110 / 340

六、現状

 千瑛は語る。 「今年から数年間は、百年に一度やって来ると言われる”翳りの波”によって、自然からの護りが一番薄くなる時期だ。神祇省の(もと)、神祇官と陰陽師衆が術式を用いて都の護りを強化するものの、その(ひずみ)を狙って、妖鬼や怨霊、魑魅魍魎……あらゆる妖物(あやかしもの)が都を闊歩する、今はそんな時期なのだ。  大概のものは、我々で退けることが出来る。しかし、師走に入ってからこの方、一際異様な力を持つ鬼が現れたのだよ。あれほどの力を持つものが、自然と人の世にやって来るとは考えにくい。神祇省(われら)としては、その鬼を召喚し、何事かを企てている輩がいないかということを調べているところだ。  その鬼は力が強く、市中にて見廻りに出ていた陰陽師たちも何人か命を落とし、もはや戦う(すべ)がない。ただその場から退けるのが精一杯で、罪もない町民たちが喰われるのを見過ごすことしか出来ぬという、酷い有様だ。昨日までで、もう十一人の町人が喰われてしまった」 「……そんなに」  舜海は呟いた。千瑛は舜海を見て頷くと、更に続けた。 「三日前、あろうことかその鬼は御所に押し入ろうとしたのだ。何とか退けはしたものの、いつまたやって来るか分からぬゆえ、帝もすっかり怯えてしまっていおいででな。まだ齢十二の若君だからな、致し方のないことだ」 「そうなのですか……」 「そこで、あなた様方には、共に御所にて帝をお守りしてもらいたいのだ。可能であれば、鬼を退ける方法を共に探してもらうため、ここへお呼びした次第なのだ」 「その鬼……父上は目にされたのですか?」  千珠は、父親にそう尋ねた。千瑛は険しい顔で頷くと、ゆっくりと首を振りながら言った。 「なんとも……恐ろしい形相だった。黒い剛毛に覆われて、まるで樋熊のような姿……」  千珠は、舜海と顔を見合わせる。 「父上、今朝峠でその鬼と遭いました。おそらく、同じ鬼だったと思います」 「何、もう見つけたのか?」 「女を襲っていたが、俺を見ると人に似た姿に変化(へんげ)した。……力は強かったな。普通の人間じゃ、一溜まりもないでしょう」 「そうか……その時にその傷を?」  千瑛は、心配そうに千珠の手を取った。晒しでぐるぐると巻かれた細い手首を、いたわるように撫でる手は、千珠のそれとよく似ている。大きく、あたたかな手だ。 「大したことはないです。少し……油断した」 「こんな頼みごと、お前に進んで怪我をさせるようなものになりかねないが……帝のお言葉なのだ。どうか、頼む」 「分かっています。放ってはおけませぬし」 「ありがとう」  千瑛は力強く頷くと、一行にも視線を配った。 「帝との謁見の場は夕刻に設けさせてていただいたので、それまでここでゆるりと寛いでください。食事も用意してありますゆえ」 「お気遣い、ありがたくお受け致す」  柊は深く頭を下げると、宇月もそれに従った。舜海も遅れて頭を下げる。 「私もご一緒していいかな。あなた方の国の話がぜひ聞きたいのです」 「もちろんですよ。……千珠さまは親子水入らずのほうがよいかもしれませぬが」  柊は、しおらしく座っている千珠を窺いながらそう言ったが、千珠は首を振った。 「いや、俺もみんなのことを父上に知ってもらいたいと思う」  その言葉に、千瑛はまた嬉しそうに微笑んだ。 「そうか!ではすぐに支度をしてもらおう。少しばかり、お待ちくだされ」  千瑛は立ち上がると、襖を締めて部屋を離れた。  すると舜海は、きっちり正座して座っていた脚を、溜息と共に崩す。 「あー緊張した。お前、父上殿とそっくりやねんな」 「何でお前が緊張するねん」  柊は正座を崩すことなく恭しく茶菓子をつまみ上げ、「さすが都……何と上品な口当たり。……美味い」と、一人しみじみ呟いている。 「俺、貴族との付き合いなんかしたことないねん。しかも千珠の父ちゃんやで、なんかこう……何喋ったらええんかなと思って」 「それなりに丁寧に喋れよ」 と、柊が茶を啜りながら付け加えた。 「立派なお方でござんすなぁ。とても上品で素敵でござんす」  宇月はうっとりした表情で頬に手を添え、そう言った。千珠はあぐらをかいたり正座をしたりと、落ち着かない心地で皆のそんな言葉を聞いている。 「緊張されているのですか?」 と、宇月。 「うーん……そうなの、かな……」  その問に、今度はもぞもぞと袴をいじる。 「二年ぶりだし、もう会うこともないだろうと思ってたから……。何だか照れくさいというか」 「千珠さまったら、可愛いこと」  宇月はぷっと吹き出して笑った。つられて柊も笑う。 「笑うなよ!そのうち慣れる」  千珠はむきになってそう言うと、少し不機嫌な顔をした。 「まぁ今くらいは、お子様らしくしてたらいいんじゃないですか?」 と、柊。 「お子様って言うな。ほっといてくれ」  皆の甘やかすような態度にふてくされて、千珠はぬるくなった抹茶を飲み干した。そしてその慣れない苦味に、顔をしかめる。 「……苦い」 「千珠さま、お抹茶ついてるでござんすよ」 と、宇月が千珠の口元を自分の袖口で軽く拭いてやると、千珠はそんな宇月の手から、ひょいと身を引いてふくれっ面をした。 「やめろってば。遊んでるだろ、お前ら」  柊と宇月はそれにも笑っていたが、舜海だけが、どこか浮かない顔でそんな三人のやりとりを見守っていた。  部屋の外では、千瑛が和やかな一行の会話を聞きながら安堵したように微笑み、そっと目頭を押さえていた。

ともだちにシェアしよう!