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十一、龍の正体

 社のすぐ裏手には、宮司達が仮住まいをしている屋敷があり、千珠たち客人たちにも部屋が用意されていた。千珠たちは広い座敷へ通されると、温かい茶と簡単な食事を振舞われた。  とりあえず濡れた衣を全て脱ぎ、貸し与えられた地味な灰色の着物と黒い袴を着込んで、温かい茶を口にする。冷え切った身体にぬくもりが染み渡り、生き返るような心地がした。 「どういうことでしょうね、安芸の国を救って欲しいなどと……」 と、竜胆が握り飯を頬張りながらそう言った。 「何かあったんだろう。しかし、何で俺達に?」 と、千珠は湯のみで掌を温めながら呟いた。 「どうも最近、妖がらみの厄介事を引き受ける集団だと勘違いされているようやな」 と、柊。 「そういうのは、陰陽師とか神祇省の仕事でしょう?」  竜胆は腹が減っていたのか、もりもりと食事を平らげている。  呑気な奴だと呆れつつ、しかしその肝の据わり方に感心してしまう。見習うように、千珠も一口握り飯を口にした。 「それには朝廷に話を通さなければならない。それができない事情でもあるんじゃないのか?」 「その通りです」  静かに襖が開き、久良が現れた。 「温もられたかな?」  久良は笑みを浮かべて三人を見渡す。そして、着替えを終えた千珠に目を止めると、目を見開いてその姿を凝視する。 「あなたは、人ではないのですね。そうか……あなたが噂の千珠さまですか」  久良の言葉に千珠は眉毛をぴくりとさせ、「どんな噂だか」と肩をすくめる。  その砕けた口調に拍子抜けしたのか、深い溝が刻まれていた久良の眉間から力が抜け、少しばかり微笑む。 「先の戦を終わらせた鬼と。また最近では都で鬼退治をしただとか、見目麗しいお姿であるとか……」 「まぁこの子の評判についてはあとでゆっくり聞くとして……」 と、こういう状況に慣れている柊が、話の筋を元に戻す。 「この子とか言うな」  千珠はふくれっ面をする。  久良はまた少し笑うと咳払いをして、正座した膝の上に置いた拳に目を落とした。 「昨年、安芸守の娘様が、伊予に嫁いでいかれました」  久良は、静かに話し始めた。  内容はこうだ。  安芸守の一人娘・美雁(みかり)姫は、昨年の暮れに伊予守の嫡男に嫁いでいった。その直後、伊予守の外戚の男が反乱を起こしたのだという。  その男は伊予守とその嫡男を殺し、嫁いできたばかりの美雁姫を幽閉した。そして安芸守に、こんな要求をしてきたのである。  安芸国・厳島神社が隠し持つ、海神(わだつみ)の力を、伊予のために使うべしと。  人と物の流れの大動脈である瀬戸内海を平安を祈って、毎年厳島では海神を崇め慰める神事を催し、たくさんの供物を納めてきた。他国からも数多の供物が届られ、海にまつわる生業に身を置く者達は、皆危険な船旅の無事を祈るため、厳島にやって来る。  厳島の神は、気まぐれな女神。そんな彼女の機嫌を損ねないためにも。  ひとたび海神を怒らせれば、海は荒れ漁場は枯れ果て、実りをもたらすどころか、近隣の島々を高波で呑み込み、破滅させることさえ出来てしまうという伝説がある。  そんな海神の力を使って海を荒らし、国々を混乱させようというのである。  久良は苦い顔で拳を握り締めた。  「その混乱に乗じ、伊予国が何をしようというのかは定かではありません。しかし、このまま事が進めば、彼らが金や物の流れを全て支配することにもなりかねません。そうなると、海を暮らしの中心とする国々は、伊予の言いなりになります」  千珠たちは、顔を見合わせた。 「安芸守が逆らえば、美雁姫を殺すと脅されています。美雁姫のお命を顧みず、武力で対抗したとしても、安芸国が落とされるのは時間の問題。伊予は本土にある安芸を落とし、そこ拠点にして、ゆくゆく近隣諸国に攻め入ろうとしているのです」  久良は俯いていた顔を上げ、改めて畳の上に手をついた。 「このことは、まだ安芸の民には知られていません。混乱が大きくなる前に、どうか、伊予に囚われている姫を助けていただきたい」  しばしの沈黙が流れる。千珠は小さくため息をつくと、「いくつか、聞いておきたい」と言った。 「何でしょう」 「そもそも、さっきの龍は一体何だ?」  久良は重々しく頷くと、 「そうですね、その説明を忘れていました。……厳島には、非常に力の強い巫女様がおられます。その巫女の力を捧げることにより、海神様をこの海に召喚することができるのです」 「巫女?人間にそんなことができるのか」 「はい。……しかし、今の巫女様はお身体が弱く、海神様の意思と同調出来るのはほんの僅かな時間だけ。その後は倒れるまで海神に霊力を吸われ、実体を得た海神様は、好きに海の上を暴れる……このまま放っておけば、瀬戸内一帯が無事では済まないかもしれない」 「……厄介なことだ」 と、千珠は呟く。 「神を降ろして神託をいただくということは、昔から行われてきたことではあります。現在の巫女様は当代随一の力を持っていると言われ、実際その力には目を見張るものがあります。それが伊予の国に知れてしまった」 「姫を人質に、その技を強要されているということか」 と、柊。 「はい。姫君は、巫女さまの腹違いの姉様なのです。巫女さまも従わざるを得ず……いや、むしろ姫の役に立つならと進んで力を使っている」 「姉?」 と、竜胆。 「ええ。還俗し、先代の安芸守のご側室になられた先代巫女さまがお産みになったお子ですので。お二人はとても仲が良かった」 「ということは、伊予から人質を奪い返し、伊予の軍勢を叩けば丸く収まるってことか」 と、千珠は簡潔にそう言った。 「簡単に言いますねぇ、千珠さま」 と、竜胆は苦笑する。 「しかし、そういうことです」  久良は頷き、両手を床についたまま、深々と頭を垂れた。 「どうか。お願いいたします!この国のために、巫女様のために、姫君のために……どうか!どうか……!」  久良は額を畳に擦りつけるようにして、千珠たちに頭を下げた。千珠が柊を見ると、考えているのか返答しかねているのか、じっと目を閉じて黙っているし、竜胆もまた、思ってもいなかった内容に困惑した表情であった。 「久良、こんな奴らに頭を下げる必要なんかないぞ」  凛とした少年の声が響いた。皆がそちらを見ると、ぱしっと障子を開け放たれる。

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