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十二、舜海の心

 千珠がひとり千瑛の元へゆき、業平らが去った後、宇月と舜海は二人囲炉裏を挟んで座っていた。  お互いに思案することがあり、口をきかないまま数刻が過ぎてゆく。 「お茶、入れましょうか」  ふと、宇月がそう言って立ち上がり、舜海ははっとする。 「そうやな。頼むわ」  宇月は湯を沸かしながら、舜海にこんなことを尋ねた。 「千珠さま、鬼に誘われた様子でござんすな」 「ああ、そうやねん。まったく……って、お前、聞いてたんか!?」 「はい、お風呂をいただいて帰ってまいりましたら、お二人の声がしていたので」 「あ、そう。え?じゃあ……」  その後になされていた行為や会話も、聞かれてたということか……!?と、舜海は大いに焦った。  しかし、宇月は表情を変えることもなく、静かな口調で言う。 「はい。しかしお二人の関係については、すでに存じているでござんすから大丈夫ですよ」 「……」  舜海は多少罰が悪そうに、頭を掻く。 「接吻だけで千珠さまの気があんなにも落ち着くとは。驚きでござんす」 「……さらっと言うやん」  宇月から茶を受け取った舜海は、渋い顔でそう言った。宇月、少し微笑む。 「同族がいたのでは、血が騒ぐのは当然のことでござんす。舜海さまの言うとおり、千珠さまはあの鬼を殺せないでしょう」 「せやな……」 「舜海さまにも、明日は陣に入っていただきたいでござんす。千珠さまが油断を見せれば、あの鬼は千珠さまを魔境へ攫ってゆくかもしれません」 「……まさか」 「鬼門を開く陣の中で、千珠さまをお守りする結界を成すのです。私と、舜海様とで。よいでござんすな?」 「ああ、もちろんや」  舜海は力強く頷いた。宇月も頷くと、一口、熱い茶をすする。そしてため息をつくと、千珠が出て行った障子の方を見遣る。 「千珠さまとは、ずっとあのようなご関係でござんすか?」 「……何でや」  舜海は怪訝な顔で聞き返す。千珠との関係について、あまり他人から口を挟まれたくないと言いたげな、頑なな硬い表情である。 「千珠さまは、ゆくゆくは自分で妖力を操作する(すべ)を身につけなければなりませぬ。そうは思わないでござんすか?」 「……そりゃあ、な」  舜海は、囲炉裏の方に目を向けて、少しばかり苦しげに眉を寄せる。  ――……そんなことは、言われなくても分かっている。  分かってはいるが、そうなって欲しくない。いつまでも自分を頼りにして欲しい……。  舜海はそんな自分の甘えた考えを恥じるように、目を伏せた。 「おそらく、年齢的なものもあるとは思うでござんす。千珠さまは半妖。妖力の動きには、まだまだ未熟な精神面の影響が出るのでしょう。人間と同じように」 「へぇ」 「加えて千珠さまが人の世で暮らし始めてまだ数年。しかもまだお若いがために、迷いや不安で気が安定しないのでござんす」 「……ここで生きて行くって、決めていてもか?」 「まだまだ、自分に言い聞かせているのでござんしょう。それもあり、今回の鬼との邂逅でより不安定になっているでござんす」 「……」  舜海は、少し痛そうな表情で手元の湯呑を見下ろした。 「宇月は、医者みたいやな」 「気の流れで、分かってしまうのでござんす。ちなみに、今の舜海さまのお気持ちも、何となく分かるでござんす」 「へえ、言ってみろや」  舜海は少し意地悪な気持ちになり、敢えて挑戦的な口調になってそう言った。宇月は困ったような顔で少し微笑むと、言葉を並べる。 「私がこんなことを言って、少し腹を立てていらっしゃる。そして、千珠さまにも少し腹を立てていらっしゃる。……まだ、迷っているのかと。でもお優しいあなたは、千珠さまのお気持ちを無碍には出来ません。だから、あの方の不安を抱きとめるしかない。でもそうすることで、自分の欲も満たしている」  舜海はごくりと唾を飲み込んだ。どこまでも見透かされていることに、心底驚いたのだ。  宇月はふと俯いて「すみません」と、言った。 「いや、言えって言ったんは俺や。ええねん、全部その通りや」  舜海は右手で額を抑え、自嘲気味に笑う。 「千珠のため、っていいながら、俺はあいつをただ抱きたいだけや。ただ、あいつを手放したくないだけなんや」 「……」 「こんなことになるなんて、思わへんかった。こんな気持になるなんて、思わへんかったんや。でも、どうにもならん」  舜海は両目を覆って顔を伏せてしまう。宇月は、何も言わずに、舜海の膝に手を置いた。 「……状況は、だんだんと変わっていくものでござんす」 「……」 「今は、想いのままにされたらよいでござんすよ。千珠さまがもっと成長されて、あなた様を求めなくなったときには、舜海さまのお心にも変化があるかもしれませぬ」 「それはそれで寂しいねんな」 「分かるでござんすよ。でもきっと、その頃には何か異なる心持ちにもなっているかもしれませぬよ」  舜海は顔を上げ、宇月の穏やかな顔を見た。目が合うと、にっこりと微笑む宇月を見ていると、まるで母親に微笑まれているように心が落ち着くことに気付く。 「ならええけどな」  舜海は照れ隠しのつもりで少し唇を歪め、笑ってみた。宇月は頷くと、また微笑む。 「お前、いくつやっけ?まるで母ちゃんに諭されてるみたいや」 「何を言っているでござんすか、私はまだ二十二でござんす。舜海さまのお母上になるには、少しばかり若輩者かと思われますが」 「へ、へえ……」  自分と二つしか変わらない。舜海はそれにも驚いて、改めて宇月をまじまじと見た。  長い前髪を真ん中で分けて広い額を見せ、短い後ろ髪の毛を耳の後ろで一つに束ねているような、女の色気など微塵も感じさせぬような宇月の姿。  千珠よりもずっと小柄で、一見可愛らしい子どものようにも見える。黒目がちの丸い大きな瞳や、丸い小さな鼻と口も、彼女を童顔に見せているので尚更だ。 「見えへん……。童顔の割に、言う事は言うんやな」 「よく言われるでござんす」  宇月はさらりとそう言うと、ずずっと茶を啜った。

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