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二十二、激闘

 龍はひょいと身を引くと、目にも留まらぬ速さで今度は首を振り回し、千珠に体当たりを仕掛けてきた。 「ぐ、うっ……!!」  剣で龍の身体を受け止めたものの、あまりの重さに千珠は陸地の方まで飛ばされてしまう。受け身を取りきれず、岩場に強かに背中を打ち付けると、ずるりと凍った海の上に膝をついて肩で息をした。 「いってぇ……なんて力だ」  あれをまともに受けてはいけない。緋凪の体力も、きっともうすぐ限界を迎えるはずだ。  思惑通り、海神は伊予に向かってきた。あと数太刀、防げればいい。  千珠の妖力は草薙の剣に吸い尽くされ、身体に残っている力は僅かだった。千珠は力の入らない膝を何とか支えると、今度は東へ向かって走ろうとした。  そこに、伊予の(かなめ)の、砦がある。  ――あと少し……、あそこまで誘えば……!  しかし走り出そうとした矢先、突如現れた氷の深い亀裂に、千珠は脚を取られて両手をついてしまう。  剣が千珠の手を離れ、氷の上を回転しながら滑っていく。  途端に、体中の力が抜けるような疲労感と、先程龍によって飛ばされ打ち付けた背中の痛みが千珠を襲った。 「……くそ!」  ――……剣を、剣を握らなければ……!  しかし、氷の亀裂は千珠の足を捕えてびくともしない。  焦れば焦るほど、足はぴくりとも動かず、千珠は歯を食い縛って冷や汗を流す。  龍はばきばきと氷を破壊しながら、こちらに向かって突進してくる。剣に向かって手を伸ばすが、あと少しと言う所で届かない。 「くそ……こんな時に!」 「千珠さま!!」  不意に、宇月の声がした。はっとしてそちらを振り返ると、岩場の影で術を成す宇月の姿が見えた。 「宇月……!お前、ここにいたら、龍が来るぞ!今すぐ逃げろ!」 「駄目でござんす!私が手を離せば、この氷は消えてしまう!」 「ここまで来たらもういい!逃げろ!」    千珠は更に焦りを募らせて怒鳴った。宇月はきっとした表情で首を振ると、千珠をまっすぐに見据えて怒鳴り返してくる。 「千珠さまの剣は、草薙だけではありませぬ!宝刀で氷を砕け!!」  千珠ははっとした。  ――そうだ、自分の中にはもう一振り、愛刀があるじゃないか……!  千珠はぱっと両手を合わせると、左掌から宝刀を抜いた。月光を受けて青白く輝く白珞族の宝刀を両手で掴むと、自分の足を捕えている分厚い氷に思い切り突き立てた。  氷はいとも簡単に砕け散り、千珠の足は自由になった。すぐさま転がっていた草薙の剣を左手に掴み取ると、宇月の方にまっすぐ突っ込んでいく龍の姿を目の端に捉える。 「宇月!!」  それでも尚、宇月は海面から手を離さなかった。恐怖の表情浮かべて龍を見上げながらも、宇月は術を解かなかった。  千珠は夢中でそちらに駆けた。そして、宇月の前に立ちはだかると、まっすぐ岩場を突き崩すように突っ込んでくる龍の頭の前に、二本の剣を振り翳す。  激突する千珠と龍。  ぶつかり合う巨大な妖気と神気がぶつかり合い、金色の光が迸り、竜巻のような暴風が逆巻いて暴れ狂う。  千珠は身の内に眠る妖力の全てを解放し、二本の剣で龍の動きを完全に止めた。目を見開き、歯を食いしばって、千珠はその重みに耐える。 「くっ……!!!」  龍は咆哮を上げ、更に深く千珠に喰いかかろうと勢いを増す。ばき、ばき、と踏ん張った千珠の踵が氷にめり込んでいく。   「千珠さま!!」  まばゆい光の中、千珠の背中の影を見上げながら、宇月は叫んだ。 「私のことはいい!!もうやめるでござんす!!千珠さま!」  その声を耳に捕らえた千珠の妖気の色が紅蓮へと変わり、その目の瞳孔が縦に細長く裂けた。 「おおおおおお!!」  