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二十六、叫び

 千珠は土砂降りの中、立ちすくんでいた。  五人の強力な霊力を持つ僧兵に前を固められ、その周囲を二、三十人の雑兵たちに取り囲まれ、動くに動けぬ状態になっている。  ついに千珠の眼前に現れた僧兵達は、皆無表情に千珠を見据えていた。  そこには、僧兵個人の感情など一切なく、ただただ、千珠のことは抹消する対象物としか思っていないような、冷徹な瞳が居並んでいる。  千珠の指と鉤爪は切り裂いた人間の血に塗れ、雨に流されたその血がぼたぼたと雫を作り、地面を赤く染めてゆく。  狩衣は破れ、返り血と泥でぼろぼろだ。  蒼白な顔色は更に蒼く、銀髪から雨を滴らせ、真っ赤に染まった衣を身にまとった千珠は、琥珀色の目に憎しみを込めて、居並ぶ僧兵を睨みつけている。  ――……この霊気の匂い……里を滅ぼした奴らに違いない……!こいつらが、俺の仲間たちを殺したのだ。  物を見るような目をして、俺の仲間を皆殺しにしたのか。私怨もなく、ただただ金のために……!!    千珠は左手首にはめていた珊瑚の数珠を引きちぎる。  そして、いつか舜海に見せた宝刀を、自らの体内から抜いた。  禍々しい妖気を纏わせた、美しい宝刀が姿を現す。千珠の妖力を増幅させる役目を持つその刃によって、あたりの空気が一瞬歪む。 「おのれ……!」  千珠が剣を構えると、僧たちもさっと数珠を手に持った。そして、呪詛の詠唱を始める。  頭の芯に直接響いてくるような呪いの声。  意識を幾度も奪われそうになりながら、殺意でそれをを食い止めて、千珠はゆらりと宝刀を青眼に構える。  千珠の目がぎらりと光り、縦に長い瞳孔が鋭くなる。  僧兵の呪詛を振り切って、憎き(かたき)に向かい身を踊らせ、宝刀を唸らせる。  一閃、頭目らしき僧兵の首が胴から離れ、雨に混じって、真っ赤な血飛沫が噴き上がった。それはあっという間に、あたりを赤く染め上げる。  ゆっくり、ゆっくりと、胴体が泥濘んだ地面に倒れ伏す。  僧兵の読経が一瞬やんだ。  千珠はその隙を見逃さなかった。一気に間合いを詰め、次々と僧兵の首を宝刀で飛ばした。それらの身体が鮮血に塗れてその場に崩れ、真っ赤な大河が地面を洗う。  憎しみのあまり爆発的に妖力を増す千珠の姿に恐れを抱き、逃げ出しかけた雑兵に向かう千珠の目は、もはや明るい琥珀色ではなく、血に染まったかのような真紅である。 「おおおおおお!!」  咆哮を上げながら刃を、鉤爪を振るう。  千珠は容赦なく、残りの人間たちを全て、斬り裂いた。 「はぁっ!はっ!はぁっ……!」  激しい雨が、足下に溜まった鮮血を跳ね上げる中、肩で荒い息をする。  血が沸き立つように、身体が熱くて仕方がない。  抑えられない。  千珠は膝をついた。頭が割れるように痛んで、両手で頭を掴む。  ねっとりとした、血の感覚。  両手を見下ろすと、その手は真っ赤だ。  拭っても拭っても、その赤は取れない。 「う……あ……。うわあああああ!!!」  千珠は恐怖に駆られ、叫んだ。  数多の死体に囲まれ、滝のように降る雨に打たれながら、千珠は這い上がってくる恐怖に悶え、叫び声を上げ続けた。   そこへ数人の手勢を連れた舜海が、馬を駆って現れる。 「千珠!!」  舜海は馬から飛び降りると、千珠の肩を掴んで揺さぶった。 「しっかりせぇ!」 「あああああ!!」  千珠の強大な妖力が一気に放たれて、舜海の身体が弾き飛ばされる。膝をついた格好で険しい表情を浮かべつつも半身を起こすと、苦しげに頭を抱えて悶え苦しんでいる千珠の姿が、けぶる雨の向こうに見えた。 「俺は鬼だ!!この世で最も気高い白珞族だ!何故……こんな……こんな奴らに……!くそ……くそおっ……!!」  千珠の目は紅く染まり、瞳孔は獣のように縦に細く裂けて、ぎらぎらと憎しみの色で濁りきっている。  舜海は兵に支えられて何とか立ち上がると、ごくりと唾を飲み込む。 「……お前たちは下がっとけ。今の千珠の妖気を浴びてもうたら、危険や」 「光政殿に知らせまするか?」 「いや……俺が責任もって連れ帰る。ここらの兵は死に絶えて、僧兵も全員殺られとる。そのことだけ、殿に知らせてくれ」  舜海は錫杖をついて一人で立つ。千珠は頭を抱えて蹲り、小さくなって震えている。  舜海は、慎重な足取りで千珠に歩み寄った。 「千珠?」  千珠が、ゆるゆると顔を起こす。  苦痛に歯を食いしばって泣いている。涙と血が合流し、まるで血の涙を流しているかのようだった。  舜海はこれまで、人がこんなにも悲痛な表情をするたころを、見たことがなかった。 「舜……海……」 「千珠……」 「俺は、何を憎めばいいんだ……?仲間を滅ぼしたのは、人間だ。しかし俺の父は……母が愛したのも人間だ。その人間を、俺はこの手で一体どれだけ切り裂いた?」 「千珠、憎しみに呑まれるな!復讐は済んだんや。心を静めろ、千珠」  そう言いながら、舜海は千珠を力強く抱きしめた。湿った衣越しに伝わる千珠の強張った熱い身体を、必死で宥めるように背を撫でる。 「もう誰も憎む必要なんかないんや。今は何も考えるな」  強張っていた千珠の身体から、徐々に力が抜けていく。 「ここの戦は……?」 「我らの勝利や。お前のおかげやで」 「殿は無事か?」 「ああ。河上で待ってるで」 「そう、か……」  千珠は微笑み、舜海の腕の中で、ゆっくりと目を閉じた。

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