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五、神祇官長官・源千瑛

「これでいいでござんす」  宇月に傷の手当をしてもらった千珠は、晒しに巻かれた自分の手のひらを見る。まるで木乃伊(みいら)のようだ、と千珠は思った。 「千珠さまが連れ帰った女も、命に別状はないとのことです」 と、山吹。  三人は安堵してため息をつく。 「その特徴から見るに、その鬼は本来人の世にはいない種族のものだと思われるでござんす」  千珠から話を聞いた宇月は、そう言った。 「この世界は、人の世である人境と妖の世である魔境が、普段は交わることなく存在しているでござんす。でも稀に道が通じてしまい、その二つの世界を行き来出来てしまうことがあるのです」 「へえ……それで、こっちに迷いこんできたと?」 と、舜海。 「または、何者かに召喚されてこちらへ来たか、でござんすな」 「召喚……。それは戦などで利用するためか?」  窓のそばで話を聞いていた柊が、尋ねる。宇月は頷いた。 「そうでござんす。千珠さまたち白珞族が味方する国は、ごくごく限られた国。族長がその国主を見極め、武運のある者にのみ鬼の兵たちを送るというもの」  千珠は里から送り出されて戦に出た経験がないため、少し首を傾げがら聞いていた。 「そんな中、禁術を使って魔境から鬼や魑魅魍魎を呼び寄せて、戦に使おうという大名もいたのでござんす」 「ほー、けったいな話やな」  火鉢のそばで、舜海が卓袱台に頬杖を付いて口を挟んだ。 「人に扱えるようなものばかりが召喚されたわけではなく、逆に国を滅ぼされたような事件もあったでござんす。行き場をなくして人の世を彷徨う妖を、我々陰陽師が退治するという訳でござんすよ」 「なるほどね」  千珠は頷いた。 「じゃあさっきの奴も、そういうくちか?」 「その可能性は高いでござんす。宛てどもなく、人を襲って喰らっているのでしょう。しかし何故、都に出現しているのか……」 「取り敢えず、雪も溶けてきた。すぐに発つで」  柊は皆にそう言うと、少し日が高くなった青い空を見上げた。  ❀  都に入った一行は、思ったよりも活気のある街を見回しながら大路を進んでいた。  ちょうど朝市の時間帯であり、商人たちの活きの良い声が飛び交う。そんな風景を少し遠目に見ながら、五人は帝のいる御所を目指した。 「なんや、意外と平和そうやな」 と、舜海。 「生活がかかってますからね、鬼が出るからといって、商いを休むわけにはいかないのでござんしょう」 「そういえば、陰陽師衆とやらはどこにおるんや?俺、殿からの書状を預かってんねん」 「……別に、義理を通す必要なないでござんすよ……」  宇月は、表情を曇らせた。 「私がいなくなったところで、厄介払いが出来たと喜ぶだけです」 「そんなことないやろ。実際、お前には色々と世話になっとるやないか。俺らの知らんこともよう知ってるし」 「……皆様には、そう言っていただけて幸いでござんすが……」 「まぁそれは最後や。とりあえず、帝の意をお聞きしにいかなあかんからな」  柊は冷静にそう言うと、宇月を振り返った。 「それまでに、お前の気持ちも固めておけ。古巣に戻りとうないなら、無理はせんでええ」 「はい……」  宇月は小さな声で応じ、硬い表情で前を向いた。ふと、千珠が馬を止める。 「誰か来るぞ」 「え?」  一行が揃って馬を止めると、長く続く築地塀の四辻から、濃紺の狩衣を身にした、壮年の男が現れた。その人物は、一行の前に歩み寄り、膝を折って礼をする。 「私は、源千瑛の使いにございます。青葉の国のご一行とお見受け致す」 「そうだ」  千珠が応じると、その人物は顔を上げて馬に乗る千珠を見上げた。  千珠は、長い銀髪や琥珀色の目が見えないように、目元まで編笠で隠していたが、見上げたその男と目が合う。 「これは、本当に……」  男は目を見張ると、また深々と(こうべ)を垂れた。 「お待ち申しておりました。千瑛様のお屋敷はこちらでございます。帝の御前に行かれる前に、寄っていただきたく存じ上げます」 「ああ、承知している」 「では……」  その男について、一行はぞろぞろと京の町を進んだ。商人たちが雑多に商売をしていた場所とは違い、家々が静かに立ち並ぶ通りを過ぎ、やがて立派な門構えの屋敷の前に到着した。  千珠は馬から降りると、その門構えを見上げた。  前回は御所の中で父親と会ったが、今回は父の住まいの屋敷である。