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十七、愛おしき獣

 ずっとこうしていたいと思った。  この美しい獣を、ずっと自分一人のものにしておきたいと。  征服、という言葉が脳裏をかすめる。  誰よりも強く気高い鬼の子が、今こうして自分の下にひれ伏しているという快感。どんな女よりも、熱く、甘く、舜海を締め付けるその麻薬のような肉体。  そして、主君たる光政が欲しているものを、自分がやすやすとこの手に抱けるという優越感。  それが欲しくて千珠を抱いているようなものであったはずだった。  しかしいつからか、舜海は千珠の身も心も、その全てを大切に思うようになっていた。  高飛車で生意気で無愛想な千珠が、たまに見せる笑顔が何よりも好きだった。普段あんなにも強く自信に溢れている千珠が、自分にだけ弱みを見せるところが可愛くて仕方がなかった。  そして共に国を守り、若手を育て、青葉を大切に思っている千珠のことが、愛おしいとすら感じるようになっていた。  護衛という理由や、ただ身体の相性がいいというような都合のいい理由をつけなければ、千珠を抱いてはいけない気がしていた。  自分ではどうすることもできない状況に、舜海は苛立ちながらも諦めてもいた。ただ、月に一度の護衛という理由と、千珠が自分を欲しているということをを理由に、舜海は自分の欲望を満たしているのだ。 「は……はぁ……くそ」 「ん、なんや?」 「今日は……ずいぶんとしつこいな……」 「しつこいとは何や。あんなによがって喜んでたやないか」 「喜んで……なんか……」 「どうやろうな」  舜海は千珠の頬にそっと触れると、涙と汗を拭ってやる。千珠は恨めしそうな目でそんな舜海を見上げ、舜海から逃れようとしたが、舜海は千珠を離さなかった。 「……何だよ、離せよ」 「いや、久しぶりやったからな。お前の顔、よう見とこうと思ってな」 「さっきさんざん見てただろ。この変態め」 「ああ。ほんま、誰にも触らせたくないくらい、きれいや」  舜海のどこか淋しげな笑みに、千珠は身動ぎをやめてその目を見つめた。 「何言ってんだよ」  舜海は身体を離し、千珠を自由にしてやった。千珠は手を伸ばして最初に落とされていた羽織りを取ると、身体を隠す。  舜海は着物の帯を締め、立ち上がってぼりぼりと頭を掻いた。千珠はまだ立ち上がることができず、そんな舜海を見上げている。 「お前が女やったらなぁ」 「ふん、またそんなことを」  舜海はふっと笑って千珠の傍に跪くと、座り込んでいる千珠の乱れた銀髪を梳く。散々汗をかかされた千珠の身体は、少し冷たい。  今度はゆっくりと優しく千珠の額に唇を寄せ、そのまま耳や首にも口づけた。千珠はその度にぴく、と身体を反応させるが、拒みはしなかった。 「今朝方言っていたこと……気にすることはないさ」  千珠は舜海に抱かれながら、そう言った。舜海はびたりと、その動きを止める。 「生まれなど……関係ない。大切なのは誰と出会い、どう成長するかだと思う。少なくとも俺にとっては、お前は強くて大きい男だ」  千珠がそんなことを言うのが珍しく、舜海は身体を離してその顔を見た。千珠は気恥ずかしそうにちょっと俯き、舜海と目を合わさずに言葉を選んでいる様子であった。 「俺はいつも、お前に答えをもらってきた。居場所も、仲間も、ここにいる理由も」  千珠は慣れぬ言葉を紡ぐように、とつとつと話をする。舜海はその言葉を聞き逃さぬように、無言のまま千珠を見つめていた。 「お前は強い男だ。でも、弱いものの気持ちも分かる、優しい男だと俺は思う。それが何故なのか、今日分かった気がする。弱かった自分を鍛えてきたからこそ、今のお前があるんだってこと」  千珠は舜海を見つめた。 「お前が、そんな人間で良かったと、俺は思ってる」 「千珠……」  舜海は眼を閉じて、少し顔を背けた。そしてそのまま、千珠の身体をぐいと引き寄せ、力強く抱きしめた。  普段は軽口ばかり叩くおしゃべりな舜海だったが、今は何も言わず、しばらくそうしていた。微かに乱れる呼吸の音で、舜海が涙を堪えているのが分かった。  千珠も何も言わずに舜海の背に手を回して、軽く抱き締め返した。千珠の身体をすっぽりと覆う舜海の心地よい体温を感じながら。  どのくらいそうしていたか、舜海の呼吸が落ち着いてくる。千珠は閉じていた目をうっすらと開き、舜海の腕越しに見えるがらんと広い堂の中を見つめた。 「……あかんな。そんなこと言われると、益々お前を離し難くなる」 「え?……何だよ、それ」 「いつまで、こんなことしてられるんやろう……ってたまに思うんや」  千珠は、明らかに不安げな表情を浮かべた。舜海はそんな千珠に、慌てて笑顔を見せる。  肉体だけの繋がりでいようと思っていたのに、自分の一番弱い部分を晒した相手も、それを受け止めた相手も、千珠だった。  どんな形にも落ち着くことのない、相手なのに。  いっそ千珠に喰われて、こいつの一部になるのもいいかもしれない……そんな突飛な思いまで頭を(よぎ)る。    ――……どうしようもないくらい、千珠のことが……。  舜海は胸を締め付ける思いを飲み込んで、千珠にまた笑顔を見せた。  自分からこの関係を断つ勇気などないくせに、どうやってこの関係を終わらせたらいいのかということを同時に考えてしまう。千珠に留衣との縁談という話が持ち上がったことで、焦っているのだということは自分でも分かっている。  でもまだ、もう少しだけ、繋ぎ留めておきたかった。 「はは、何でもない。ありがとうな、千珠。ほんまに」 「いや……」  千珠は(かぶり)を振った。  舜海は静かな目で千珠を見つめると、静かに、優しく、千珠の唇に口づけを落とす。  千珠がもたれかかってくる重みを、愛おしげに抱き締めながら。

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