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二十五、小さな手
千珠が手を振り上げ、まさに兼胤の首を刎ねようとした瞬間、小さな身体が二人の間に割って入り、千珠の身体を抱き止めた。
「千珠さま!駄目です!!」
千珠は驚いた。自分の胸にすがるのは、陰陽師の宇月であった。
妖気の風圧を乗り越えてきたためか、着物の表面がちりちりと焦げ、肌もあちこちに切傷を作りながらも、宇月は必死で千珠の胸にすがっている。
「気を鎮めるでござんす!こんなことで、力を使っては駄目!」
「離せ……離せよ!」
千珠は更に怒りを募らせ、しがみつく宇月の腕を掴んで引き剥がそうとした。しかし、宇月は無我夢中で千珠にしがみついて離さない。
「駄目です!あなたは怒りで我を忘れているだけでござんす!殺しては駄目です!」
「貴様……!俺に指図するな!」
千珠は掴んだ宇月の腕を、更に強く絞めつけた。いとも簡単に千切れそうな細い腕を掴まれながら、宇月は袂から一枚の札を出し、千珠の胸に押し付けた。
「縛!!」
宇月の声と共に、千珠の胸に張り付いた札から金色の光が迸り、その光はまるで鎖のような形になって千珠を縛り付けた。千珠は両腕の自由を奪われ、宇月から飛び退る。
「何をする!こんなもの……!」
「どうか……こうなったのも私のせいです……どうか、お鎮まりください……!」
宇月は必死の形相で印を結んで術を保とうとしていた。しかし、解放されてしまった千珠の妖力の前では、自分では抑えきれないことは分かっていた。
千珠の状態は、術で封じられていた妖力を、千珠自身が無理矢理に開放した反動である。
宇月は責任を感じていた。この鬼の子は本当は優しい心を持っているのだ、こんなところで人を殺させてしまってはいけない。
金色の鎖は、千珠がもがけばもがくほど、きつく身体に巻きついた。しかし千珠が怒りに任せて、渾身の力を一気に放出させると、金色の鎖は一瞬で霧散してしまう。
その風圧に負けて、宇月も壁に激突し、その場に倒れ伏してしまった。
千珠は長い銀髪を風に巻き上げられながら、じっとしばらく宇月を見ていたが、ふと興味を失ったように目を逸らすと、再び兼胤の方を見てほくそ笑む。
残忍な笑みだった。釣り上がった目は、いつもの琥珀色ではなく、まるで溶岩のような猛々しい赤。ぎらぎらとした光を湛え、縦に細長く切れ込んだ瞳孔が、さらに細く鋭くなる。完全に獲物に狙いを定めた目付きである。
千珠は鋭い鉤爪を見せつけるように、拳を握ったり開いたしりながら、ゆっくりと兼胤に歩み寄る。
「頼む……殺さないで……」
兼胤は情けなくもぼろぼろと涙を流しながら懇願した。しかし、千珠は冷ややかにそんな兼胤を見下ろし、首を傾げて小馬鹿にしたように笑う。
「はっ、命乞いなど情けないやつだ。あの世で生まれてきたことを後悔するといい」
「やめ……!」
千珠は左手で兼胤の胸ぐらを掴み上げ、右手を振り上げた。その時。
「千珠!やめろ!」
道場に、舜海の声が響いた。
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