまはずっとここにいてくれるんでしょ?あたし、千珠さまはここにいて欲しいもん」
「……なんでだよ」
「一人ぼっちは嫌だもん」
花音の真剣な眼差を受け、千珠はその意図が分からず困惑してしまう。
「お前には寺の奴らがいるだろう」
「千珠さまが一人ぼっちなのもいやなの!」
「俺は鬼だ、人間と一緒にするな」
「あたしがいやなの!」
千珠は困り果てた顔で、溜め息をつく。慣れない人間の女童 相手に、どう反応していいやら分からない。
しかも、この花音は鬼を恐れる風もない。それが更に、千珠を戸惑わせる。
「分かるんだから、寂しいって。さっきも本当は泣いていたくせに」
「泣いてなんか……」
「うそ!寂しがり屋のくせに!」
花音は目に涙をいっぱいにためて、じっと千珠を見つめてくる。
「……」
さっき心を占めていたのが、寂しいという感情なのだろうか……。ふと、そんなことが頭をかすめる。
千珠は、白珞族の仲間たちしか知らなかった。
戦闘種族と呼ばれる鬼でありながら、戦いの中で生きるということがどういうことかよく分からぬまま、一人になった。
この世にたった一人取り残され、たった一人で生き延びて。これからどうすればいいのか、まるで皆目見当がつかないでいる。
俺はどうすればいいんだろう……。
花音の言葉は、いちいち胸に深く突き刺さってくる。
段々と自分の本音が顕にされるような感覚を誤魔化すように、泣きそうな表情で俯いている花音の頭を、千珠はおずおずと撫でる。
「……分かったよ。分かったから泣くな。確かに、一人でいるよりはお前たちといた方が良さそうだな」
千珠がそう言うと、花音が顔を輝かせて笑う。
「そうでしょう?」
「戦が終わるまでは、お前らの味方でいてやるよ」
「戦が終わっても、ずっとここにいたらいいじゃない」
「人間と暮らせってのか?冗談じゃない、戦が終われば俺は……」
「帰る所なんか、ないんでしょ?」
「そうだけど……」
「じゃあここにいたらいいよ、ずうっと、ずうっと」
花音の言葉に、言い返す台詞が見つからない。
戦が終われば、光政の生命を奪って里へ帰る。それが白珞鬼のやり方だが、帰る場所はもはやない。
「とりあえず……俺は光政に勝利をもたらさねばならない。全てはそれからだ」
千珠は、否応なしに現実を突きつける花音と過ごすことに疲れてしまい、裸足のまま裏山の中へと逃げ込んだ。
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