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三十九、美味なる男

 舜海はふと目を覚ました。うとうとしていたらしい。  傍らを見ると、千珠は相変わらず同じ姿勢で眠っている。よほど疲れたのだろう。  ――まだ黒髪……? ああ、夜が明けてへんからか。  ――ほんまにきれいやな、こいつ。人間とは思えへん……って、人間じゃないか。  その寝顔に見惚れていると、昨朝の柊の言葉が思い出された。  光政に抱かれる、千珠の姿。    いつも無表情で高飛車で生意気な千珠。しかしたまに見せる笑顔はとても綺麗で、その場がきらきらと光り輝くように見えたものだ。  戦の最中(さなか)は、返り血を浴びながら、ひとひらの感情も窺い知ることのできぬような、凍った仮面の如き無表情で敵を斬り裂いていた千珠。  そんな千珠が快楽に喘ぐとき、どんな表情を浮かべ、どんな声を漏らすのか……。舜海には、全く想像がつかなかった。 「何考えてんねん、俺」 「……んぅ……」  呻き声がしたため腕の中をもう一度見下ろすと、千珠が顔をしかめて苦しげに身動ぎをしている。 「あう……ううっ……!」 「千珠? どうした」 「うううっ……うあ、ぁ!」 「千珠! 起きろ、千珠!」  あまりに辛そうなその姿を見かねて、舜海は千珠を揺り起こす。  ぱちっと開かれた両の目は、まるで恐ろしいものを見たかのように大きく見開かれ、細っこい両腕を突っ張って舜海を引き離そうとしている。だが、それは全く上手くはいかなかった。  普段ならば肋の二三本折られてしまうであろう千珠の怪力だが、人の姿であるせいか、それはまるで非力である。 「おい、俺や、俺」 「舜……海」 「大丈夫か? 悪夢でも見たんか?」 「う……ううっ」  千珠の黒い瞳からぽろぽろと大粒の涙が流れ出し、舜海は仰天した。 「ど、どないしたんや!?」 「うう……うえっ……う……」 「千珠、大丈夫やから。な? 大丈夫やから、落ち着け」  舜海は起き上がって千珠を抱き締めながら、必死で背中をさすって宥めにかかる。 「怖い夢、見たんやろ? 大丈夫やで、俺がおるから、な?」 「う……ぐすっ……」  千珠は鼻をすすりながら、舜海の黒衣にしがみついて震えている。華奢な背中を抱き締めながら、舜海はただ大丈夫だと伝え続けた。  しばらくそうしていると、千珠の嗚咽が収まってきた。  舜海は千珠の表情を確認すべく、肩にそっと手を添えて身を離す。すると、上目遣いにこちらを見上げてくる千珠の潤んだ黒い瞳に、どくんと心臓が跳ね上がる。寂しげで悲しげなその目が、舜海に庇護されたいと懇願しているように思われて、その可愛らしさに眩暈がした。  次の瞬間、何を考えるより前に身体が動いて、舜海は千珠に口付けをしていた。  目一杯抵抗されるかと思っていたのに、千珠はまるで身動ぎせず、むしろ舜海の唇を下から啄み返してくる。その柔らかな唇の感触と甘い吐息に、舜海は我を忘れていた。  舌を忍び込ませ、貪るように乱暴な接吻を繰り返しながら、千珠を荒々しく床に押し倒した。着物の合わせ目がしどけなく開いて、白く滑らかな脚がむき出しになることも構わず、千珠の脚が舜海に絡みつく。 「んっ……はあっ……は……」  切な気な声を漏らす千珠の表情が見たくなり、舜海は千珠の唇を解放してその顔を間近で見つめた。艶のある長い睫毛に縁取られた、玉のように美しい瞳と視線が絡み合い、心臓が大きく震える。 「……お前は、黒髪でもきれいやな」 「え?」 「あ」  舜海はぱっと千珠から離れた。顔から火が出そうだった。  ――おい、一体何をしようとしたんや、俺は!! ありえへんやろ! こいつは……! 「す、すまんな。お前の顔、めちゃきれいやから。