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十、夜分の来客

 囲炉裏で暖を取ろうと居間に戻り、たまたま障子のそばに座っていた湯上りの宇月は、偶然二人の会話を聞いてしまっていた。  柊を追って山吹も見回りに出て行ってしまったため、部屋には宇月一人である。  『千珠の狂気を抑える鞘』と、以前舜海のことを言ったが、本当にその通りだと宇月は思う。ぐらぐらと迷い、不安定な流れを呈していた千珠の妖気が、嘘のように鎮まっていくのが分かったからだ。 「……不思議なことでござんすな」  宇月は小さく呟く。  ふと部屋の襖の前に人の気配がして、女将の声が聞こえて来た。 「篠原宇月さまに、お客様がお見えになってはるんですが……」 「お客?」  宇月は緊張した。陰陽師たちが自分を始末しにやってきたのではという不吉な考えが過ったのだ。  宇月はわざと大きな声で「はぁい、お客とはどなたでござんすか!?」と言い、庭の二人に自分の存在を主張してみると、すぐさま障子が開いて、何事もなかったかのような顔で千珠たちが戻って来た。 「宇月、私だ」 「まぁ、そのお声は、業平さま!?」  宇月は千珠達を見上げて頷くと、いそいそと襖を開けた。  廊下に、三人の男が座っていた。普通の町民のような姿をした男たちであったが、千珠は男たちの身に宿る漲るような霊力を感じ取り、思わず少し身構えてしまう。  中でも真ん中に座す業平と呼ばれた男の霊力は、目を見張るものがある。齢四十ほどと見える落ち着いた容貌の男だ。黒く艶のある長い髪を耳の後ろで一つにまとめ、聡明な光を湛える穏やかな瞳をした、見目のいい男である。いくら地味な町人の格好をしていても、滲み出るような気品が感じられる。 「久しぶりだね、宇月」 「業平さま……!お久しぶりでござんす!」  宇月は嬉しそうに表情を明るくしている。三人を招き入れ、千珠たちを振り返ると、説明した。 「この方は、私の師匠でござんす。この方だけは、ずっと私の味方をしてくれていたでござんすよ」  業平と呼ばれた男は、ぴしり折り目正しく千珠たちにも頭を下げて一礼すると、心地良く響く声で言った。 「先程は、大変失礼を致しました。私は先代の棟梁の直系の弟子であり、宇月には幼き頃より修行をつけてまいりました。藤原業平(ふじわらのなりひら)と申します」 「へぇ、宇月の師匠か」 と、舜海は座敷に座り込みながらそう言った。千珠もその横に正座する。 「先程の話で聞かれたかも知れませぬが、宇月は先代棟梁の側室の子。本来ならば、出雲などという遠方の国に修行に出すなどということはありえぬこと。しかし、現棟梁である佐々木猿之助の横暴により、都から遠ざけられたのでございます」  先程の男の顔を、千珠は思い出していた。  尖った鷲鼻に、筋骨隆々の大きな体躯、欲の強そうな瞳を。 「猿之助は、先代棟梁の奥方の弟です。以前より急進的な動きが目立つ、油断のならない男でありました。二年前、先代が病で亡くなるとすぐに、猿之助の棟梁就任の詔勅が下りました。地道に根回しをしていたらしく、帝の側近を手懐けていたのです。  途端、猿之助は大幅な組織の革変を行い、今まで先代の側近として務めていた我々は、ずいぶんとあちこちに飛ばされていたのです」 「それは今回の件と、何か関係があるのか?」  今まで黙っていた千珠が口を開いた。陰陽師の三人はしげしげと千珠の姿を見ては、その美しさに感心したように目を見合わせている。 「お美しい。そしてお噂通り、強力な妖気をお持ちですな。……千珠さまに、折り入ってお願いがございます」 と、業平は畳の上に指を揃える。 「鬼退治とはまた別件ということか?」  千珠が問うと、業平は眼を閉じて難しい顔をして、重たい口調でこう言った。 「この度、都を騒がせている鬼は、佐々木猿之助が人の世に召喚した鬼なのです」

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