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十三、決まらぬ覚悟

 翌朝の軍議には、舜海と留衣も加わった。  留衣の背後には、留衣と揃いの忍装束を身に付けた、すらりと背の高い男が影のように控えている。  名を、(ひいらぎ)という。  いよいよ出立の刻限が近づいて、どの武士の顔にも緊張感が漲っている。  光政は華やかな緋縅の鎧に身を包み、家臣たちに指示を与えている。その背後に半ば隠れるように正座をして、千珠は話の内容に耳を傾けていた。  いよいよ合戦が近いことが否応なしに感じられ、千珠の胃はしくしくと痛んだ。覚悟が決まりきっていないことを自覚してはいるものの、努めて無表情でいるためには相当な気力が必要なのだ。  千珠は膝の上に置いた拳に力を込める。じんわりと、冷たい汗が気持ち悪かった。  程なくして軍議が終わり、数人がその場に残った。舜海、留衣と柊、そして唯輝である。  唯輝は千珠に向かって声をかけた。 「白珞族のこと、詳しく調べましたところ、私の間違いに気づきました。無礼を申した。すまぬな」 「ほれ、なにか言わぬか」  返事をしない千珠に、光政はそう促す。 「……気にしておりませぬ」  唯輝は少し笑う。 「真の主には従順ですな。書物のとおりじゃ。でも、私の命令にもあまり逆らわないほうがよろしいかと。光政殿と私と、結束の固いところを下々の者に見せるには、そなたが私にも従順でいたほうが良いであろう?」 「……承知した」  千珠はしおらしくそう言うと、頷くように目を伏せた。  それを見て、唯輝は満足そうに鼻の穴を膨らませ、その場を出てゆく。  舜海は鼻を鳴らすと、腕を組んであぐらを組んだ。 「ふん、いけ好かん。千珠、本当にあいつにも従うんか?」 「馬鹿言うな」 と、千珠は首を振る。 「ああ言っておかねば、面倒だろう」  舜海、留衣、柊、そして千珠という若者ばかりがその場に残り、ふっと気の抜けた時間ができた。光政にとっては、幼い頃から共に過ごし、兄弟のように育ってきた家臣たちである。光政は彼らに向かうと、少し前かがみになって神妙な口ぶりで言った。 「中津川は東軍の中でも相当に荒くれ者揃いの軍勢だ。少しやっかいな戦になりそうだぞ」  若者衆にとって、まだまだ戦は慣れたものではない。皆が真剣な面持ちで、総大将である光政を見つめた。 「忍衆には斥候を頼む。大丈夫か?」 「我らはそんなにやわじゃない」 と、留衣が少し腹立たしげにそう言うと、後ろで柊が少し微笑む。 「おお、そうだ。千珠、これは忍衆二番頭の柊だ。仲良くしてやってくれ」 と、留衣。 「よろしゅう」 「……よろしく」  千珠はちらりと、柊を見た。柊は、穏やかな笑みを浮かべて軽く頭を下げている。  揃えの黒装束と黒頭巾、額当ての付いた黒い鉢巻を巻いた柊は、まるで留衣の影のようだ。肌や声色から察するにまだ若そうであるが、ここにいる誰よりも背が高く、醸し出す老成した雰囲気から、柊はえらく年上にも見えた。  優しく微笑んではいるものの、涼しげな一重瞼の目はまるで笑っていないことにぎょっとさせられる。 「さて、俺は何をすればいい」  心の中まで観察されそうな柊の眼差しから目を逸らすと、千珠は光政を見上げた。 「お前は最前線で向かってくるやつを倒せばいい。あとは、潜んでいる敵の位置を俺に伝えろ」 「分かった」 「千珠がおれば、俺らは西軍の中でもかなり優勢やな」 と、舜海は得意げに笑う。 「ああ……。だが、重要なのは帝を東軍からお守りすることだ。手柄もいいが、大局を見失うなよ」  舜海は光政の強い瞳に見据えられて、表情を引き締めると、しっかりと頷いた。  光政は立ち上がって、開け放した扉から、支度に勤しむ部下たる兵たちを見渡した。夏の終わりが近く、照りつける太陽の暑さは少しずつなりを潜めて始めている。  蝉の鳴き声がわんわんと響く午前の明るい日の中で、乾いた熱風に煽られた土埃が、視界を白く煙らせる。その中を慌ただしく武者達が動き回る城内の空気は、ひどく埃っぽい。  千珠は、そんな人間たちの忙しない様子が、薄い膜にでも覆われた別の世界での出来事のように感じられていた。  これから戦に赴き、人間を大勢殺さねばならないという現実がすぐ側まで迫っているということが、他人ごとのように思われてならなかった。  怖い、という感覚はよく知らない。  しかし、身体中の血が冷えて、気を抜けばへたり込んでしまいそうになる心持のことを"怖い"ということならば、自分はどうあってもその感覚を無視せねばならない。  鬼である自分に求められるのは、強さのみ。    不安も恐怖も、微塵にも見せてはならない。  それが、ここにいる理由なのだから。 「さて。家族へのしばしの別れは……皆終えたかな」  ふと、光政が呟いた。 「千珠、花音のところへ行ってやれ。いつ帰れるか分からぬからな」  光政の言葉に舜海も留衣も頷いている。  花音の屈託のない笑顔を思うと、震えそうになる拳から、ほんの少しだけ力が抜ける気がした。

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