女と勘違いしてもうたわ、はは、ははは」  赤くなりながらそっぽを向き向きそんな言い訳をしていると、背中に千珠の手が触れる。 「お前の気、すごく美味だな」 「……え?」 「美味い、すごく。今の俺は、空っぽだ。だから……もっと欲しいよ」  まるで想定外の反応に戸惑い、舜海はそろそろと千珠に向き直る。  そして、誘うようにこちらを見上げる潤んだ瞳に、また性懲りもなくどきりとさせられていた。 「な、何、言ってんねん」 「舜海、舜海……」  千珠は再び泣きそうな表情になりながら、うわ言のように舜海の名を呼びしがみついて来る。そんな千珠の色香に勝てうるはずもなく、舜海は非力なその身体をまた組み敷いていた。そして、もう一度舌を絡め合う。  千珠はそれを拒まない。首筋や胸元へ舜海の唇が降りていくことも、拒まなかった。 「……お前、暴れへんかったら、このままやるぞ」  その耳元で、舜海は熱っぽい声でそう囁く。千珠は何も言わず、その代わりのように快感に震えるため息を漏らした。  ❀  日が昇るまで二人はそうして身を重ねていた。  何度も何度も、千珠にそれを求められるままに。  舜海は汗に濡れた千珠の肩を抱いて、ことの後の千珠の表情を見つめる。 「お前、なんやろな」 「ん?」 「あかんて、良すぎやわ」 「……」  千珠は何も言わない。舜海は冷えてきた千珠の身体を暖めるように、もう一度強く抱き寄せる。 「よかったんか? これで」 「……何が」 「俺はもう、前みたいに戻れへんかもしれへん」 「え?」 「お前のこと、そういう風に見てまうぞ」 「いいよ、お前なら」 「え」  間の抜けた舜海の返事に、千珠はちょっと笑った。 「妖力が無くなってる今だからかな。お前に抱かれて霊気を注がれると……今までの不安が嘘みたいに安心するんだ。何でだろうな」 「……そう、か。でも、殿じゃあかんのか。お前のこと、大事にしてはるみたいやし、これからだって」  千珠は舜海の言葉を遮るように頭を振った。 「光政は霊力を持たぬ只人だ。あいつに抱かれたところで、俺にはなんの得もない」 「……そうか」 「あの国のためにも、もうこれ以上こんな関係を続けたくない。光政の想いには、応えられない」 「……」 「あいつは、初めて俺に居場所をくれた、あたたかい男だ。だからこそ、な……」  千珠が光政を想う気持ちが伝わってくると、舜海は複雑な気持ちになってしまう。何も言葉を返せずにいると、隣でむくりと千珠が身を起こした。華奢な肩から背中へ、絹糸のような黒髪がさらりと滑り落ちる。その後ろ姿さえも見惚れるほどに美しく、儚げで、抱きしめたくなってしまう。  すると、黒かった髪の毛が徐々に光を吸うように、輝く銀色に色を変えはじめた。  舜海は、変化(へんげ)の瞬間を目の当たりにするや、むくりと身体を起こした。 「千珠」 「ん……?」 「目が」  肩に触れると、千珠が横顔で振り返った。暗がりの中で黒曜石のようにきらめいていた瞳も、朝日に染まるようにみるみる琥珀色に変化していく。 「すごいな。きれいや……」  舜海は吸い寄せられるように瞳を覗き込み、千珠の頬に手を触れた。すると千珠はいつものように赤い唇をちょっと吊り上げ、高飛車な笑みを浮かべた。 「もうすぐ、お前にも勝てる身体に戻る」 「何や急に生意気になりよって……わっ!」   一瞬にして、今度は千珠が舜海の上に馬乗りになり、首を片手で捉えた。するすると爪が伸び、白い指に鉤爪が蘇ってゆく。舜海の表情が驚きに怯むのを見て千珠は薄く微笑むと、うっそりと目を細めた。  舜海の首を掴んだまま顔を近づけ、ちろりと舌を出して舜海の鼻先を舐める。舌なめずりをする千珠の瞳孔が、獣のように縦に細まった。まるで、獲物を得て喜ぶ獣のように。 「美味そうな男だ。