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二、旅路

 そう光政に見送られたのが、昨日の朝のことであった。  千珠一人ならば、山々を駆けて一日とかからず都に入っているところだが、今回は宇月を伴っての旅路であるため、皆馬でこの道程(みちのり)を進んでいる。  師走に入り、山道はひどく冷え込んでいた。夕刻になり、今にも湿った重たい雪が降り出しそうな曇天であったため、柊の判断にて、昨夕は早めに宿で休むことにしたのだ。  留衣が周防の国へ嫁いでから一年と少し、今は柊が忍頭を務めている。今回は宇月のためにも、女の護衛を一人連れていこうという柊の考えだった。山吹という名の忍である。  山吹は年の頃は舜海と同じであり、この国の忍として戦にも出ていた手練(てだれ)でもある。千珠も、何度か戰場(いくさば)で顔を見たことのあるくノ一だ。 「……千珠さま、お疲れでは?」  山吹は馬の下から千珠を見上げ、無表情に尋ねた。このくノ一が笑っているところを、千珠はまだ一度も見たことがない。まるで能面のように顔の表情が動かぬためか、年頃の女であるのにまるでその華やかさを感じさせぬという、ある意味では忍という職に誂えたような女である。 「ああ、大丈夫だ。しかし、寒いな……」 「……それはいけませんね。早くお宿へ参りましょう」 「あ、うん」  山吹はぼそぼそと小さな声でそう言うと、ほんの、本当にほんの僅かばかり表情を緩めつつ、千珠の馬を引いてゆく。 「山吹……相変わらず愛想がないな」  影のように千珠の馬を引いてゆく旅装束姿の山吹の後を歩きながら、舜海は柊に小声でそう言った。柊は怪訝な顔をして首を振る。 「何言ってんねん、千珠さまの前で舞上がりきっとるわ。見て分からへんのか?」 「え、どこがやねん!いつも以上に無愛想やんか!」  舜海は目を瞬き、ついでに拳で目を擦った。 「そうかぁ?いつもはあの十分の一も笑わへんで」 と、柊。 「笑ってないやん!」 「まったく、だからお前はもてへんねん」 「……」  舜海は腑に落ちない顔で、もう一度目を凝らして山吹を見る。  たっぷりとした黒髪をひとつに纏めて編笠をかぶり、紫紺色の小袖に身を包んでいる。日に焼けた浅黒い肌は艷やかで若々しく、表情は薄いものの二重瞼に黒目がちの凛とした目元や、薄く紅を引いたような小振りな口元は、美しいと言える程には整っている。 「あいつ、けっこう美人になったな。しかしどう見ても笑ってるようには見えへん」と、舜海。 「私にも、笑っているようには見えないでござんす」  不意に二人の遥か下方から女の声が割って入る。  陰陽師の篠原宇月である。小柄で、一見まるで幼い女童に見える程の童顔をしているが、舜海や山吹よりは年上である。なれど、その容姿の幼さから、宇月はまだ少女のようにしか見えない。   丸い顔につぶらな瞳、小さな鼻と唇、長い前髪を真ん中で分け賢気な広い額を出している。女にしては短い髪を耳の下辺りで一つにまとめ、常に黒い着物と袴を身に着けて過ごすような、味気がないと言えば味気のない女だ。  一年と少し前、たまたま青葉の国のそばを通り掛かった宇月は、千珠を邪悪な妖物と勘違いし、その妖力を封じてしまうというへまをやらかした。その一件で罪人扱いされていた宇月であったが、力を暴走させた千珠を抑えることに一役買ったという功もあり、青葉の国で召し抱えられることとなったのであった。  元は都の陰陽師衆の一員であった。しかし疎まれる(ゆえ)のある宇月には行き場が無かった。当時まだ忍頭を務めていた光政の妹・留衣の心配りにより、こうして青葉で居場所を得たのであった。 「しかし、まこと、千珠さまは人を素晴らしく引きつけるでござんすな」  宇月は、編笠を深く被った千珠の背中を眺めながらそう言った。 「まぁ、千珠も最近またちょっと丸くなってきたしな。人里にすっかり馴染んできたんちゃうか」 と、舜海。 「そうやな。昔のような、一線引いた目付きではなくなってきたな」 と、柊。 「そうでござんすな」 と、宇月も頷く。     ❀  宿に着いた一行は山吹に馬を任せ、先に部屋へと入って休むこととなった。  囲炉裏のある居間を挟んで並ぶ六畳間を、二部屋借りることができた。居間の障子を開けると、そこには小さな坪庭がある。そこに小さく咲いた白い寒椿を見て、千珠はほぅと息をつく。 「こんな長い時間馬に乗るのは初めてなんちゃうか?」 と、舜海は千珠に声を掛けた。 「そうだな。俺一人なら、もう都に着いてる頃なんだが」 「だめですよ、千珠さま。今回は団体行動なんやから、俺の指示に従ってもらいます」 と、柊が荷物を部屋に置きながらそう言う。 「分かってるよ」  千珠は居間の濡れ縁に座り込み、灰色の曇天を見上げた。吐く息が白くなり、空へ溶け込むように消えてゆく。 「山は寒いんだな……」 「お前、鬼のくせに寒がりやんな。囲炉裏のそばにおれよ、そんなとこに座ってるから寒いねん」  手を摺りあわせている千珠に、舜海は笑いながらそう言った。 「寒さに鬼かどうかなんて関係ないだろ。俺の里はもっと南にあったんだ、寒いのには慣れてない」 「それやったら、もっと厚着せなあかんなお前は」  千珠は白藤色の着物に濃紺の袴をつけ、その上に厚手の羽織りを一枚重ねているだけであったが、他の者は毛皮を重ねたりと厚着をしている。  千珠は囲炉裏に近寄って座り込み、赤く熾された炭とさらさらとした灰を見下ろし、その上に手をかざした。 「お父上が宮仕えのお方とは、驚きました」 と、宇月。 「俺にはあまり関係ないさ」 「少しでも、お話ができると良いでござんすな」 「……そうだな。あまり、おそばにはいけないだろうけど、顔が見られたら嬉しいな」  千珠は懐かしげな、柔らかな笑みを浮かべてそう言った。

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