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二十三、力を求めて

   次の日、舜海は山吹と連れ立って千瑛の屋敷へと向かっていた。  そろそろ国へ帰る算段を練るために、一度千珠と宇月に合流しなければならないのである。  舜海は、一歩引いてついてくる山吹に「柊はどないしたんや?」と、尋ねた。 「……今日は買いたいものがあるから、と仰っていました」 「なに!買い物かい!……まぁええか、あいつ働き詰めやもんなぁ。お前も、都見物してきてもええんやで」  舜海は山吹を振り返り、そう言った。急に立ち止まった舜海にぶつかった山吹は、ぱっと顔を赤らめて距離を取る。 「……いえ、私は結構です」 「そうか?着物の一枚でも、買うて帰ったらええのに」 「……国ではずっと、忍装束で十分やから」 「まぁ確かにそうやな。もったいないな、その小袖もよう似おうてるのに」  舜海が、山吹の浅葱色に唐草模様の小袖を見ながらそう言うと、山吹は真っ赤になって、俯いてしまう。 「……ありが……」 「ほな、千瑛どのの所へ急ぐか、皆に話もあるし」  小声で礼を言い掛けた山吹の声を遮って、舜海はからりと笑って再び前を向いた。  その横顔に一瞬、寂しげな影が(よぎ)ったことに、顔を真っ赤にして俯く山吹は気づいてはいなかった。  屋敷に着き、中へと案内されていると、心なしか屋敷の中が以前より活気あるように感じた。  とたとたと、小さな足音が動きまわっているのに気づくと、舜海は前をゆく千瑛の家人に尋ねる。 「誰か来てるんか?」 「はい、里帰りされていた千瑛さまのご子息が、お一人で帰宅されています。奥方様は今風邪をこじらせているらしく、退屈になったとのことで」 「ご子息?……そうか」  噂の千珠の弟か。  舜海は興味が湧いて、少し早足になる。廊下の角を曲がろうとした瞬間、足音の主が突如現れ、思い切り舜海の腹にぶつかってきた。 「うごっ!」  油断していた舜海は、槐の頭突きを下腹部へともろに喰らい、その場に蹲ってしまった。槐はきょとんとしていたが、慌てて舜海のそばに膝をついて謝った。 「あ!申し訳ありませぬ!」 「こんのがき……」  涙目になりつつ攻撃主を見上げて、舜海は息を飲んだ。  槐は、千珠とよく似ていた。どこが似ている、というわけではないが、面差しがそっくりなのだ。 「……気ぃつけろ」 「はい、すみませぬ」  槐は、立ち上がった舜海を見上げてしばらく観察していたが、不意にこんなことを言う。 「千珠さまのお付きの方ですか?」 「お付き……?まぁ、そんなもんや」 「でしたらこちらへ!」  先に立ってたたっと走りだした槐の背中に向って従者は苦笑すると、その方向に手を上げて、一礼して去っていった。  槐が廊下を曲がった先の部屋へ入っていくのを追いかけて、舜海と山吹も先へ進む。 「千珠さま!お付きの方々ですよ!」 「お付き?」  と、千珠の訝しげな声が聞こえてくる。舜海はすっと障子を開いた。  紺地の絞りの浴衣を身に付け、黒い羽織を肩に掛けて、千珠は褥の上に起き上がっていた。槐の後に現れた舜海を見上げた顔が、明らかに嬉しそうに綻ぶ。 「舜海」 「具合はどうや?」 「もう、動ける。お前にも、怪我をさせたと聞いた……すまなかったな」  千珠は、手を伸ばして舜海の腕に触れた。 「あの業平のおっさんに、陰陽師衆秘伝の傷薬をもらったんや。よう効いたわ」 「ふうん、俺にもくれたよかったのに」 「お前に塗ったら毒なんちゃうか」 「あ、そっか」  槐は、褥を挟んで舜海の反対側に座り、二人のやり取りを眺めていた。服装からして法師のようなこの大柄な男は、千珠ととても仲がいいように見える。 「この童があれか」 と、槐の視線に気づいた舜海は尋ねた。 「童じゃありませぬ、槐と申します」  槐はむっとした顔をして、声を荒らげた。