24 / 340

二十三、諍い

 その日は、昼前から降り始めた激しい雨に行く手を阻まれ、仕方なく再び廃城に戻ることとなった。軍勢は、そこで雨をしのぎ、しばしの休息を得る。  その晩の軍議で、舜海は千珠が僧兵による呪いを受けたことを話した。  そんな状態でも、千珠は既に一人で一つの軍勢を潰しているため、"せっかくの鬼がいるのに、これでは意味がない"と顔に書いてある重臣たちも、文句を言い難い様子であった。  しかし、唯輝だけは違った。 「せっかくの鬼の力が得られぬとは、殿が命を張って契約した意味がありませぬな」  まさに鬼の首をとったかのように、勝ち誇った笑みを浮かべてそう言った。光政は険しい視線を、唯輝に向ける。 「……それでも、叔父上がここにいる意味よりは、千珠のいる価値のほうが重い」  冷ややかな光政の言葉に、その場が凍りついた。普段にこやかな宗方の表情も、強張る。 「……それは、一体どういう意味かな」  唯輝は怒りに身体を震わせながら、敢えて笑みを浮かべて光政を()めつけた。光政はすっと目線を上げて、まっすぐに唯輝を見る。 「後方に控えているだけのあなたが、この場で意見する権利もない。それに、千珠のことをとやかく言う権利もない」 「……若様が、鬼に(たぶら)かされるとは……」  唯輝は笑みを引っ込めて立ち上がると、光政の襟首を掴み上げた。光政は抵抗せず、じっと叔父を見上げた。 「美しい見てくれに、騙されているのではあるまいか!?あいつは卑しき妖なのだ!人間ではないのだぞ!」 「帝を護るこの戦に、人も妖も関係ないだろう!あいつはよっぽど貴様よりも帝を護っているではないか!」 「……!」  唯輝は、立ち上がって自分を見下ろす甥を、悔しげに見上げた。乱暴に手を放す。 「何故、千珠の存在を認めようとしないのだ」  光政はじっと強い目で唯輝を見据え、低い声でそう訊ねた。唯輝は苛ついたように、荒々しいため息を吐く。 「嫡男というだけで……生意気な若造が……!」 「まだそれにこだわるのか。しつこい男だ」  光政がそう吐き捨てると、唯輝は怒りに目をらんらんとさせながら、鎧を鳴らして軍議の席を出て行ってしまった。  宗方はゆっくり立ち上がると、光政の肩を叩く。 「言い過ぎだ。少し落ち着け。唯輝殿は私がなだめておくから、お前も後で謝罪するのだぞ、いいな」 「……分かってる!」  光政も重臣たちに背を向けて、窓から外を見下ろした。  皆が黙り込んだ冷えた板の間に、ざぁざぁという雨の音だけが、気まずく響いている。  舜海を始め、皆が光政の態度に戸惑っていた。  光政はいつも冷静で、若い割に視野の広い、落ち着いた長だった。家督を継ぐにあたり、いざこざのあった唯輝に対してもそつなく礼を尽くしていた。  しかし、ここへ来て二人の亀裂は決定的になってしまったのだ。 「唯輝殿は、千珠さまという力を得て、更に権力を増すお前のことが許せないのだ。千珠さまご自身をどうこう言っているのではない。分かっているな」  静かに諭す宗方を、光政は横顔で見遣る。その目に揺れていた苛立ちの色が、少しずつ落ち着いてゆく。 「……ああ、分かってる。早く行ってくれ」  穏やかさを取り戻した光政に宗方は微笑を見せ、急ぎ足で唯輝を追っていった。 「まぁまぁ……今夜はこれで終わりにしようや、な!」 「そ、そうだな。明日は今日の遅れを取り返すべく、たくさん歩かねばならぬし、早く休まなければ」  舜海と留衣がその場を取り持って、軍議は終わった。ぞろぞろと重臣たちが広間を出ていく。  舜海と留衣だけがその場に残り、じっと口を閉ざしている光政の大きな背中を見つめていた。 「……すまん」  ぽつりと、光政はそう言った。 「ええって。若いくせに殿はいつも立派すぎる。あんな奴、あれくらい言ってやって丁度いいんや」 と、舜海はこともなげに言う。 「そうだ。あいつ、いつも口先だけで何もせず。兄上の行動に文句ばかりいいやがる」 と、留衣も同調する。 「……お前たち、ありがとうな」  振り返った光政の顔は、苦笑していた。いつもの穏やかな目をしている。 「とはいえ、少し言い過ぎた。明日から面倒だな」 「今は戦のことだけ考えましょうや、宗方殿がうまいこと言ってくれはるわ」 「……だといいがな」  光政は腕を組んで、降り止む気配のない、雨夜空を見上げる。  雨風を防げる場所で休めることは幸いだった。明日はおそらく激しい戦が待っている。雨に濡れながらの休息では、兵たちの士気にかかわる。  光政は軽く息をついて、訊ねた。 「千珠の様子は?」 「まぁ、落ち着いてきてるな。回復力も俺らとは桁違いやから」 「そうか。僧兵どもめ……」 「明日から、大丈夫やろうか。千珠のやつ、あんなにも苦しそうに……」 と、舜海。  皆がため息をつく。光政は苦笑すると、 「お前らも休め。俺が千珠についている」 「分かった、殿も休めよ」 「ああ」  一人になると、深いため息が光政の口から漏れた。  国の内でも外でも、何かしら不穏因子はあるものだが、ずっとぎりぎりの均衡を保ってきていた唯輝との諍いは、光政を心底疲れさせた。  血のつながりも濃い相手だからこそ、煩わしい。  その心はこの土砂降りのように、重い。

ともだちにシェアしよう!