105 / 340

一、父からの手紙

「妖退治?」  光政の部屋に呼ばれた千珠と舜海は、その言葉を聞いて顔を見合わせた。 「ああ。こんな文が届いてな」  光政が懐から取り出した文は、上質な和紙で作られた上品な設えのものであった。朝廷からのものである。 「神祇省長官、源 千瑛(みなもとのせんえい)どのからだ」 「えっ?」  千珠は心底驚き、素っ頓狂な声を立てた。  源千瑛は千珠の父親であり、朝廷の一機関である神祇省にて長官を務める男である。  若かりし頃、千珠の母親である珠櫛(たまぐし)を打ち負かしたものの、人に近い姿をした珠櫛にとどめを刺せず、神祇官でありながら鬼である珠櫛を助けたのであった。心優しい若者であった千瑛は、珠櫛を見逃すばかりではなくその傷の手当まで施した。二人の間に絆が生まれるのに、そう時間は掛からなかった。    そうして、千珠が生まれたのだ。   千珠は十六になった。  青葉の国に迷い込み、戦を経て、今の暮らしにありついてから、二年の月日が流れていた。  少しばかり背が伸びて、幼さの残っていた顔つきが大人びてくるにつれ、その身に纏う艶めいた美しさは輝きを増すばかりである。  "立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花"という美人を形容するかの言葉は、まさに千珠のために誂えたのではないかと噂されるほどであった。  腰まである絹糸のような銀髪を揺らして振り返ったなら、見る者全ての視線を釘付けにし、透き通るような琥珀色の瞳を縁取る長い睫毛を伏せたなら、男も女もその色香の虜にする。そして一度(ひとたび)その表情を綻ばせたなら、誰しもが千珠に恋をする……。  美麗なる容姿だけではなく、伝説的な強さを驕ることなく国を護り、剣術指南の仕事に精を出す。そんな千珠の真摯なる姿は皆の心を打ち、千珠の存在は青葉の国においてなくてはならぬものになっていた。  二年前、戦の終焉の折、千珠は父・千瑛と二人きりで語り合う時間を持つことが出来た。しかし、鬼である自分が神官たる父と会う機会など、それ以降はもう持ち得ないと思っていた。  そんな父からの、手紙だという。 「ち、父上が……何と?」  千珠は、そわそわとしながら光政に尋ねる。 「ここのところ、都に人を喰う妖が出没しているらしいのだよ。まるで獣のような姿をした凶暴な鬼で、武官ですら何名も殺されている、由々しき事態であるという」 「人を喰う、(あやかし)……」  千珠は口元に白い指を当てて、呟く。 「都には陰陽師がたくさんおるんやろ?何でこっちにそんな話が来るんです」  舜海が口を挟む。  朝廷には、霊的なものから帝のおわす都を守る為に、神祇省(じんぎしょう)が設置されている。その下位組織として陰陽寮が存在するのだ。神祇省は主に御所の中にて帝をお守りし、陰陽寮に属する陰陽師達が、市中にて町人達を妖の類から守っているという仕組みだ。  光政は続ける。 「陰陽師たちも動いていたのだが、立て続けに被害者が出て、あちらは手立てに困っているらしい。帝がな、千珠のことをよく覚えておいでだそうで、神祇省にあの鬼の子の力を借りてはどうかと言ってきたそうだ。そこで千瑛殿は、とりあえず内々に検分だけでも行ってくれないかと依頼してこられたというわけだ」 「帝……ああ、あの子どもか」  千珠は、少しだけ言葉を交わした、この国で一番偉いとされている幼帝のことを思い出す。 「神祇省としては、まだ妖の仕業と断定はしていないという。人為的なものもあるという考えで調べを進めているが、帝のお言葉でもある。お前に是非都へ来て欲しいということだ」 「帝のお願いとあっちゃ、断れへんなぁ」  舜海は頭の上で両手を組み、尚も袴をいじってそわそわしている千珠を見遣る。 「父上にも会えるのかな?」 「ああ、親子ということは隠してな。千瑛どのにはお立場がある。いくら先の戦での功があるお前とはいえ、鬼の子がいるということが露呈するのは好ましくないだろう」 「……そうだよな」  千珠は少し残念そうな表情になったが、こくりと頷く。 「でも、お前には何としてでも会いたいという思いが伝わってくるよ。文は検閲をされるからな、はっきりとは書けないが、事情を知っている者にはそれが伝わってくるような内容だった」  事実、都の状況説明及び帝からのお言葉であるという内容が文の一割だとすると、九割方はいかに朝廷が(もとい自分が)千珠の力を必要としているか、いかに帝が(というよりも自分が)千珠に会いたがっているか等々、何としてでも千珠に都へ上ってきて欲しいという千瑛の思いが、ひしひしと伝わってくるような内容であった。  光政はそれを思い出して苦笑する。 「そうか」  千珠は表情を明るくすると、少し頬を染めた。この世でたった一人の血縁者、父親に会えるのだ。 「何もなければ良い、別に妖を討伐せよという命でもないからな。お前の見たところを伝えてやれば良いだろう。もし力を貸してやろうと思うのだったら、討伐に加わってもいい。あちらの命に従うのだ」 「分かった」  千珠は珍しく意気揚々とした明るい顔で、こっくりと頷いた。  父が自分を必要としているということが、すこぶる嬉しかったのだ。千珠は、すぐにでも都に向けて駆け出したいと逸る気持ちを抑えて、膝の上で拳を握った。 「舜海と柊、そして宇月(うづき)を供に付ける。宇月を正式にこの国で召抱えるに当たって、一応向こうにも礼儀は通しておくべきだからな。俺は行けぬから、舜海が話を通してきてくれ」 「はいよ」 「柊は、もう一人誰か忍を選んで連れてゆくのだ。少し長くかかる仕事になるだろうから、人手は多いほうがいいだろう」 「分かりました」 「頼んだぞ。皆、気をつけてな」  そう言って、光政はゆったりと微笑んだ。

ともだちにシェアしよう!