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十二、緋凪
黒い海を背に、一人の少年が立っていた。
海風に長い黒髪をなびかせた、青白い肌をした少年だ。その肌と同じくらいの白い着物を着流しにして、仁王立ちをしている。
蝋燭の明かりを受けて、大きな瞳が暗く光った。
「緋凪 さま……このようなところに出てこられては……!」
久良が慌てたように立ち上がり、少年のもとへ歩み寄る。
「巫女?女ではないのですか?」
と、竜胆。
緋凪と呼ばれた少年は不機嫌な顔で、つかつかと三人の前に立った。
「姉上のことは、この僕が何とかする。お前らみたいな他国の忍の力なんか、借りるもんか!」
憎々しげに千珠らを睨みつけながらきっぱりとそう言い放つ少年の顔は、目を見張るほどに美しかった。千珠でさえも、目が離せなくなるほどに。
歳の頃は千珠よりも少し幼い。まだ子どもっぽさの残る顔つきだが、くりくりとした大きな目、つんと上を向いた小さな鼻、少し薄めの形の良い唇、まるで人形のように端正な顔立ちをした少年である。
「緋凪さま、落ち着いてください!」
「離せ久良!お前、勝手にこんな真似しやがって!」
緋凪は、自分を抑えようとした久良の手を払いのけ、腰に指していた短刀を抜いた。久良がぎょっとしたように顔を歪めて、慌てて手を引く。
刃物がきらめいたことで、その場の空気が張り詰めた。
「僕は、姉上のためにやっているだけだ!伊予のためでも安芸のためでもない!口を挟むな!」
「言ってることがまるで子どもだな」
音もなく、千珠は緋凪の背後に立つと、緋凪の右手をねじり上げて短刀を落とした。どす、と短刀が床に突き立つ。
これからどんな大事が起こりうるのかも考えず、ただ意固地になって我儘を言っているようにしか見えぬ緋凪の態度に、千珠は呆れているのである。
「うああ!」
驚いた緋凪は膝を折り、腕を捻られた痛みに呻く。怒りの形相で千珠を見上げた緋凪は、目を軽く見開いてもがくのをやめた。
「……お前、ああ。さっきの鬼か」
「!」
漆黒の瞳で、緋凪は千珠を睨みつけた。千珠は静かな眼でその瞳をじっと観察する。
――こいつが、さっきの龍を操っていた?こんなにも非力な、人の子が?
ふと、その漆黒の闇の中に、千珠はちらちらと蠢く何かを見たような気がした。背中を冷水が伝うように危険を感じ、千珠はぱっと手を放す。
緋凪は立ち上がると、忌々しげに千珠を睨 めつける。
「僕はこの体に神を宿すのだ。お前のような卑しき妖鬼が触れていいものではない」
緋凪がふてぶてしい口調でそんなことを言い捨てると、千珠のこめかみに、ぶち、と一つ青筋が浮かぶ。
「千珠さま、抑えて」
と、柊。
「五月蝿い」
と、千珠。
「僕は神に選ばれた人間なのだ。姉上のため、父上のためなら何でもするんだ!」
不意に、そんなことを喚く緋凪の頬を、久良が軽く叩いた。ぱしっという軽い音に、張り詰めていた空気が一瞬解ける。
「落ち着きなさい、緋凪さま」
「いってえ……」
叩かれた頬を押さえて久良を睨みつける緋凪の表情から、闇が抜けた。普通の子どものような表情になると、緋凪は久良のすねを蹴飛ばして部屋を飛び出してゆく。
「久良の馬鹿野郎!」
「っっ〜!あ!待ちなさい……!」
すねを思い切り蹴られた久良は痛みのあまりうずくまりながら、もう姿の見えない緋凪に手を伸ばす。
「申し訳ない、お見苦しい所を……。あのお方が、当代随一の霊気を持っておられる覡 、緋凪さまです」
覡とは、男の巫女のことである。強力な霊気と清らなかな身体を、海神に捧げるための存在だ。
「あんな子どもが、一連の事件を起こしていたというのですか?」
と、柊。
「ええ……。力を奪われ続ける緋凪さまの身体にとっては、非常に危険な術。これ以上続けていては命に関わります。しかし、父上である安芸守の初めての頼みということもあり、緋凪さまは神降ろしに自分の存在を懸けておられるのです」
「父親のくせに、息子の危険はほうっておくのか?」
と、千珠は眉間にしわを寄せる。
「安芸守さまにとって、緋凪さまは側室のお子。しかも、緋凪さまの母上は、ほんの数度安芸守の気まぐれでお相手になっただけだそうで……お心の入れようが違うのです」
久良は苦々しい顔でそう言った。
「私はずっと、緋凪さまが幼少の頃よりお世話をして参りました。もう見ていられないのです、安芸にも伊予にも、いい道具にされてすり減っていく緋凪さまを見ているのが……!」
久良は吐き捨てるようにそう言うと、唇をかんで涙を一筋流した。
「姉のためだと……、喜んで神に身体を差し出すのです。その後どんなに苦しくても、血を吐いても、父と姉のためだと……!このままでは、緋凪さまはもう長く生きることはできませぬ。結局戦になるのなら、もういっそ……」
久良は言葉を飲み込んだ。千珠は柊を見遣ると、柊は痛々しい表情でうなだれる久良を見ていた。千珠の視線に気づくと、柊は頷いた。
「……分かりました。こちらとしても上の許可を得なければ動くことはできませぬが、調べてはみましょう。あなた方の手助けになる方法があるかもしれない」
「本当ですか!?」
と、久良は顔を上げた。
「そもそもここへきた目的が、海の怪物退治です。この一件が解決に導かれるのなら、自ずと怪物も姿を消しますからな」
柊の言葉に久良は泣き笑いを浮かべ、また頭を深々と下げた。
「ありがとうございます!」
千珠は、そんな久良の姿を見ながら、ざわざわと胸の中に湧き上がる黒い波のような胸騒ぎを感じていた。
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