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二十三、諍い
その日は、昼前から降り始めた激しい雨に行く手を阻まれ、仕方なく再び廃城に戻ることとなった。軍勢は、そこで雨をしのぎ、しばしの休息を得る。
その晩の軍議で、舜海は千珠が僧兵による呪いを受けたことを話した。
そんな状態でも、千珠は既に一人で一つの軍勢を潰しているため、"せっかくの鬼がいるのに、これでは意味がない"と顔に書いてある重臣たちも、文句を言い難い様子であった。
しかし、唯輝だけは違った。
「せっかくの鬼の力が得られぬとは、殿が命を張って契約した意味がありませぬな」
まさに鬼の首をとったかのように、勝ち誇った笑みを浮かべてそう言った。光政は険しい視線を、唯輝に向ける。
「……それでも、叔父上がここにいる意味よりは、千珠のいる価値のほうが重い」
冷ややかな光政の言葉に、その場が凍りついた。普段にこやかな宗方の表情も、強張る。
「……それは、一体どういう意味かな」
唯輝は怒りに身体を震わせながら、敢えて笑みを浮かべて光政を睨 めつけた。光政はすっと目線を上げて、まっすぐに唯輝を見る。
「後方に控えているだけのあなたが、この場で意見する権利もない。それに、千珠のことをとやかく言う権利もない」
「……若様が、鬼に誑 かされるとは……」
唯輝は笑みを引っ込めて立ち上がると、光政の襟首を掴み上げた。光政は抵抗せず、じっと叔父を見上げた。
「美しい見てくれに、騙されているのではあるまいか!?あいつは卑しき妖なのだ!人間ではないのだぞ!」
「帝を護るこの戦に、人も妖も関係ないだろう!あいつはよっぽど貴様よりも帝を護っているではないか!」
「……!」
唯輝は、立ち上がって自分を見下ろす甥を、悔しげに見上げた。乱暴に手を放す。
「何故、千珠の存在を認めようとしないのだ」
光政はじっと強い目で唯輝を見据え、低い声でそう訊ねた。唯輝は苛ついたように、荒々しいため息を吐く。
「嫡男というだけで……生意気な若造が……!」
「まだそれにこだわるのか。しつこい男だ」
光政がそう吐き捨てると、唯輝は怒りに目をらんらんとさせながら、鎧を鳴らして軍議の席を出て行ってしまった。
宗方はゆっくり立ち上がると、光政の肩を叩く。
「言い過ぎだ。少し落ち着け。唯輝殿は私がなだめておくから、お前も後で謝罪するのだぞ、いいな」
「……分かってる!」
光政も重臣たちに背を向けて、窓から外を見下ろした。
皆が黙り込んだ冷えた板の間に、ざぁざぁという雨の音だけが、気まずく響いている。
舜海を始め、皆が光政の態度に戸惑っていた。
光政はいつも冷静で、若い割に視野の広い、落ち着いた長だった。家督を継ぐにあたり、いざこざのあった唯輝に対してもそつなく礼を尽くしていた。
しかし、ここへ来て二人の亀裂は決定的になってしまったのだ。
「唯輝殿は、千珠さまという力を得て、更に権力を増すお前のことが許せないのだ。千珠さまご自身をどうこう言っているのではない。分かっているな」
静かに諭す宗方を、光政は横顔で見遣る。その目に揺れていた苛立ちの色が、少しずつ落ち着いてゆく。
「……ああ、分かってる。早く行ってくれ」
穏やかさを取り戻した光政に宗方は微笑を見せ、急ぎ足で唯輝を追っていった。
「まぁまぁ……今夜はこれで終わりにしようや、な!」
「そ、そうだな。明日は今日の遅れを取り返すべく、たくさん歩かねばならぬし、早く休まなければ」
舜海と留衣がその場を取り持って、軍議は終わった。ぞろぞろと重臣たちが広間を出ていく。
舜海と留衣だけがその場に残り、じっと口を閉ざしている光政の大きな背中を見つめていた。
「……すまん」
ぽつりと、光政はそう言った。
「ええって。若いくせに殿はいつも立派すぎる。あんな奴、あれくらい言ってやって丁度いいんや」
と、舜海はこともなげに言う。
「そうだ。あいつ、いつも口先だけで何もせず。兄上の行動に文句ばかりいいやがる」
と、留衣も同調する。
「……お前たち、ありがとうな」
振り返った光政の顔は、苦笑していた。いつもの穏やかな目をしている。
「とはいえ、少し言い過ぎた。明日から面倒だな」
「今は戦のことだけ考えましょうや、宗方殿がうまいこと言ってくれはるわ」
「……だといいがな」
光政は腕を組んで、降り止む気配のない、雨夜空を見上げる。
雨風を防げる場所で休めることは幸いだった。明日はおそらく激しい戦が待っている。雨に濡れながらの休息では、兵たちの士気にかかわる。
光政は軽く息をついて、訊ねた。
「千珠の様子は?」
「まぁ、落ち着いてきてるな。回復力も俺らとは桁違いやから」
「そうか。僧兵どもめ……」
「明日から、大丈夫やろうか。千珠のやつ、あんなにも苦しそうに……」
と、舜海。
皆がため息をつく。光政は苦笑すると、
「お前らも休め。俺が千珠についている」
「分かった、殿も休めよ」
「ああ」
一人になると、深いため息が光政の口から漏れた。
国の内でも外でも、何かしら不穏因子はあるものだが、ずっとぎりぎりの均衡を保ってきていた唯輝との諍いは、光政を心底疲れさせた。
血のつながりも濃い相手だからこそ、煩わしい。
その心はこの土砂降りのように、重い。
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