97 / 341
二十六、鞘
ぴく、と千珠の腕が止まる。
兼胤を締め上げたまま声のした方を振り返ると、由宇に支えられた舜海が立っていた。あちこち晒しが巻かれた痛々しい舜海の姿をその目に映し、千珠は兼胤から手を離す。
「千珠、もうええ。こんなこと、やめろ」
「舜海……お前をそんな目に遭わせたやつだぞ」
「俺はこんな傷なんてことない。何を言われても平気や。でもな、お前がこんなやつの血に汚れるのは嫌なんや」
舜海は由宇を道場の外に留めると、一歩ずつ千珠に歩み寄った。
千珠の妖力が、徐々に落ち着きを取り戻し始める。舜海はまっすぐに千珠を見つめながら、身体を引きずり近寄った。
「千珠、こっちに来い。もう大丈夫やから……」
「……」
千珠は、表情のない赤い瞳でじっと舜海を見つめている。
舜海は千珠の側まで辿り着くと、何も言わずに千珠を強く抱き締めた。
舜海の懐かしい匂いに、千珠はふっと力が抜け、膝が砕けてその場に倒れこみそうになる。舜海は千珠を抱き支えたまま座り込み、ぎゅっと腕に力を込める。
「怖い思いさせたな、すまんかった。もう大丈夫や、俺も、平気やから……」
「……舜海……俺……」
「良かった、間に合って……」
千珠の赤い目は、徐々にいつもの琥珀色に戻ってゆく。逆立っていた髪の毛も、爪も、段々と鎮まってゆく。
柊は宇月を支え、道場の真ん中で千珠を抱き締める舜海の広い背中を見守っていた。宇月も、泣きそうな顔で二人を見守っている。
「もう、大丈夫やから」
「……舜……」
千珠はゆっくりと、舜海の背中に手を回した。そしてゆっくりと目を閉じると、ふっとそのまま意識を無くしてしまった。
土砂降りの雨の音と、ぼろぼろに崩れた道場の壁と、我を無くして動けない兼胤。反対側の壁の下では、竜胆が肩を押さえ声もなくその様子を見守っていた。
誰もが無言だった。ただ、雨の音と己の息の音だけが耳に響く。
舜海は千珠を抱き留めたまま、じっと空 を見つめていた。
❀
「……おい、何をしている。怪我人がいるんだ、皆呆けている場合か」
道場の入り口に留衣が立っていた。強張った顔をしているものの、張りのある声でそう言うと、自らが連れてきた忍や兵を呼び寄せる。
柊や宇月、竜胆は仲間たちに支えられて道場を連れ出された。兼胤も兵に両脇から支えられ、手当を受けるべく道場を後にする。
留衣は舜海の背後から歩み寄り、肩を叩いた。
「おい、大丈夫か」
「ああ……、まったく、こんなことになるなんてな」
意識のない千珠を抱き上げて、その顔を見下ろす。力を放出しすぎたのか、千珠はぐったりと疲れ果てたような顔色で眼を閉じている。舜海は痛ましい表情で、千珠の身体の傷や痣に視線を巡らせた。
「兼胤にやられて、無理やり封印を解いたんやろう。怖かったんやな」
「……」
留衣は険しい表情で、千珠を見つめる舜海を見た。
あの力を目の当たりにして、千珠への態度を変えない舜海の姿が大きく見えた。
――それに比べて自分は……。
「千珠も寝かせよう……お前も、まだ寝てないと駄目だ」
「おお、そうやな。よっこらせ」
舜海は千珠を抱え直すと、そのまま連れて外へ出て行く。
留衣は、半壊した道場を見回し、混乱した自分の気持ちを抱えて、ただそこに佇むことしかできなかった。
ともだちにシェアしよう!