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二十五、千珠と宇月
【注】主人公が女性と触れ合う描写があります。お嫌いな方は回避してください。
その後も、気まずい沈黙が二人の間に横たわり続けていた。
宇月は千珠に近寄ろうとせず、必要最低限の用事がある時だけそばにやって来る。それにはさすがに淋しさを覚え、千珠はゆっくりと身体を起こすと、回廊に座って海を眺めている宇月の背中を見つめた。
「……ごめん」
小さな声で謝る千珠に気づいた宇月は、驚いた顔で振り返った。千珠はどういう顔をしていたらいいのか分からず、ふいと目を逸らす。
「千珠さまともあろうお人が、何と気弱な発言でござんすか」
宇月は部屋の外からそう言うと、再び海のほうを向いてしまう。千珠はどうしていいか分からず、ただ、宇月の見ている海を同じように見つめる。
「俺、女はたくさん抱いてみた。でも、どうしても接吻はできなかった」
「……いきなりなんというお話ですか」
宇月はまたじろりと千珠を睨む。千珠は、構わず続けた。
「全然、美味そうじゃないんだ。何も惹かれないし、迫られるとむしろ恐ろしかった。蛇に狙われるような感じがして、身が竦んで」
「……」
「でも、今日お前のことはすごく美味そうに感じた。もっと、触れてみたいと思った」
「……」
「必死で術を護るお前の姿、とても、頼もしかった」
宇月ははたと振り返って、千珠を見た。千珠は、その時のことを思い出しながら、遠い海を眺める。ゆっくりと、日の傾きかけた海を。
「お前は強い女だ。そして、自分の力に誇りを持っている。どんな時も、曲がらない強い心を持っている」
「……」
「俺に色んなことを教えてくれた。お前のお陰で、俺は強くなった」
「……いきなり何でござんすか。千珠さまらしくもない」
宇月は顔を赤くして、少し居心地が悪そうにそう言った。千珠には、その頬が紅いのは、夕日のせいなのか宇月が照れているせいなのか分からなかった。そんな宇月を、千珠はまっすぐに見つめる。
「だから、お前は特別な女だ。俺にとって」
「……」
千珠はそう言うと、視線を落として自分の手元を見下ろした。そして、軽くため息をつく。
「……何が言いたいのか、分からないけど。……だからお前に近づきたくなった……っていうことだ」
「ふふ……」
宇月の含み笑いに、千珠は顔を上げる。宇月は、手を口元に近づけて笑っていた。
千珠はへそを曲げる。
「おい、俺が必死で謝ってるのに笑うとはどういうことだ」
宇月は笑うのをやめると、千珠に歩み寄って枕元に正座をした。
「ちょっと、嬉しかったでござんす。千珠さまにそんなふうに言っていただけるとは」
「いや、別に……」
「私は、このような見た目でござんすから、女として扱われたことがないのでござんす。だから、さっきは少し戸惑ったのでござんすよ」
千珠は、そんなことを言う宇月を見た。
まるで子どものような小さな体。千珠よりも五、六は歳上なのに、丸顔で幼く見える。しかしよく見ると、宇月は丸みのある綺麗な形の目をしているし、小さな鼻と口は形よく整っている。千珠はそんなことに初めて気がついた。
無造作に結った短い髪と、耳の横にかかる前髪は焦茶色。いつも陰陽師の黒装束を身に纏っているが、もっと明るい色の衣をまとえば、きっと……。
ふとそんなことを想像していた自分に驚くと、軽く咳払いをする。
「俺はまだ十七だ。俺から見れば……お前は十分女だよ」
千珠は小さくそんなことを言った。宇月は、ぎこちない千珠の気遣いに、また少し笑う。
「何で笑うんだ」
「いえ、嬉しかったのでござんす。そんなふうに人に気を遣えるようにまで成長されたのかと思うと」
「五月蝿いな」
千珠は顔を赤くしてそっぽを向いた。宇月も、はにかむように微笑む。
宇月の小さな手が、千珠の手に重なる。その小さな手の冷たさに驚き、そして同時に胸がきゅんと音を立てる。
「……冷たいな。ずっとあんなとこにいるから」
「千珠さまに熱があるからそう感じるのです」
「そうかな」
千珠はその手を自分の両手で包み込んだ。自分の手にすっぽりと収まる宇月の手を見つめながら、熱を分けるようにきゅっと握り締める。
「小さい手だな。こんな手で、よくあんな巨大な術を操れるもんだ」
「千珠さまこそ、こんな華奢なお身体で、よくあんな巨大な龍を跳ね除けたものでござんす」
「華奢って言うな」
千珠がまた膨れると、宇月はまた楽しそうに笑った。
そんな宇月の笑顔を見て、千珠は宇月の手を自分の方に引き寄せていた。
宇月は暴れなかった。千珠は宇月の肩に手を回して軽く抱きしめながら、さらりとした髪の毛に頬を擦り寄せる。そして、深く息をした。身体の力を、抜くように。
「……華奢じゃないぞ」
「……そうでござんすね」
何だろう、安心する。
宇月を抱きしめていると、心が温まる。
この温もりを、守ってやりたいと思う。
何故かな……。
千珠はそう思いながら、宇月の髪に頬をすり寄せる。口元が、自然と綻んでいることに,千珠自身は気づいていなかった。
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