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十六、血染めの鉤爪

 何事も無く行軍は進み、夜中には近江、山城、そして大和の三国にまたがる国境へ到着していた。  鬱蒼とした森の中、軍勢はそこで一旦休息を取りながら、千珠の戻りを待って再び軍議が開かれることとなった。 「この近くに敵はいない。しかし山を超えた麓の村が荒らされていた」  光政以下五人の重臣たちの顔に緊張が走る。 「して、その軍勢の数は?」 と、菊池宗方が千珠に尋ねた。 「臭いからするとそう多くはない。五十から百に満たない程度だろう。夜が明ける前に、範囲を広げて見てこよう」 「ただの山賊の仕業ではないだろうな。このあたりには多いからな。そんな輩まで相手にしている余裕はないのですぞ」 と、意地悪く唯輝が口を挟む。 「我々の邪魔をするような輩であれば、その場で俺が片付けておこう」  千珠があっさりと言い返すと、舜海はぼりぼりと頭を掻きながら千珠の背中をべしと叩く。 「待て待て、村ひとつ潰すような奴ら、お前一人で片付けられるわけあるか」 「どうかな」  千珠は唯輝へ向けている醒めた視線を、そのまま舜海に移した。 「まあ良いではないか。本人がやると申しておるのだから」  唯輝は笑みを浮かべ、猫なで声で「そなたの力量、皆が知りたがっておるからな」 と、にんまりと笑った。  床几(しょうぎ)に腰掛けている光政は膝の上で頬杖をつき、黙ってそんなやり取りを見ている。  千珠はじっと無表情に唯輝と目を合わせていたが、興味を失ったようにすっと目を閉じた。  ❀  翌朝、日が昇るより早く、千珠は陣を出た。  森の木々の上を、飛ぶように駆ける。そして日が昇る頃には、滅ぼされた村に降り立っていた。青葉の軍勢がここまでたどり着くのは、おそらく正午前だろう。  千珠はあたりを見回す。  清々しい朝焼けに照らされ始めた道には、ごろごろと無残に斬り殺された人間が転がっている。黒い鴉が死体に群がり死肉を啄き合う(やかま)しい鳴き声が、早朝の静けさの中、不気味に響いている。  既に殺されて数日が経っているようだ。葉月の暮とはいえ、まだ日の高い内はかなりの暑さであるから、中には(うじ)の湧いている死体もある。  子どもを庇うように倒れ伏した母親の姿も見え、千珠は痛みそうになる心をしゃんとさせようと、唇を噛み締めた。  田畑の畦道を歩き、質素な家々を検分しながら進む中、村中漂う血の匂いと腐臭に千珠は鼻を覆った。  鬼は血を好むが、千珠は人間の血が流れるせいか、その臭いには抵抗を覚えるのだ。  村の食料や金目の物は全て奪われている。千珠は村の中央に出ると、ひときわ大きな屋敷を見上げた。おそらく村の長の住まいであろう。  どこもかしこも、静かだった。  ふと、滅ぼされた自分の里のことを思い出す。  風の匂い、かき消すように消えた仲間たちの気。  この村と同じ……。  ざあっ……と強い風が吹く。  感傷に呑まれかけた時、ふと生きている人間の気配を感じた千珠がゆっくりと後ろを振り返ると、屋敷から五、六人の鎧直垂姿の男たちが千鳥足で現れた。その鎧に刻まれている紋は、東軍のものだ。  酒の匂いと死臭を漂わせ、とろんと澱んだ卑しい笑みを浮かべているその姿に、自分でも戸惑うほどの強い怒りを感じた。  罪なき村人たちを惨殺したという事実が、仲間たちの悲惨な最期と重なって、千珠は腹の底からふつふつと沸き上がってくる。憎しみを堪えるように、千珠は拳を握り締めた。  武者たちは千珠が子どもだということに気を抜いたのか、にやにやと笑いながら周りを取り囲んだ。 「見ろ、こんなに美しい女童を忘れて行ってやがる」 「しかしこの姿……人ではないな」 「妖か?しかし、こんなちび、何ができる」  千珠の正面に立っていた鎧武者が、刀を抜いてぴたりと千珠の首に当てた。千珠は微動だにせず、刀の切先を見つめた。 「怖いか。そうだよな。……へへへ。ちょっと遊んでやろう。退屈していたところだ」 「脱がせ脱がせ」  武者たちは酒臭い吐息を撒き散らしながら卑しく笑い、千珠ににじり寄ってきた。一人の男が、千珠の狩衣の襟に手をかける。  千珠は片手でその手首を掴むと、そのまま捻り上げた。 「うわ!!何しやがる!」  腕を捻られて地面に膝をつかされたその男が、情けない声を立てて身体をよじった。 「はははっ、なにやられてやがる!こんな餓鬼に」と、周りの男達はげらげら笑いながら、更に一歩、千珠に近づいてきた。    千珠の目が光る。  武者の腕を掴んでいた手に力を込めると、その腕を捻り上げ引き千切った。  男たちの表情が、凍りつく。 「うぎゃあああああ!!!!」 「……五月蝿いぞ」  腕をもぎ取られた男が悶絶し、悲鳴を上げる。  千珠は冷たくその男を見下ろし、手を手刀の形にする。そして鉤爪に力を込め、腕のひと振りでその首を飛ばした。  真っ赤な鮮血が迸り、千珠の白い衣を汚す。刎ねられた首から鮮血を噴き上げながら、武者の身体がその場に崩れ落ちる。 「ば、化物……」  残りの男たちはふらつきながら逃げ出そうとしたが、千珠はひらりと地を蹴り跳び上ると、その男たちの行く手を阻む。  そして、道案内のために一人だけを残し、その他全員の武者の首を、掻き切った。 「うわぁあああ!!なんだてめぇ……!!来るな、来るなぁ!!」  仲間たちの身体から流れ出した夥しい地の海の中で腰を抜かしている男は、涙を流しながら命乞いを始めた。  千珠は感情の伺い知れぬ、色のない目でその男を見下ろす。 「お前らの本陣へ連れて行け。断ればどうなるか、分かるな」  千珠は血に濡れた爪をぺろりと舐めて、男の前にしゃがみこんだ。  男は壊れたからくり人形のように浅い頷きを繰り返し、がたがたと震え、恐怖に慄いた目線を千珠に向けている。  そんな視線を心地良く感じた自分の本性はやはり鬼なのだなと、千珠は心の片隅で納得していた。

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