千珠は笑って、ふわりの槐の頭に手を置いた。  そんな千珠の仕草と表情を見て、舜海は不意に寂しさを感じた。  兄とは名乗っていないようだが、千珠が槐に対してどんな気持ちを感じているか、手に取るように分かるような、優しい表情をしていたからだ。  ――……家族、か。  別に孤独の傷を舐め合っていた訳ではないが、こうして千珠に大切なものが増えてゆくことは、やはりどこか寂しかった。  千珠にとって特別な存在であるという自負を、えらく心の拠り所にしてしまっていたことに気付かされる。  ――……情けないこった。    そんな自分を鍛えるためにも、俺は……。  舜海は心を決めて、槐を見遣る。 「こら槐、俺らは話し合うことがあんねん。あっち行ってろ」  舜海の言葉に、槐はむっと頬を膨らませて反抗的な表情を見せると、「いやです」と言い唇を尖らせた。 「槐、俺達は話があるんだ。向こうで宇月を手伝っておいで」 「はい」  千珠の指示には素直に従い、槐は立ち上がって部屋を出ていった。舜海は憮然として、そんな槐の足音が遠ざかるのを聞いていた。 「おい、もう手懐けたんか」 「まぁな。可愛いもんだな、弟ってのは」   千珠は嬉しそうに笑った。あまりに幸せそうな千珠の表情に、舜海は躊躇いそうになる心を奮わせようと、内心喝を入れる。 「山吹、お前もちょっとあのがきと遊んだれ」 「……はい」  山吹にも席を外させると、舜海は一息ついて言葉を選ぶ。しかし、その前に千珠が口を開いた。 「お前が俺を引き止めてくれたんだってな。そのせいで怪我までさせて……ごめんな」 「ええって、気持ち悪いから謝るな。……むしろ俺は、もっと上手く力が使えたら、ちゃんとお前を守れたのにって、思ったんや」 「そんなことない。十分助けてもらったじゃないか」 「あいつらのあの大技、見たやろ。やっぱり本場はちゃうなぁ」 「そうだな」 「業平のおっさん曰く、俺は力の使い方を知らなさ過ぎるんやて」 「そうなのか?」 「今回実感したわ。俺は力技しか出来ひん。このままだと、これからお前や国を守っていくには、ちぃときついんちゃうかなってな」 「……どうしたんだよ」  舜海の思いつめた表情に、千珠は戸惑い始めたようだった。舜海は千珠を見ることが出来ぬまま、話を進める。 「業平のおっさんにな、都で修行せぇへんかって、言われた」 「え……」  千珠が息を飲むのが分かった。舜海は、振り切るように一気に話続ける。 「俺は、そうしようと思ってる。都で、本物の陰陽師の中で修業して、強うなろうと思う」 「……じゃあ、ここに残るのか?」  千珠は、小さな声でそう尋ねる。舜海は、首を振った。 「一度国には戻らなあかんな。殿にも、ちゃんと言わなあかんし……。二年間、国を留守にするってな」 「二年……」  千珠は更に小さな声でそう呟いた。重い沈黙が、二人の間に流れる。 「まぁ……いいんじゃないか、二年くらいなら。あっという間だ」 「え?」  思った以上にあっさりとした千珠の言葉に、舜海は顔を上げた。千珠は、俯いて蒲団をいじっている。 「お前がいなくても、二年くらいならどうとでもなる……」 「そら、そうやな」 「二年くらい……どうもない。平気だ、それくらい……」  舜海は千珠の手に、自分の手を重ねた。  千珠は重なった手を見下したまま、こちらを見ようとはしなかった。  そして、微かにに震える声で「それが、お前と国のためだよな」と、自らに言い聞かせるように呟く。   舜海は眼で頷くと、ちょっと微笑んだ。 「そうやな。しばらく……青葉を頼むぞ」 「うん……」  千珠はそう言うと、震える瞼を隠すように舜海から顔を背けた。    舜海もそれ以上何も言えず、ただ二人は黙り込んでいた。

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