千珠は龍に負けじと吠えた。そして、身体の最奥に眠っている力を全て懸けて、二本の剣で龍の巨体を薙ぎ払った。  突風が吹き荒び、龍の身体が砂浜の方へと吹っ飛ばされてゆく。    ずぅううううん……と思い音が響き、のたうち回る龍の巨躯が、伊予の砦を破壊した。  火の手が上がり、兵士たちの逃げ惑う悲鳴が響き渡る。 「はぁっ!!はぁっ!!はぁっ!!」  千珠は激しく肩で息をしながらその様子を確認すると、宝刀を体内に収め、草薙の剣を氷に突き立てた。  ――これでいい。俺の仕事はこれで終わりだ……。  ほっとしてしまうと、身体中から力が抜けてしまいそうになる。千珠はふらふらとよろけながら、宇月に歩み寄った。  宇月は目を見開き、涙を流しながら千珠を見上げた。動いている千珠を見て、安心したのか更に涙を溢れさせた。 「千珠さま……」 「宇月……無事か……?もう……いいぞ」  宇月はぱっと海面から手を離し、波間に膝をついて倒れかけた千珠に駆け寄った。  そして、そのまま千珠をしっかりと抱き締める。  荒い息、海神の神気に焼かれた熱い身体、消え入りそうな妖気。宇月はぼろぼろと涙を流しながら、千珠の身体を海水から引き上げた。 「千珠さま……すぐ、手当するでござんす……少しの辛抱でござんすよ……」  宇月はしゃくりあげながら、岩場の後方に広がる森の中に千珠を横たえて、その肌に手を当てた。千珠は、その手を押さえる。 「お前だって、術でもう霊力がないだろ……いい、俺は放っといても治る……」 「すみませぬ……!私が、あの時声をかけなければ、千珠さまはこんなお怪我……しなかったのに……!」 「……何謝ってんだ。お前は関係ない……。それに……あの時宝刀のことを……言ってくれなければ勝てなかった……」 「ごめんなさい……ごめんなさい……」  宇月は千珠の手を握って、泣きながら何度も謝った。千珠はうっすらと開いた眼で宇月を見ると、微かにに笑ってみせる。 「馬鹿、もう泣くな……それよりここから早く去ろう」 「その通り」  暗がりから、黒装束の業平が現れた。宇月と千珠を見比べると、業平は微笑みを見せて静かに言った。 「舟を用意してあります、竜胆殿を拾って厳島に戻りますよ」 「……竜胆、忘れてた」  千珠がそう呟くと、業平はまた爽やかに笑う。 「竜胆殿には、睦月島の者たちのために煙幕を張ってもらっています」  ――睦月島には、舜海もいるんだっけ……。都から陰陽師が来たと知られては、大変だもんな。  千珠はそんなことを思うと、業平に肩を借りて何とか起き上がった。 「宇月も、いつまでも泣いていないで立ちなさい。長居は無用ですよ」 「はい」  宇月は袖で涙を拭うと、反対側から千珠を支えて、舟へと進んでいった。    ❀  竜胆は、もくもくと煙を上げる伊予の砦を望遠鏡で覗きながら、口笛を吹いた。 「やっぱすげぇな、千珠さま」  龍は伊予の砦をめちゃめちゃに破壊したあと、突然水飛沫となって消えた。緋凪の力が尽きたのだ。  竜胆は、城の方を覗く。  城からも、白い煙幕の煙が立ち上っているのが見えた。  白い煙は、奪還成功。黒煙ならば、失敗。柊にそう告げられていた竜胆は、また口笛を吹いた。 「さっすが頭。間違いのないお方だ」  竜胆は望遠鏡を懐にしまうと、岩山の上に立ち上がって千珠たちを待った。  月光が、何事もなかったかのように静かになった海面を照らす。  陰陽師たちが張った氷は、術が消えると瞬く間に溶けて消えていった。   睦月島の陰陽師たちも、もう退いている頃だろう。 煌々とした月影に照らされた海面を静かに進んでくる小舟を見つけ、竜胆は大きく手を振った。  

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