馬を降りて門をくぐり、石畳をしばらく進むと、広々とした玄関口が現れ、小奇麗に整えられた屋敷の中へと通された。  磨き上げられた廊を進みながら視線を左手に向ければ、そこには広い庭が広がり、縁石で囲まれた池には鯉が泳いでいる。 「ほー、千珠の父上はなかなかのお大尽やな」  舜海が間延びした声でそんなことを言っていると、柊に脇腹を思い切り肘鉄され呻く。  広間に通された四人は、そこで茶と茶菓子を振舞われ、暫く待つようにと告げられた。    千珠は父親の生活を感じようと、きょろきょろとあちこちを見回した。  落ち着いた調度品と、清潔に掃き清められた畳の広間であった。床の間には椿が活けてあり、落ち着いた色調の中に紅い色彩が美しい。父親からのもてなしの心遣いを感じ、千珠は逸る気持ちを押さえるように抹茶をすすった。  程なくして、どたどたと派手な足音がしたかと思うと勢い良く襖が開き、そこに源千瑛が現れた。頬を上気させ、急いで駆けつけて来たのだろう、吐く息が白い。 「千珠!」  千瑛は畳の上を滑る勢いで駆け寄ると、やおら千珠を抱きしめた。 「大きゅうなった!立派になったのぅ!あれからずっといつもいつもお前のことが気になって気になって……!!」 「父上……苦しいです……」  目に涙を浮かべて抱きついてくる父親に向けて、千珠は照れ隠しにそう言った。  父親がこんなにもあけすけに喜びを表すことに驚いたものの、何よりそれがとても嬉しかったのだ。 「おお、すまぬすまぬ」  ぱっと身体を離した父親に、じっと顔を見つめられる。千珠は、自分と面差しの似た男の顔を、同じように見つめ返した。すると千瑛は目尻を下げ、心の底から愛おしさの溢れるような笑顔を千珠に向けた。 「千珠、会いたかったぞ」 「父上……」 「よく来たな。我が息子よ」 「はい……!」 「あぁ、可愛いのぅ。愛おしい千珠、私の千珠」  むんずと再び抱きしめられて、千珠は腹の底がくすぐられるようなむず痒い幸福感に、頬を桃色に染めて微笑みを零した。 「苦しいです、父上」 「そうつれないことを申すな。よしよし、存分に甘えれば良い」  他の面々の目には、そんな二人の周りだけに、きらきらと光り輝くお花畑が取り囲んで居るように見えた。るっきり二人の世界に入り込みかけている親子をたしなめるように、柊の咳払いが割り込んでゆく。 「あの……感動の再会を邪魔建てして申し訳ございませぬ。我々はお二人のことを存じておりますが……その、よいのですか?こんなおおっぴらに……」 「あ、失礼失礼。つい嬉しくてね。ここでは大丈夫だ。さっき迎えに行かせたものは私の腹心で、事情も全て知っているのでね。それに、ここに住まうは今は私一人だから」  柊の声に冷静さを取り戻した千瑛は、慌てて居住まいを正して下座に座る。そして、雅やかな仕草で一礼した。 「遠路はるばる、お呼びたてして申し訳ない。この度は、妖の検分の件、受けていただいて感謝しております」 「父上、そんな……頭を上げてください」  千瑛は顔を上げて皆を見ると、にっこりと笑った。  立烏帽子に深紫の直衣を身に纏った、上品な出で立ち。目元は涼し気に整った二重瞼で、いかにも聡明な香りを漂わせている。すっきりとした鼻梁と形の良い唇は、千珠と瓜二つであった。 「千珠、本当に、よく来た。いい顔立ちになったではないか。皆様に、よくしていただいているのだね」 「はい、とても」  千珠は微笑んで頷いた。そんな千珠の笑顔が可愛くてたまらないといった様子で、千瑛はまたひときわ目尻を下げる。 「そんな顔もできるようになったのだな。本当に、皆様にはお世話をかけております」 と、また皆に向かって深々と頭を下げた。 「いえ、千珠さまには我々もずいぶんと力を貸してもらっております。我が国になくてはならぬ存在です」  柊が微笑を浮かべながら落ち着いた口調でそう告げると、千瑛は笑みを湛えたまま、何度何度もも頷き、袖口で目尻を拭う。 「ありがたいなぁ……本当に、いい所に拾われてくれた」 「父上、そういう事は後でゆっくり……とりあえず、先に今回の件についてお聞かせ願いたい」 「おお、そうでった。しっかりしているなぁ、千珠は。あははは」  千瑛は上機嫌で高笑いをすると、千珠はまた照れくさそうに頬を染めた。  気を取り直すように自分の茶を一口すすり、千瑛は咳払いをして話し始めた。

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