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六、契り

 青葉の国の中心にある丘陵地に、三津國城は鎮座している。    五層から成る本丸御殿は総漆喰塗りの白壁で、最上階には廻縁と朱塗りの高欄を備え、勇壮でありながら、どことなく女性的な優美さをも併せ持つ佇まいだ。  その脇を固めるように建ち並ぶのは三層建ての二ノ丸と、二層建ての三ノ丸である。  城壁の中は広々とした空間を確保しており、本丸の東脇には武者達の屯所、二ノ丸の東脇には忍寮、三ノ丸の南には物見櫓があり、その周りをぐるりと御堀と城壁に囲まれている。  常に多くの家臣が城を守りながら住まっており、彼らを目当てに、日々顔馴染みの商人たちが着物、武器、書物、雑貨などを売りにやって来る。また野菜や魚などの食料を、籠を引っ提げて振り売りしに来る者もあり、城下は常に賑やかだった。  そう、戦の始まるその時までは。  この数年、城の中は常に武装した武者達が行き交い、物々しい雰囲気を醸し出している。  戦のため、今までの職を一旦置いて武芸に励む者も多くいる。そしていざ戦が始まれば、海で漁をしている者も、畑を耕していた者も、鎧をかぶって槍を持ち、戦場へと馳せ参じなければならないのである。    ✿    ある晩、光政は最も信頼の置ける部下の一人を城に呼び寄せていた。  名を、舜海(しゅんかい)という。  舜海も十数年前の戦にて親兄弟を失い、寺で生を永らえた一人だ。光政の幼い頃より共に鍛錬をしてきた馴染であり、齢十八という若さでありながら、青葉の国の主戦力として動く男であった。  舜海は黒衣に白抜き牡丹紋の輪袈裟を首にかけ、法師の出で立ちをしていながら腰に刀を帯び、錫杖を持っているという珍妙な男だ。  首下程までに伸びた黒髪は結わず、目を隠してしまいそうな長い前髪の下には、凛々しい眉と鋭く力強い目が覗く。およそ僧侶のものとは言い難いその凄味のある目つきからは、見る者に粗野で乱暴な印象を与えてしまうものの、舜海は至って鷹揚な人物である。 「殿、舜海です」 「おう、入れ」  すっと襖を開き、すっきりと片付いた十畳間の中を見やると、そこには長い銀髪の小柄な者が、こちらに背を向けて座っていた。  光政は手招きして舜海を迎え入れ人払いをすると、舜海はどっかりとその者の横に座り込む。  そして、一瞬でその目は釘付けとなった。  燭台の光に照らされた横顔は、まるで造り込まれた人形のようで、舜海が出会ってきたどんな女よりも美しい。絹糸のような銀髪と肌理の細かい艶やかな肌に、舜海はすっかり目を奪われていた。 「舜海、こいつは白珞族の千珠だ」  光政は、どこか得意げにそう言った。  しかし、舜海は食い入るように千珠の横顔を見つめているため、返事をしない。 「千珠は俺に仕えると決めたのでな、これから契約を交わすのだ。そして舜海、お前がその証人となれ……っておい、いつまで見ている。千珠、何とか言ってやれ」  千珠はちらりと舜海を見て、「何を見ている。死にたいのか」と、ぶっきらぼうに言い放つ。 「何や!お前、男やったんか!」  舜海は驚いたのか、半ば裏返った声になっている。光政は面白そうに膝を打って笑った。 「ははは!これは傑作だな。まぁ無理もないがな」  千珠はしばししげしげと舜海を観察するように見ていたが、飽きたようにぷいと視線を逸らした。  光政は、千珠との契約の次第を舜海に話した。頷きながら聞いていた舜海は、ちらちらとの千珠の方をまだ見ている。  無表情に目を伏せているこの小柄な子どもが、あの有名な白珞族だとは、半ば信じられない……といった目つきである。 「俺はこの千珠が気に入った。お前も相違なかろう?」 「まぁ……殿がそう言うなら」 「よし。では千珠、始めるか」  千珠は正座した膝の上に置いていた手をすっと上げると、自らの人差し指の爪で、左手首を傷つけた。すうっと赤い線が白い肌に浮かび上がる。  傍らに置いていた黒い漆塗りの器をそっとその下に置くと、血の滴る手首を顔の前に掲げ、まっすぐに光政を見つめた。  白い手首を伝って、ぽた、ぽた、と器に千珠の鮮血が溜まっていく。  一瞬も、千珠は光政から目を逸らさなかった。光政もまた、そんな千珠から目を離すことはなく、二人はただじっと見つめ合っている格好であった。  千珠は傷付けた手首を庇うようにもう片方の手で覆う。器を差し出された光政は、無言でそれを受け取ると一気に喉へ流し込んだ。  ぬるりとした感覚と共に、不思議とまだ鼓動を持っているかのような千珠の血液が、その体内に流れ込んでいく。  そして同様に光政も新しい器に血を受け、千珠がそれを口にする。  自分の血液が千珠の小振りな唇に吸い込まれる様はどこか淫靡であり、光政は盃を傾ける千珠をしばし陶然と見つめていた。  「これで、俺はもうあんたの言うことには逆らえない」 「そうか」 「お前が死ぬ時、それは俺が再び自由になる時。そして俺が死ぬ時、それはお前の死を意味する」 「分かっているよ」 「ちょう待て!それじゃ割りに合わへんやないか!」 と、黙って儀式の様を見ていた舜海が、大声で口を挟む。 「さんざんこき使われてやるんだ。それくらい我慢しろ」 と、千珠は冷ややかにそう言った。 「こいつ…口の悪い下僕やな」 「お前が言うな」 と、光政。 「試しになにか命じてみたらどうやろ?この口のきき方を改めさせるとか」  舜海は濃い眉毛をぴくぴくと震わせながら、光政にそんなことを進言した。  光政はじっと腕組みをして何か考えている様子だったが、ふとそれを解いて膝を叩く。 「取り敢えずお前たち、くれぐれも殺しあうなよ」  千珠はきょとんとすると、「それだけ?」と聞き返す。 「なに、この戦乱の世だ。その内忙しくなるんだからな。お前は怪我が治りきるまで、寺でじっとしていろ。次の出陣がいつになるかはまだ分からぬが、それまでは大人しく休め。いいな」 「……分かった」  光政は千珠にそう命じ、脇息(きょうそく)に肘をついて微笑んだ。

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