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四十、嫉妬
都の屋敷に戻った二人は、帰着を告げるために光政の部屋へと参上していた。
いつもよりきちんと法衣を身に着けた舜海は、居心地悪そうに尻をもぞつかせた。すっかり鬼の姿に戻った千珠も光政の方を見るでもなく、開け放たれた障子の先に見える庭を眺めている。
どことなくぎこちない空気が三人の間に漂う中、良く通る静かな声で「供養はしてきたのか?」と、光政が問うた。
「……ああ」
千珠は他所を向いたまま、そう返事をする。
「そうか、遠路、疲れたであろう。舜海もご苦労だった」
「おう」
舜海はぼさぼさの髪を軽く掻きながら、短く応じる。
「今日はゆっくり休むといい。明日には、国に戻ろうと思うからな」
「え?」
千珠は顔を上げた。
「余り長く城を空けておくわけにはいかんし、皆家族が待っている。お前は、お父上の傍からすぐに離れることになってしまうが」
「いや、いいんだ。あれが最後だと思っていたから」
「そうか」
何となく、沈黙が流れた。
舜海は居心地が悪くて仕方がないと言わんばかりの硬い顔のまま、すっと立ち上がる。
「じゃあ俺は帰途までに、総本山へ参ってくるわ。夕刻までには戻ります」
と、逃げるように二人に背を向けてひらひらと手を振り、部屋を出てゆく。
部屋から出ると、舜海は盛大にため息をついた。
――なんか変な気分やな、くそ……。罪悪感、か? 今まで殿に秘密なんか持ったこともなかったのに、あんなことしてしもて……。
「うあーあ、滝にでも打たれてくるか……」
と呟き、舜海はきっちり着ていた法衣の襟元を崩しながら、磨かれた床の上をどかどかと歩いた。
❀
二人になった光政と千珠は、しばらくお互い口を閉ざしていた。
「舜と、何かあったのか?」
「え?」
光政は相変わらず穏やかな声で、そんな質問を投げかけた。
「何だかお前たち、前と少し様子が違うから」
「……人の姿を晒した」
「ああ、満月だったもんな。そうか」
光政は立ち上がると、千珠の傍に歩み寄り抱きしめる。大きな身体に力を込めて抱きすくめられ、千珠は身動きができなかった。
「……苦しい、離せ」
「それでこうなったか」
「え?」
「舜海と交わった」
「……」
千珠は身じろぎをやめた。
光政はそれを返事と捉え、その身を離す。
「俺は、お前を側女のように扱う気はない。だからお前たちがどういう行動を取ろうと、俺には関わりのないことだ」
光政はどことなく寂しげな目をしていた。千珠はそんな光政の顔を、表情のない眼で見つめ返す。
「……その通りだ。俺が誰と何をしようと、お前には関係無い」
千珠の冷たい声に、千珠の腕を掴む光政の力が、怯んだように一瞬緩む。
「舜海の……あいつの強い霊力が、たまらなく美味そうだと以前から思ってた。だから一度喰らってやりたいと思っていたところだったのさ」
「だから抱かれたと?」
「そういうことだ」
千珠はにやりと唇を吊り上げて続けた。
「美味だったぞ、あいつは」
「……やめろ!!」
光政は声を荒げ、千珠の唇を塞ぐ。
今までにない、乾いた接吻だった。
「やめてくれ」
千珠を強く抱きしめたまま、光政は苦しげにそう呟いた。
「……光政」
久しぶりに千珠に名を呼ばれ、光政はぴく、と身体を揺らす。千珠の声が胸に直接響いてくる。
「こんなに、人間に感情を向けられたことが無い。どうしていいか分からない」
「……俺も、どうしていいか分からぬのだ。お前へのこの感情を」
「……」
「舜への怒りも、どうしていいか分からない。ずっと一緒に育って、戦ってきた大事な仲間だ。怒りを向ける筋合いも無いのは分かってる。でも」
「いい加減にしろ!!」
急に声を荒げた千珠に、光政は驚きに見開いた目を向ける。
「……人間 の煩わしい感情など、俺に押し付けるな!!」
「千珠……?」
「戦は終わったんだ。お前は普通の生活に戻って、女を抱いて子をつくれ。そして、君主らしく国を繁栄させろ」
鋭く、冷たい声だった。光政は千珠からゆっくりと手を離し、力なく座り込む。
「いい迷惑なんだよ。俺は戯れのつもりで、戦の間だけお前の慰み者になってやっていただけなのに、すっかり我が物顔で説教か。調子に乗るな」
「……」
「お前の感情? そんなもの知るか。霊力も持たぬお前に抱かれたところで、俺には何の得もない」
千珠は光政に背を向けて、付け加えた。
「国へ帰ったら、せいぜい奥方様を大事にすることだ。……俺との噂も、消えて無くなるほどにな」
「千珠……」
「しばらく一人になりたい。向こうまで……青葉までは、一人で戻る」
「そのまま消えるのではないだろうな」
「……知るか」
そう言い残し、千珠はそのまま振り返ることもせずに部屋を出て行った。
妻を大切にして国を繁栄させる。
それは、光政にとって為さねばならぬ男としての責任でもある。重臣たちが、千珠と光政の関係について苦言を呈している事実もある。
今の千珠の言葉、彼なりの心遣いであることは何とはなしに感じたものの、突き放されたやるせなさは拭えない。
何処までが千珠の本音なのかということも、舜海への醜い嫉妬の感情も、もはや問い質すことも怒りをぶつけることも出来ぬ今の状況に、光政はどうしようもなく苛立っていた。
胸の中をぐるぐると回る、味わったことのないざらりとした感情を押し殺すように肩で息をして、光政は拳を床に叩きつけた。
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