欲しいな、お前のことは丸ごと」  そう囁きながら、千珠は舌で今度は舜海の唇をぺろりと舐めた。  白珞鬼。  人を素手で殺めることも出来る、妖鬼。  それが千珠だ。  舜海ははたとその事実を思い出す。  千珠がその気になれば、舜海の首など一瞬でへし折ることが出来るし、文字通りあの世に送ることだって容易いのだ。それだけの力を千珠は持っている。 「今、怖くなっただろ」  千珠は猫がじゃれつくように、舜海の耳朶を甘噛みしながら囁いた。その声には舜海をからかうような声色が含まれている。 「正直な」 「安心しろ、喰ったりしないよ」 「喰えるもんなら、喰ってみろ」  そう言いながら千珠の後頭部を引き寄せ、両手首を掴んで乱暴に荒れた畳の上に組み敷いた。 「いっ……!」  不意打ちを食らった千珠は、顔をしかめて舜海を見上げる。そんな千珠の唇に、舜海は再び貪るような荒々しい口づけを降らせた。 「そんなに欲しいか、俺が」 「調子に、乗るなよ……っ」 「なら、もう一回、してやる」 「あ……っ!」  ほんの半刻ほど前まで舜海を受け入れていた後孔に、指を這わせる。そこはまだ舜海の体液でとろりと濡れ、女のそれのように柔らかくとろけていた。舜海はにぃと唇を吊り上げて、千珠の膝を掴んで荒々しく脚を開かせた。  羞恥か、期待か。ほんのりと赤く染まる千珠の頬を、愛らしいと舜海は思った。ぬちぬちと敢えてのように濡れた音を響かせながら窄まりを指で押し拡げつつ、舜海は千珠の胸の尖にしゃぶりつく。昨晩からの舜海の愛撫のせいか、千珠のそれはぷっくりと熟れ、白い肌に浮かぶ赤が淫らである。 「っ……ぁっ……! ん、んっ……はぁっ……あ」 「ええ声で鳴くやん、お前。……好きなんやな、こうされるのが」 「すき、じゃな……っ……」 「噓を吐け。どこもかしこも、こんなにも昂らせて……」 「ん、んっ……! やめ……あ、あ……」  すでに何度も精を放った千珠の屹立が、再びゆるりと勃ち上がっているのを見て、舜海ははぁ、と荒い息を吐く。肩に羽織っていた黒い法衣の前を開け、ぐいと千珠の細い腰を両手で掴む。  時間をかけず、荒々しいやり口で千珠の身体を貫くと、千珠は眉根を寄せ「あ、ぁ……んっ」と甘い悲鳴をあげた。そしてどこか悔しげに眉根を寄せながらも、挑発的な目つきで舜海を見つめ返している。  しかし拒むことはせず、しなやかな腕を舜海の首に絡ませれば、自然と鼻先が間近に近づく。二人は引き寄せ合うかのように唇を重ね、汗ばむ肌を重ねた。 「あ、はぁっ……! ぁ、ん、んっ……! はぁっ……ぁあ」 「千珠……っ……は、っ……は」  荒っぽい舜海の抽送に、千珠は顎を仰のかせて喘いだ。無防備にさらされる白い喉に唇を寄せ、舌を這わせながら、舜海は深く深く、千珠の内壁を穿った。  ひとたび目線を結んでしまうと、千珠の琥珀色の瞳から一時も目が逸らせない。美しく淫らなその双眸に、舜海の身も心も、丸ごと喰われてしまうかのようだった。 「あ、……また……っ、もう、やめ、……んっ、んん、っ……!!」 「ほんまに、たまらへんな……お前」  二度三度と、千珠の内壁がきつく締まった。つられて達しそうになるのをなんとか堪えつつ、舜海は絶頂の余韻に震える千珠をいじめ続けた。  互いの身体が馴染んでゆくにつれ、千珠は白い肌を朱色に染め、蕩けきった表情をはにかむように長い睫毛を伏せる。声を殺すことも忘れ、背をしならせながら喘ぎ声を漏らす千珠を抱きしめるたび、力では到底敵わぬ鬼を屈服させたような心地にもなり、舜海の動きは更に猛々しさを増してゆく。  汗に光を纏い、火照りに目の縁を赤くする千珠の甘い表情に酔いしれながら、舜海は飽くこともなく千珠を抱き続けたのだった。

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