126 / 340

二十二、弟との対面

 結局、千珠は三日三晩身体が自由には動かず、ずっと千瑛の屋敷で宇月の世話になっていた。  千珠の体調のことや気の流れが分かる宇月が、そばにいてくれて良かったと思っていた。自分の状態がどのようになっているのかということや、ただ寝ているだけではなく、どこに気を集中していれば心持ちがいいのかということも、教えてくれた。  知識を得るだけで、随分と心持ちが落ち着くことに気付かされ、あれだけ猛り狂っていた自分の心身が嘘のように凪いでゆくのを感じる。  ❀  ある晴れた日、風を入れるのだと言い、宇月が障子を全開にしていた。そこから見える庭には、濃い緑の艶やかな葉の中に真赤な寒椿が咲いているのが見える。ちらほらと雪が積もり、濃緑色と花弁の朱、雄しべの黄、雪の白と色彩が美しいと、千珠は思った。  羽織りを肩にかけて上半身を起こし、庭をぼんやりと見つめていた。ふと、とたとたという軽い足音と、大人の騒がしい声を耳にする。 「こら!槐!そっちへ行ったらいかん!」 「何故でございますか!ずっとお祖母様の家で退屈だったんですよ!」  ぱたぱたと足音がして、障子の向こうからひょいと子どもが顔を出した。千珠は驚いて、目を丸くする。それは相手も同じだったようで、二人は目を見合わせたまま固まっていた。 「こら!行くなと申しておるのに……」  後から千瑛が現れ、困った表情で二人を見比べる。  ――これが、俺の弟……。(えんじゅ)、か。  千珠はまじまじとその少年を見た。  活発そうなくりくりとした大きな目と、小さく整った鼻と紅い口。艶のある茶色味かかった髪を高いところで結わえ、切り揃えた前髪が眉の上で揺れている。  既に千瑛にはよく似ていた。そして、そこはかとなく千珠にも。 「この人は……?」  槐は、千珠から目を離せないまま父親にそう尋ねた。  千瑛は微笑み、太腿にしがみついて千珠を覗っている槐の頭を撫でながら、こう告げた。 「この人は、この間の鬼の騒動から都を護ってくれた、千珠さまだよ」 「へ……あの鬼をやっつけたの?」 「ああ、だからお前は都に帰って来れたのだぞ」 「へぇ……」  槐はきらきらとした、尊敬の眼差しで千珠を改めて見つめている。 「どうしてここにいるの?」 「ちょっとお怪我をしてしまったから、ここでお休みしてもらっている」 「ふうん」 「ご挨拶しなさい」 「はい」  槐は、たたっと千珠に駆け寄ると、びたりと膝を揃えて正座し、手をついた。 「この度は、鬼を退治してくださって、誠にありがとうございました」  槐は流暢にそう言い、深々と頭を下げた。  千珠は戸惑ってしまい「いや……礼を言われるほどでは」とぼそぼそと言う。 「千珠さま……僕と名前が似ているでございますね」 「本当だな」  千珠は無意識に手を伸ばし、槐の頭に手を置いた。さらりとした感触と、小さな頭。少し驚いた表情を見せた槐は、次第に顔を赤らめて嬉しそうに笑う。 「千珠さま、お綺麗ですね。母さまより、お綺麗だ」 「……いや、俺は男だ」 「えー!こんなにお綺麗な人は見たことがないですね、父上!」  千瑛は苦笑して、はしゃぐ槐の隣りに座る。 「それに、俺は鬼の一族だよ」 「鬼?でも鬼は、人間を喰うものでございます。千珠さまは都を守ったのですから、よい鬼ですね!」 「……そうなるのかな」  千珠の困り顔に、千瑛は笑う。 「そうだ、よい方だ。強い力を持っておられて、それを人を守るために使っている人だからね。お前も千珠さまに負けぬように、修行に励めよ」 「はい、父上!」  元気な少年だった。親の愛情に恵まれ、伸び伸びと真っ直ぐに成長しているのがよく分かる。血を分けた弟の真っ直ぐさを目の当たりにして、千珠は胸の奥がくすぐったくなるような喜びを感じていた。  自分のように、迷うことがなければいい。  このまま真っ直ぐ、前を見て育って欲しいと、千珠は願った。

ともだちにシェアしよう!