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二十二、舜海の法力

 ――肉が裂ける。また……、また……。  頭が割れるようだ。身体の中で、呪いが暴れまわる。  身体が熱い。  体内で呪いが爆ぜ、肉を引き裂く。  仲間たちの悲鳴が、聞こえてくる。  生暖かい自分の血が、左目に流れ込む。足がもつれる。  千珠が倒れこんだ場所は、切り立った崖の一歩手前だった。遥か下方に、どうどうと流れる大きな川が見えた。  その時、右足から突然血が吹き出した。 「ああああ!!」  耳の中にはっきりと聞こえる、呪詛の詠唱。千珠は耳を塞いでその場に蹲った。 「黙れ!黙れぇえ!!」  ――……千珠。  微かに、聞いたことのある声がした。 「おい!千珠!!」  ――光政……? 「大丈夫か!?」  顔を上げると、駆け寄る数騎の馬と、そこから飛び降りて駆け寄って来る舜海が見えた。  舜海は千珠を抱え起こすと、血に塗れた全身を見て表情を険しくする。 「お前!千珠を見つけたと殿に伝えろ!お前らは僧兵を探せ!近くに居るはずや!」 「はっ!」  連れてきた兵たちが、ばらけていく。舜海は千珠を膝にもたせかけて抱き起こしたまま、錫杖を地面に挿すと、印を結んで再び霊気を走らせる。 「あぁあ!!」   また、千珠の身体が血を吹き上げた。舜海が僧兵の位置を捉えると同時に、ぴたりと呪詛が止んだ。向こうも舜海に気づいたらしい。  千珠の身体から一気に力が抜けて、がっくりと崩れ落ちる。 「おい、しっかりせぇ!」  抱き起寄せて顔をのぞき込むと、千珠の額には大きな裂傷があり、顔半分はべっとりと血に濡れている。呼吸も浅く、背中を支える手にもぬるりと湿った感触があった。 「まずいな……」  舜海は千珠の傷を見るべく衣を脱がせる。千珠の白い身体には、まるで体内に火薬でも仕掛けて破裂させたかのような無数の裂傷があり、あまりの痛ましさに、舜海は唇を噛む。 「ひどいな……。よっしゃ、千珠、俺が助けたるからな!」 「……う……あ……」  千珠が呻くので顔を覗き込むが、意識はない。  舜海は袖をまくると、一回合掌をしてから、千珠の額と首の傷に掌をかざす。すると、そこにぼんやりと金色の光が生まれた。  じわり、じわりと、血が止まり傷が塞がっていく。  舜海は歯を食いしばり、額に汗を流しながら治癒の術を施し続けた。  次に身体の目立った傷にも同様のことをしていく。千珠の荒い呼吸が、少しずつ少しずつ、収まっていく。  傷を癒すこの術は、術者である舜海の体力を削り取る重い術だ。舜海は、ここ最近武芸の修行ばかりしていたことを悔いる。 「……きつい!」  舜海は一旦術をやめると、その場に手をついてぜいぜいと喘いだ。しかし、このまま弱った千珠を放っておくことは出来ない。  千珠が死ぬということは、その主である光政が死ぬということでもあるのだ。   舜海は千珠の上に屈み込むと、顎を仰向かせ、口を開かせた。  そして、深呼吸をすると、千珠の唇を自らの唇で塞ぐ。口から霊気を送り込み、千珠の気を高めるためだ。  しかし、妖気と霊気は、元来相容れない力である。半妖である千珠の、人としての血に賭けるしかなかった。  ――どくん……どくん……  千珠の拍動が、力を増していく。流れ出していた血が止まり、青白かった顔色が、徐々に血の気を取り戻し始める。 「……良かった」  舜海は千珠の胸の上に耳を寄せ、しっかりと生を刻む拍動と、穏やかに上下する胸の動きを確認する。安堵した舜海は、その場に尻餅をついて脚を投げ出した。 「あぁー、焦ったぁ」 「う……」 「千珠?」  起き上がり、千珠の顔を再び覗きこむと、千珠は小刻みに瞼を震わせて、色の失せた唇を動かす。 「は……母上……」  苦しげに母を呼ぶ千珠の姿に、舜海ははっとした。  いくら強いといっても、千珠の精神はまだ子どもなのだ。しかも仲間をすべて失い、不安の中で一人、天下を分かつような戦いに身を投じている……。  ――可哀想に……。   舜海は血のこびりついた千珠の髪を撫でてやる。雲の切れ目から射し込む一筋の陽の光が、目尻から流れた一筋の涙を照らす。 「千珠……」 「うぅっ……」  苦しげな表情だ。もう一度霊気を送り込んでやれば、また少し回復するはずだとは分かりながらも、なかなか霊力を回復できずにいることがもどかしい。 「くそ……もっと修行しなあかんな……!」  歯痒さに、唇を結ぶ。 「み……」 「ん?」 「みつ、まさ……」 「えっ」  不意に、千珠はそう声を発した。  そういえば、光政は一番に千珠の声を聞きつけていた。そうでもなければ、千珠は誰にも気づかれず、一人で死んでしまっていたかもしれない。  ――血の盟約の力か……。  舜海は、思いがけず胸の中に沸いた複雑な気持ちに、戸惑った。  ――阿呆か、なんで俺……ちょっと悔しいとか思ってんねん。こいつ男やで?それに、偉そうで可愛げのない性格した、ただのがきなのに。    ぴく、と千珠の睫毛が動くのを見て、舜海は顔を寄せた。 「……あ……お前……」  ゆっくりと千珠が目を開いてゆっくりと視線を彷徨わせ、その目に舜海の姿を捉える。 「舜海か……なんで……」 「目、覚めたか。お前、呪いを受けたんや」 「呪い……」  千珠はすぐさま身体を起こしかけたが、激痛に顔をしかめて再び地面に転がった。 「まだ動くな。お前の傷、手当はしたが……ひどいもんやったからな」 「お前の気……感じた」 「すまんな、俺の霊力にも限界があんねん。もう少ししたら、回復するから待っとけ。お前が半妖で良かったわ。妖気と霊気だ、一か八かやった」 「……お前、意外と……やるんだな……」  千珠の言葉に、舜海はぽかんとすると、笑い出した。 「そんな事が言えるなら、大丈夫やな」 「ふん……」 「やっぱり、お前を潰すための策も取られはじめたな」  千珠は上半身裸の上にかけられた舜海の衣を、ぎゅっと握りしめた。 「あいつら……里を落としたやつらなんだ……!」   燃えるような憎しみの炎をその目に映して、千珠は血を吐くような声で、呟いた。 「英嶺山の僧兵……あいつら、いつもいつも俺達を狙ってた。……あいつらが、俺達を滅ぼしたんだ……!」 「やっぱり、そうなんや」  その琥珀色の目は、あたりを優しく照らす陽の光でさえも憎いと言わんばかりに空を睨みつけている。食いしばった歯が、怒りに震えてかちかちと鳴った。 「くそ……殺してやる。全員、殺してやる……!」 「千珠……」  力の入らない傷だらけの小さな体で、怒りを漲らせる千珠は、舜海の目に、ひどく脆い存在に映る。  舜海は憂げな表情を浮かべ、そんな千珠を見つめていた。

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