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十六、劣等感
「お前が光政に対して優越感を得ているのは、分かってる」
舜海は罰の悪そうな顔で頭をかいた。図星なのだ。
「……はっきり言うやないか」
光政が欲しがるものを、自分が容易く触れることができるという状況は、今までならばあり得ないことであった。幼少の頃から共に成長してきた二人ではあるが、いくら仲が良くとも、一生超えることのできない身分の違いがあるからだ。
光政には立派な家族があり身分もあり、そして恵まれた体格もある上に頭も良い。剣の才にも溢れ、何もかも飲み込みが早かった。それ故周囲からの期待も大きく、光政自身もそれを励みにどんどんと大きくなるような人間である。
対して舜海は、戦で家族を失い、齢三つの頃に寺に拾われ青葉にやって来た。寺に来てすぐの頃、舜海は取り敢えず荒れていた。周りにいる子どもたちに喧嘩を吹っ掛けては、大暴れをして怒られる……その繰り返しであった。それは親兄弟を亡くした悲しみや、慣れぬ場所に来た不安の裏返しであったのだ。
寺と城との繋がりは強かったため、暴れる場所を求めていた舜海は、自然とよく城の道場へ通うようになった。年の近い光政と出会ったのもその頃である。
舜海が齢五つ、光政が十の頃であった。舜海は、自分とはまるで違う雰囲気の子どもを見てたじろいだ。身なりも良く、堂々として自信に溢れた光政と比べると、自分はまるで下等な獣のようだと感じて卑屈になる日もあった。
しかし、光政は誰にでも分け隔てなく優しく誠実に接する子どもであったから、舜海も徐々に心の壁を取り払うようになっていった。加えて剣を交わすうち、徐々に二人は信頼を増し、舜海もみるみる強くなった。
お互いにとって、この国にとって、なくてはならない存在となった。
光政のことはもちろん好きだ。兄のように慕い、尊敬する相手として。
そう、仰ぐべき存在だった。
しかし千珠が現れてからというもの、光政の態度を見るにつけ、初めて光政も自分と同じ人間だったのだと感じた。
戦の最中、目を覚まさない千珠を想って苦しむ姿や、千珠を慈しむ光政の眼差しは、傍から見ていても溢れる程の気持ちを感じた。
正直驚いていた、そんな光政の姿に。
舜海自身、千珠との個人的な付き合いが増えていくにつれて、光政の気持ちが分かるようになった。
誰よりも強い千珠。
それでいて、その内面は葛藤に苛まれ、儚く脆いのだとに気づいた時や、誰よりも孤独に怯え、誰よりも居場所を求めているということに気づいてからは、殊更に。
初めて千珠と交わった翌日、光政からは明らかな怒りを感じた。しかし素知らぬふりをした。光政は二人の関係を知って、一体何を思ったのだろう。それでも尚、千珠が人間の姿となる晩の警護を舜海に命じるのは、何故なのか。舜海には分からぬことだった。
しかし千珠との肉の関係は断ちがたく、彼もそれを望んでいない。自分を喰らいたいという千珠の言葉は、舜海にとっては甘い響きを持っているように思われてならない。
千珠を抱くことで、自分の中に眠っていた幼い頃の劣等感を癒している……舜海はそれに気づいていた。千珠の身に執着しているだけではなく、光政に対して持ってはならない負の感情を、癒していると。
千珠はそれに気づいていたということか。
舜海は、ふと、そんな自分に恥を感じた。
「何考えてたんだ?」
しばらく黙り込んでいた舜海に、千珠は声をかけた。舜海は顔を上げ、障子を開けて朝日を浴びている千珠を見た。
千珠の部屋は、あまり人の来ない東側の角にある。物置や衣装部屋の固まった一角だ。小さな庭には蹲 いがあり、よく小鳥が水を飲みにやって来る。それを、千珠は飽きもせず眺めている。また、日が暮れるとその部屋にはほとんど日がささず冬はとても冷え込むのだが、千珠はこの場所を気に入っているようだった。
千珠の髪はきらきらと朝日を受けて輝いている。無造作に肩にかかる長い髪も大きな目を縁取る睫毛も、琥珀色の瞳も紅い小ぶりな唇も、とても美しい。
自分は千珠に触れることができる。そして、貪ることも。
光政はもう、千珠に触れることは許されない。こんなにも美しい存在を、見ているだけで触れることができない。
――苦しいやろうな……殿。
「なんでもない。あーあ、お前に精気吸われて、腹減ったわ」
「悪かったな。とっとと出ていって飯でも食ってこい」
「お前は行かへんのか?」
「眠い。行かない」
「相変わらず無愛想なやつめ。まぁ、また起こしに来たるわ」
「ああ」
舜海はからりと笑って、千珠の部屋を出た。
「やれやれ」
そして、言い様のない後味の悪さに顔をしかめつつ、台所へと向かう。
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